高関健が指揮する東京シティ・フィルの9月の定期は、ラヴェルのオペラ「スペインの時」が演奏されるので注目したが、その前のモーツァルトの交響曲第39番も楽しみだった。同曲はわたしの好きな曲の一つで、第40番や第41番よりも好きなのだが、意外に実演で聴く機会が少なく、今回は何年ぶりかで聴く実演だった。
演奏は後半の「スペインの時」と比べると、弦の音がザラザラして、全体に重かったかもしれないが、実演でないとわからないことがあった。それは独特のオーケストレーションによる同曲の響き、音色、そしてそれを計算したモーツァルトの意図だ。
いうまでもないだろうが、同曲の木管は、フルート1、クラリネット2、ファゴット2で、オーボエを欠いている(金管はホルン2とトランペット2)。なので、高音はフルートのみに頼り、中音域のクラリネットとファゴット、ことにクラリネットに比重がかかっている。そこからくる暗めの音色が背景を構成する。
そんなことは同曲の解説の一頁に出ているといえばそれまでだが、それを実演で実感する意味は大きかった。クラリネットは第3楽章メヌエットのトリオで印象的なデュオを繰り広げるが、それ以外にも曲の全般にわたって、光の陰の暗い部分を作っていた。
さて、ラヴェルの「スペインの時」だが、この作品はラヴェルの生涯のいつ頃作曲されたのだろうと思っていたら、高関健がプレトークで語ってくれた。細かい点は省略して、ざっくりいうと、本作はラヴェルの初めてのオーケストラ作品といわれる「スペイン狂詩曲」よりも前に作曲され、「『スペイン狂詩曲』も『ラ・ヴァルス』も、その後のすべてがこの中にある」と。
実演を聴いて、たしかにそうだと納得した。その後の多くの作品の萌芽を聴くことができた。ラヴェルという天才の、その独特のあり方というか、最初の一歩がすでに完成されたもので、その後の作品は最初の一歩に含まれていた微細な点の拡大と展開にすぎないという「天才」のあり方に想いを馳せた。
高関健/東京シティ・フィルの精彩のある演奏がそれを実感させた。張りがあり、ディテールの性格を明確に捉えた、雄弁な演奏だった。
歌手も見事だった。コンセプシオンを歌った半田美和子は、歌はもちろん、豊かな表情とちょっとした仕草で、聴衆をオペラの世界に引き込んだ。個々には触れないが、男性歌手4人も文句なし。
(2018.9.15.東京オペラシティ)
演奏は後半の「スペインの時」と比べると、弦の音がザラザラして、全体に重かったかもしれないが、実演でないとわからないことがあった。それは独特のオーケストレーションによる同曲の響き、音色、そしてそれを計算したモーツァルトの意図だ。
いうまでもないだろうが、同曲の木管は、フルート1、クラリネット2、ファゴット2で、オーボエを欠いている(金管はホルン2とトランペット2)。なので、高音はフルートのみに頼り、中音域のクラリネットとファゴット、ことにクラリネットに比重がかかっている。そこからくる暗めの音色が背景を構成する。
そんなことは同曲の解説の一頁に出ているといえばそれまでだが、それを実演で実感する意味は大きかった。クラリネットは第3楽章メヌエットのトリオで印象的なデュオを繰り広げるが、それ以外にも曲の全般にわたって、光の陰の暗い部分を作っていた。
さて、ラヴェルの「スペインの時」だが、この作品はラヴェルの生涯のいつ頃作曲されたのだろうと思っていたら、高関健がプレトークで語ってくれた。細かい点は省略して、ざっくりいうと、本作はラヴェルの初めてのオーケストラ作品といわれる「スペイン狂詩曲」よりも前に作曲され、「『スペイン狂詩曲』も『ラ・ヴァルス』も、その後のすべてがこの中にある」と。
実演を聴いて、たしかにそうだと納得した。その後の多くの作品の萌芽を聴くことができた。ラヴェルという天才の、その独特のあり方というか、最初の一歩がすでに完成されたもので、その後の作品は最初の一歩に含まれていた微細な点の拡大と展開にすぎないという「天才」のあり方に想いを馳せた。
高関健/東京シティ・フィルの精彩のある演奏がそれを実感させた。張りがあり、ディテールの性格を明確に捉えた、雄弁な演奏だった。
歌手も見事だった。コンセプシオンを歌った半田美和子は、歌はもちろん、豊かな表情とちょっとした仕草で、聴衆をオペラの世界に引き込んだ。個々には触れないが、男性歌手4人も文句なし。
(2018.9.15.東京オペラシティ)