Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

クラウス・フロリアン・フォークト

2018年03月27日 | 音楽
 フォークトの「ローエングリン」は2012年、2016年と2度聴いているので、今回はリート・リサイタルを聴くことにした。昨日はその1回目。プログラムは、ハイドン、ブラームス、マーラー、リヒャルト・シュトラウスというドイツ・リートの王道プロ。

 ハイドンの歌曲は今までノーマークだった。プログラム・ノートによると、「ハイドンがピアノ伴奏つき歌曲のジャンルに手を染めたのは、50歳にも近づこうという時期だった。」。今回歌われた曲は6曲で、作曲年代(または出版年代)は1781年から1801年にわたっている。

 曲名を書くと長くなるので、省略するが、どの曲も素朴な有節歌曲。たとえばモーツァルトの歌曲に比べても、もっとシンプルだ。後期の交響曲やオラトリオからは窺えないハイドンの素朴な面が見える。フォークトの少年のようなピュアな歌声が、ハイドン歌曲のその様式をよく伝えていた。

 次はブラームスの歌曲を5曲。これも曲名は省略するが、「49のドイツ民謡」から3曲、その他が2曲。ハイドンと比べて、ブラームスの歌曲のなんと緻密なことか。音の取り方の微妙さはもとより、ピアノ伴奏部の充実というか、メロディーラインとは独立した動きに、思わず唸ってしまう。ブラームスは明確な意思をもって、一曲一曲、完結した世界を構築しようとしていたことが、ハイドンとの対比で如実に感じられる。

 休憩後は、マーラーの「さすらう若人の歌」。これは馴染みのある曲だが、その曲をフォークトは、なんとすがすがしく歌ったことか。傷つきやすい若者の心を、フォークトほど透明に表現できる歌手はいないかもしれない。交響曲第1番「巨人」で聴く場合よりも、もっとマーラーの心情が伝わった。

 最後はシュトラウスの歌曲5曲。作品27の4曲を27-3、1、4、2の順に並べ、1と4の間に「献呈」を入れる構成。わたしは作品27を歌った後で、最後に「献呈」で締めくくる方がよかったのではないかと思ったが、どうだろう。

 フォークトはシュトラウスでは明らかに歌い方を変えていた。ワーグナー歌手の片鱗を示すかのように、大きな構えで、張りのある歌い方をした。シュトラウス歌曲の技巧性よりも、ワーグナー後の音楽であることを感じさせた。

 アンコールが2曲歌われた。いずれも軽い動きをもった曲で、フォークトのよさが十分発揮されていた。だれの曲だろう。
(2018.3.26.東京文化会館小ホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする