Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ブロムシュテット/N響

2018年04月16日 | 音楽
 ブロムシュテットは「2017年7月に90歳の誕生日を迎えた」(プログラムのプロフィール)そうだ。お元気な様子に驚く。今回Aプロでは、両親の祖国スェーデンの知られざる作曲家ベルワルドBerwald(1796‐1868)の交響曲第3番「風変わりな交響曲」をプログラムに組んだ。

 ベルワルドはシューベルト(1797‐1828)と同時代人。ただし、わずか31歳で亡くなったシューベルトと違って長命だった。プログラムノートによると、生前は作曲家としてなかなか認められず、ベルリンで「整形外科と理学療法の診療所を開業」したり、スェーデン帰国後は「ガラス器工場を経営」したりしたそうだ。

 交響曲第3番「風変わりな交響曲」は1845年の作品だが、初演は1905年。作曲者の没後50年ほどたっていた。どのような経緯で初演されたか、詳細は書いてなかったが、作品は大層おもしろかった。基本的には初期ロマン派風だが、緩徐楽章とスケルツォ楽章とが合体された第2楽章のスケルツォ部分とか、最後の第3楽章に、意表をつく動きが出てくる。

 弦は16型で演奏されたが、この曲の場合、そのような大編成が正解かどうか、疑問が残った。もっと小編成で演奏されるべき曲のように思えた。それをあえて大編成で演奏したのは、ブロムシュテットが次のベルリオーズ「幻想交響曲」に通じる要素を意識したからではないかと思った。

 「幻想交響曲」は、ブロムシュテットのレパートリーとしては、比較的珍しい部類に入ると思うが、暗譜で指揮したところを見ると、手の内に入っている曲かもしれない。がっしりした骨格を持つ堂々とした演奏。目の覚めるような美しい音が鳴っていることも再三あった。

 だが、わたしの心は離れていった。この曲の演奏には、若者の自己中心的なところが必要ではないかと思い始めた。そのような“ジコチュー”がないと、どういう演奏になるか、その一例を見ているような気がした。物理的なテンポ以上に心理的なテンポが遅く感じられた。

 コンサートマスターはライナー・キュッヒルが務めた。その効果は大きかった。N響の弦から熱い音が鳴った。それはコンセルトヘボウ管のヴェスコ・エシュケナージがコンサートマスターを務めるときにも感じること。N響が欧米の音楽マーケットで真のメジャー・オーケストラになるための鍵は、そこにあるかもしれない。
(2018.4.15.NHKホール)
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