Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

エッシェンバッハ/N響

2020年01月18日 | 音楽
 エッシェンバッハ指揮N響のCプロはブラームス・プロだが、後述するように、一捻りしたブラームス・プロだった。素直じゃないというか、そこがエッシェンバッハのエッシェンバッハたる所以だろうが‥。先日のAプロのマーラー「復活」で、何かにこだわって素直になれないエッシェンバッハを聴いたばかりなので、聴くほうとしても、どこか身構えた。

 1曲目はピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏はツィモン・バルト。エッシェンバッハの盟友らしい。この曲をエッシェンバッハ指揮ベルリン・ドイツ響とレコーディングしている(わたしは未聴だが)。ともかく、そのバルトのピアノ独奏が独特だった。独特という言葉が一般的すぎるほど、だれにも真似のできない、風変りなものだった。

 第1楽章冒頭のアルペッジョからして、テンポが遅く、しかも途中で(まるで歩みを止めるかのように)間合いを入れるので、この先どうなることやら、どのくらい時間がかかることやらと、途方に暮れた。

 実際どのくらい時間がかかったか、わたしは計っていないが、ともかくそのペースは最後まで変わらなかった。遅いテンポで一音一音を味わい尽くすような、また時には歩みを止めて、その一音を余韻が消えるまで聴いているような演奏。たとえていえば散歩の際に、歩きなれた道なので、いつものペースで歩いてしまうところを、故意にゆっくりと、時には立ち止まって、景色を見たり、風の音を聴いたりするような演奏だ。

 さらに驚いたことは、そんな独特なピアノ独奏に、エッシェンバッハが、まるで思想を同じくする者のように、同じスタイルで、ぴったりオーケストラをつけた点だ。他の指揮者だったらこうはいかない。グレン・グールドとバーンスタインのようになってしまう。

 そのようにして生まれた演奏を、わたしは興味深く聴いた。途中で飽きもせずに、ずっと音を追うことができた。美しいと思うときもあった。二人が音の余韻に耳を澄ましているとき、わたしもともにそれを聴いていると思えることがあった。いつもこういう演奏を聴くなら、それは疲れるが、たまにはいいと思った。CDはともかく、ライブならこれも一興だ。

 2曲目はブラームス(シェーンベルク編曲)のピアノ四重奏曲第1番。1曲目のピアノ協奏曲第2番とも先日のマーラーの「復活」とも違って、ストレートな表現だ。シェーンベルク編曲という一捻りはあるが、わたしはやっと素直なエッシェンバッハに出会えた気がした。今どきの各パートがピタッと合う演奏とは異なるが、音にこもるドイツ的な熱があった。これは快演だったかもしれない。
(2020.1.17.NHKホール)
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