Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ハイティンク追悼

2021年10月26日 | 音楽
 グルベローヴァの逝去でショックを受けたばかりだが、そのショックが冷めやらないうちに、今度は指揮者のハイティンクが亡くなった。

 ハイティンクが亡くなったのは10月21日だ。享年92歳だった。自宅のあるロンドンで亡くなり、妻や家族が付き添ったと報じられている。天寿をまっとうしたであろう亡くなり方にハイティンクらしさを感じる。

 ハイティンクのLPは何枚か持っていたが(その後、部屋の整理のためにLPはすべて処分してしまった)、実演を聴いた経験は2度しかない。だが、その2度の経験は鮮明な印象を残している。

 一度目は2015年3月にベルリンでベルリン・フィルの定期演奏会に行ったときだ。曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏はイザベル・ファウスト)とベートーヴェンの交響曲第6番「田園」だった。その「田園」がおもしろかった。拍子の頭に重めのアクセントを置き、ごりごり押してくるような、いかにもドイツ的な(といいたくなる)演奏だった。当時の音楽監督のサイモン・ラトルがもっとスマートな演奏をしていた時期に、ハイティンクが振るとベルリン・フィルの地が出るようなところがあった。それはおそらくフルトヴェングラーの時代から(あるいはその前から)脈々と受け継がれているベルリン・フィルのDNAを感じさせた。

 二度目はそれから5か月後の2015年8月にザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルの演奏会に行ったときだ。曲目はブルックナーの交響曲第8番(1890年稿、ノヴァーク版)だった。その演奏はベルリン・フィルのときのようなごつごつしたものではなく、流れるような起伏を描く、流麗で穏やかで、しみじみとした情感を湛えたものだった。わたしはこれがウィーン・フィルの本領だと思った。ウィーン・フィルはブルックナーを演奏するとき、ほんとうに安らいで演奏する。まさに自分の音楽だ。それにくらべるとベートーヴェンのときは、ウィーン・フィルはどこか緊張しているように感じる。

 それらの2度の経験から、ハイティンクは個々のオーケストラの持ち味を最優先に考える指揮者だと思った。自分の個性よりもオーケストラの個性を重視する指揮者。そのような指揮者は、個性を競い合う指揮者の世界にあっては、稀な存在にちがいない。だから、世界のトップクラスのオーケストラから厚い信頼を得たのだろう。わたしはハイティンクの振るシカゴ交響楽団やロンドン交響楽団を聴く機会を得なかったが、もし聴いていれば、それらのオーケストラの個性がもっとよく理解できたと思う。

 多くのオーケストラから愛された指揮者だった。お疲れ様でした。さようなら。
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