Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高関健/東京シティ・フィル

2020年01月19日 | 音楽
 高関健による渡邉暁雄追悼プログラム。渡邉暁雄(1919‐1990)の生誕100年、没後30年を記念するものだ。曲目は渡邉暁雄が創設した「日本フィル・シリーズ」から生まれた2曲、柴田南雄の「シンフォニア」(日本フィル・シリーズ第5作、1960年)と矢代秋雄の「交響曲」(同第1作、1958年)、そして渡邉暁雄の十八番、シベリウスの交響曲第2番。渡邉暁雄を追悼するにふさわしいプログラムだ。

 それにしても、桐朋出身の高関健と芸大で教えた渡邉暁雄の接点はどこにあったのだろうと思っていたら、高関健がプレトークで語った。それによると、若き日の高関健が民音の指揮者コンクールを受けたが、予選で落ちた。しばらくして、あるオーケストラでヴァイオリンのエキストラをしていたら、指揮者が渡邉暁雄で、休憩中に声をかけられた。「君ね、この間は残念だったけど、君の振った『春の祭典』はなかなかよかったよ」と。その言葉に励まされて、高関健は指揮の勉強を続けた。

 その後、高関健はウィーンのハンス・スワロフスキー国際指揮者コンクールに優勝した。その直後に渡邉暁雄から電話があった。「君、来年1月(注:1985年1月)の日本フィル定期を振らないか。曲は『春の祭典』」と。その定期まで半年しかなかった。通常、定期の指揮者が半年前に決まっていないはずはないので、今考えると、渡邉暁雄は、自分が振る予定の定期を高関健に譲ったのではないか。

 高関健の話はざっとこんなふうだった。なんとも心温まる話だ。ちなみにわたしの手元には渡邉暁雄の写真集があるが(写真:木之下晃、音楽之友社刊、1996年)、その中に渡邉暁雄と高関健がともに写っている写真がある。渡邉暁雄を4人の若手指揮者が囲み、楽しそうに乾杯している。その若手指揮者の一人が高関健だ。1985年8月5日に渡邉暁雄の自宅で撮った写真。この写真の背景にはそんな話があったのか‥と思った。

 さて、当日の演奏だが、1曲目の「シンフォニア」は、たしかに(高関健の指摘の通り)シェーンベクルの12音作品を参照していると思われるが、それに止まらず、音に生気があった。演奏のお陰だと思う。2曲目の「交響曲」は、わたしはナクソスのCDで何度も聴いた曲だが、CDの演奏とは比べものにならないほどの密度の濃さがあった。とくに第3楽章レントから第4楽章の序奏アダージョにかけては、その濃密さに息をのんだ。終演後の拍手も盛大だった。

 3曲目のシベリウスの交響曲第2番では、弦の鳴りっぷりのよさが印象的だった。高関健が常任指揮者に就任して以来、東京シティ・フィルの弦は充実している。第4楽章のフィナーレでは金管が輝かしく鳴った。それは渡邉暁雄を讃えているようで感動的だった。
(2020.1.18.東京オペラシティ)
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