Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鈴木雅明/N響

2021年04月18日 | 音楽
 鈴木雅明は昨年10月にブロムシュテットの代役で初めてN響を振った。わたしはその演奏会を聴かなかったが、評判はすこぶる良かった。それに引き続き今回は2度目のN響登場だ。一言でいって、すばらしい演奏会だった。

 1曲目はハイドンの交響曲第95番ハ短調。ロンドン・セット(あるいはザロモン・セット)と呼ばれるハイドン最晩年の12曲の交響曲のうち、唯一短調で書かれた曲だ。その冒頭の音が鳴るやいなや、「ああ、いい音だな」と思った。快い緊張感のある音がまっすぐ客席に飛んできた。会場は東京芸術劇場だったが、癖があり、必ずしも鳴らすのが容易ではないそのホールが心地よく鳴った。

 弦は10‐10‐8‐6‐3の編成でノンヴィブラート奏法だった。張りがあり、澄んだその音に、わたしの耳は洗われるようだった。N響のノンヴィブラート奏法も堂に入っていた。またオーケストラ全体としても、N響をこのように鳴らすことは、鈴木雅明の力量の証明だと思った。

 2曲目はモーツァルトのオーボエ協奏曲。オーボエ独奏は吉井瑞穂。いわずもがなの名手だが、さすがに余裕綽々、肩の力を抜いてオーケストラのなかに入っていった。第2楽章の息の長いフレーズでは、「ブレスはどうしているのだろう」といぶかしむほど、細くて長い弧を描いた。

 吉井瑞穂のアンコールがあった。わたしの知らない曲だったが、どこか素朴な曲が、まるで山間の谷間にひびく牧童の笛のように、ホールに鳴り響いた。小さな曲のようだが、巨大な曲のように聴こえた。N響のツイッターによると、トマーの「神とともにいまして」という曲だそうだ。

 3曲目はシューマンの交響曲第1番「春」。金管が気持ちよく鳴った。冒頭のトランペットはもちろんだが、3本のトロンボーンのハーモニーにも惹かれた。交響曲第3番「ライン」を思い出すことが何度かあった。いままでそんなことを感じたことはなかった。弦は12‐12‐8‐6‐5の編成で、もちろんヴィブラートは普通にかけていた。ハイドンのときの澄んだ音は失われたが、その代わり幅のある、(良い意味での)雑味のある音になった。

 そのシューマンは切れば血の噴き出るような演奏だった。誤解を恐れずにいえば、たとえばモーツァルトの歌劇「イドメネオ」のエレットラのアリアのように、怒りの音楽だった。それは負の感情ではなく、生々しい人間の感情という意味だ。春風駘蕩のシューマンではなく、いまの時代にアップデートされたシューマンだった。
(2021.4.17.東京芸術劇場)
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