Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

山田和樹/日本フィル

2018年09月08日 | 音楽
 山田和樹/日本フィルの意欲的な、むしろチャレンジングな、といったほうがよいようなプログラム。1曲目はプーランクの「シンフォニエッタ」。暖色系のやわらかなテクスチュアが織られる。それが心地よい。どこか懐かしい感じがする。戦後の作品だが、古き良き時代の香りを漂わせる。

 2曲目は三善晃のピアノ協奏曲。鮮明な、現代に息づく音。プーランクの前曲に比べて、一気に照度が上がった感じがする。ガス灯からLEDへ。オーケストラが雄弁だ。演奏のせいだろう。シンフォニックな演奏。

 ピアノ独奏は萩原麻未。歯切れのよい、パンチのきいた演奏。日本人離れした、という言い方はもう過去のものになったが、では、どういったらよいのか。世界の第一線で活躍する演奏家の凄み、か。

 でも、そんなピアノ独奏もオーケストラの中に組み込んで、全体の一部として機能させるシンフォニックな演奏だった。山田和樹のオーケストラ(それはピアノを含めた演奏全体という意味だが)の掌握はすさまじい。その音で若き日の三善晃の尖った音楽性と輝きを捉えていた。

 3曲目はデュカスの「魔法使いの弟子」。ただしストコフスキー版。山田和樹は以前ムソルグスキーの「展覧会の絵」をやったときも、ストコフスキー版を使った。ストコフスキーへのシンパシーがあるのだろう。で、その「魔法使いの弟子」だが、整然としたアンサンブルで、派手というよりも、むしろすっきりと演奏された。意外に短く感じたのだが、原曲と比べてどうなのだろう。

 最後はデュティユーの交響曲第2番「ル・ドゥーブル」。カンブルラン/読響が2016年10月に冴えきった名演を繰り広げた。山田和樹/日本フィルは、それと比べると、自然な呼吸感に特徴がある演奏。個性の違いが大きい。あえていえば、カンブルラン・チームは聴く者を極度の緊張へと誘い、山田チームはくつろいで聴かせる。

 この曲は全3楽章のすべてが弱音で終わる。ブラームスの交響曲第3番のようだ。だが、デュティユーの場合は、その弱音に独特なニュアンスが込められている。それを小沼純一氏がプログラム・ノートで的確に解説しているので、以下引用する。「どの楽章も、デュティユー自身のことばを借りると「全三楽章各々の結末は音楽的に一種の疑問形になって」おり、特に第3楽章終結部は、初演のあとで手が加えられ、その傾向がつよめられている、という。」
(2018.9.7.サントリーホール)
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