Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

津村記久子「つまらない住宅地のすべての家」

2021年10月12日 | 読書
 今年3月に発行された津村記久子の「つまらない住宅地のすべての家」を読んだ。津村記久子の作品は、数年前にある偶然から(その偶然を書き始めると話がそれるので、省略するが)「とにかくうちに帰ります」を読み、おもしろいと思ったので、その際に「ポトスライムの舟」などの何作かを読んだ。どれもおもしろかった。その経験の範囲内で思うのだが、今度の「つまらない住宅地のすべての家」は、津村記久子の現時点での代表作といえるのではないか。

 新聞各紙の書評欄で取り上げられたので、ストーリーを紹介するまでもないが、念のために簡単にふれると、場所は関西のどこかの住宅地。袋小路の路地を囲んで10軒の家が並んでいる。周囲はありふれた住宅地だ。いつもはなにも起こらない、のんびりした地域だ。

 そんな住宅地に、近くの刑務所から女性受刑者が逃亡したというニュースが入る。受刑者はこの住宅地の方面に逃亡中らしい。自治会長をつとめる男性が、突然自治会長という職務を自覚し、夜間に交代で見張りをすることを提案する。他の住民にとっては迷惑な話なのだが、反対することもはばかられるので、不承不承、夜間の見張りが始まる。

 そこからストーリーが動き始める。いままでは、挨拶をするかしないか、という程度だった住民同士の交流が始まる。それは予想の範囲内だが、ストーリーは予想を超えて、各家が抱える問題(子どもの引きこもり、母親の育児放棄、児童誘拐計画など)に触れていく。もちろん人々はそれらの問題を口にすることはないが、見張りの際のちょっとした言葉のやり取りから、それぞれ内省を促され、心の中の凝り固まった思いがほぐれていく。

 端的にいってその住宅地はいまの社会の縮図だろう。それが女性受刑者の逃亡という事件に触発されて、解決とまではいかないが、各人が小さな一歩を踏み出す光景が描かれる。

 女性受刑者の罪は横領罪だ。長年勤めた職場から、わずかな金を横領し続けた。逃亡した目的も明らかになる。切ない事情があったのだ。その逃亡者と、10軒の家の住民たちと、その他2人の登場人物が主要な人物だ。人数が多いので、わたしは人名リストを作り、それを見ながら読んだ。そのうちにすべての登場人物が明確な輪郭をもつようになった。読了後は、それらの人物が近所に住む身近な人々のような感覚が残った。

 久しぶりに津村記久子の作品を読んだ。それで思い出したのだが、津村記久子はだれかの身勝手な行動に振り回されて、だがなにもいえずに我慢している弱い立場の人(たとえば大人の勝手な行動に振り回される子どもなど)を描くのがうまい。本書でもそれが際立つ。
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