Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

月・こうこう、風・そうそう

2016年07月22日 | 音楽
 別役実の新作「月・こうこう、風・そうそう」。異説「竹取物語」という趣向の芝居だ。かぐや姫は「姫」。竹取の翁とその妻は「老爺」と「老婆」。帝は「ミカド」。5人の求婚者は「風馬の三郎」と「男」に集約され、その人物像は変更されている。その他「竹取物語」には登場しない「盲目の女」と「女」が登場する。

 別役実というと不条理劇となるが、本作は少なくともベケット流の不条理劇ではない。では、なにかというと、一言でいうのは難しい、というのが正直なところだ。あえていえば「童話」だろうか。不条理なところも残酷なところもある「童話」‥

 あらすじを紹介しても仕方がないと思うので、いきなり感想から入るが、まず「姫」を演じた和音美桜(かずね・みおう)の透明感が印象的だ。また「老爺」の花王おさむと「老婆」の松金よね子のコンビには味がある。「ミカド」の瑳川哲朗と「盲目の女」の竹下景子には「童話」らしい象徴性がある。

 「風馬の三郎」の橋本淳は、役作りが漫画チックに感じられ(演出のせいか役者のせいかは分からないが)、わたしには違和感があった。せっかくの透明感ある「童話」が、その部分だけ漫画っぽくなり、トーンにムラが生じたように思う。

 本作には引用が散りばめられているようだ。わたしが気付いた点はわずかだが、プログラムに掲載された宮田慶子芸術監督(本作の演出者)の巻頭言には、「古事記やうつほ伝説、梁塵秘抄、ヒヒ伝説、更には折口信夫、萩原朔太郎から「オイディプス」まで、あらゆる故事・伝承・考察を自在に行き来しながら書かれたこの作品」となっている。

 音楽の例をひくと、ショスタコーヴィチの交響曲第15番には自作・他作の引用が散りばめられているが、本作もそれと似た印象があった。精巧に作られたメタ・ミュージックとメタ・ドラマ。両者とも大家の晩年の作品だ。

 本作はそういう作品だと思うので、今後繰り返し上演されるなかで、また違った味わいが引き出されるように思う。

 もう一つ興味深く思った点は、本作と6月に上演されたジョン・フォード作の「あわれ彼女は娼婦」とはテーマが共通していることだ。これはあらかじめ仕組んだことだろうか。片や出来たてホヤホヤの新作、片やエリザベス朝演劇、そんな2作のテーマが共通するように仕組むことは不可能だとすれば(普通は不可能だと思う)、これは偶然の産物だろうか。
(2016.7.21.新国立劇場小劇場)

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