Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2018年09月17日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィ/N響のAプロは、ウィンナ・ワルツとポルカにマーラーの交響曲を組み合わせるという、意表を突く、斬新なプログラム。

 前半がワルツとポルカ。曲名を書くだけでも長くなるが、書かないわけにもいかないので、以下列記すると、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「こうもり」序曲、同「南国のばら」、同「クラップフェンの森で」、同「皇帝円舞曲」そしてヨーゼフ・シュトラウスの「うわごと」。いずれ劣らぬ名曲ばかり。

 1曲目「こうもり」序曲では、細かいところの作り込みが、パーヴォらしく徹底していたが、それらの細部が全体の構成に組み込まれ、流れが淀まないことも特筆すべき点だった。華やかな、浮き立つような演奏ではなかったかもしれない。クールというと語弊があるが、たとえていうとガラス細工のように、すべてが透けて見えるような演奏だった。

 2曲目以降は、細部の作り込みというよりは、音楽の流れに任せる演奏だった。だが、さすがにパーヴォとN響だけあって、高度な水準を保っていた。

 プログラム後半は、マーラーの交響曲第4番。これは超絶的な名演ではなかったかと思う。どんな演奏かというと、パーヴォが今までN響と繰り広げてきた第1番「巨人」、第2番「復活」あるいは第8番「千人の交響曲」といった、テンションの高い、極限まで緊張しきった演奏と違って、透明で、静謐なテクスチュアを織り上げる演奏だった。

 わたしがとくにおもしろかったのは第2楽章だ。調弦を変えた独奏ヴァイオリンが「死の舞踏」を踊るが、それだけではなく、木管、金管の各パート(第1奏者だけでなく)が乱舞し、ことに第1ホルンはほとんど出ずっぱりだった。独奏ヴァイオリンと同等、あるいはそれ以上の活躍ぶり(今井さんの名演!)。

 第3楽章での、透明で、音が消えていくような、究極的な弱音の美しさは、一種の限界まで達していたと思う。弦のその演奏に息をのんだ。

 第4楽章でソプラノ独唱を務めたのはアンナ・ルチア・リヒター。ヴィブラートを控えめにして、澄んだ、少女のような声を聴かせた。それはおそらく意図したものだろう。貧しくて、飢えによる衰弱で死んでいく少女が、その直前に見る天国の風景がこの曲だろうから。

 この曲は「こどもの不思議な角笛」の中で「この世の暮らし」と対になる作品だろう。ドイツ語の原題からいってもそれが窺われる(※)。
(2018.9.16.NHKホール)

(※)「Das himmlische Leben」/「Das irdische Leben」
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