Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鈴木優人/読響

2024年12月04日 | 音楽
 鈴木優人指揮読響の定期演奏会。プログラムはベリオの「シンフォニア」とモーツァルトの「レクイエム」。まずベリオから。ベリオは1925年生まれ、2003年没だ。来年は生誕100年のアニヴァーサリーイヤーに当たる。今回の「シンフォニア」はそのプレ企画かもしれない。シャープで色彩豊かな演奏だった。鈴木優人の現代音楽への適性をあらためて感じた。

 「シンフォニア」の第3楽章はマーラーの交響曲第2番「復活」の第3楽章(「子供の魔法の角笛」の中の「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」による)をベースにする。今回の演奏は、マーラーの音楽が横方向に流れ、そこにさまざまな引用がコラージュ的に浮き沈みする演奏ではなく、それらのコラージュが縦方向に切断され、その切断面が見えるような演奏だった。結果、整然とした流れではなく、収拾のつかない混乱した音楽が生まれた。その生々しさはユニークだが、この曲にはふさわしいかもしれない。

 「シンフォニア」は1968年に作曲された。1968年は、チェコではプラハの春が起き、パリでは5月革命が起きた。ニューヨークではコロンビア大学の紛争が起き、また公民権運動のキング牧師の暗殺事件が起きた。東京では東大闘争と日大闘争が起きた。今では伝説的に語られる1968年に「シンフォニア」は生まれた。1968年を象徴する作品だ。

 今その作品を聴くと、どう感じるかと、わたしは自分に問いながら聴いた。演奏が良かったからだろう、古びた感じはしなかった。むしろ時代と向き合う熱量が眩しかった。ひるがえって、今の時代に生きるわたしたちは、時代と向き合う熱量をもっているだろうかと考えた。それを避けるうちに、取り返しのつかない事態が進行しているのではないかと。

 「シンフォニア」の第3楽章は前述のようにマーラーの交響曲第2番「復活」の第3楽章をベースにするが、今では普通に聴かれるマーラーも、1968年当時はそれほど一般的ではなかった。今では想像が難しいが、ベリオがこの曲にマーラーを使ったこと自体が、インパクトがあったかもしれない。また作曲を委嘱したニューヨーク・フィルの当時の音楽監督はバーンスタインだったので、マーラーを使うことはバーンスタインへの敬意の表明だったかもしれない。

 今回の演奏では、第3楽章から第4楽章へアタッカで入った。狂騒の第3楽章から時間が静止したような第4楽章への切れ目ない移行は、見事に効果的だった。なお、プログラム後半は、前述したようにモーツァルトの「レクイエム」だった。フルート、オーボエ、ホルンを欠くオーケストレーションは、「シンフォニア」とは対照的なモノクロの世界だった。
(2024.12.3.サントリーホール)
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