Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高関健/東京シティ・フィル

2024年10月04日 | 音楽
 高関健指揮東京シティ・フィルの定期演奏会。曲目は今年生誕200年のスメタナの「わが祖国」。高関健は常任指揮者就任披露の2015年4月の定期演奏会でもこの曲を取り上げた。ただし今回はチェコ・フィルの「現実演奏版」を使用する。

 「現実演奏版」とは何か。高関健がプログラムに寄せたエッセイによると、「今晩の演奏では、1985年頃当時の音楽企業スプラフォンが出版したチェコ・フィルの伝統的なパート譜に基づく「現実演奏版」を使う。この楽譜はターリヒからアンチェルに続く伝統的な演奏をほぼそのまま楽譜に起こしたもの(以下略)」とのこと。

 ターリヒからアンチェルのころは、スメタナのこの曲にかぎらず、またターリヒやアンチェルにかぎらず、巨匠たちは多少なりとも譜面に手を入れて演奏することがあった。だがそれが出版譜の形で残っているのは珍しい。それを演奏してみよう(聴衆の側からいえば、それを聴いてみよう)というわけだ。

 具体的には、スメタナのスコアの中の「そのままでは厚過ぎる和声に旋律が消されてしまうと思われる個所、テンポが速すぎて演奏困難と思われる部分」などについて、主要声部を補強したり、伴奏形を弾きやすい形に変更したりしているらしい。

 結論からいえば、わたしの耳では、どの箇所で主要声部が補強され、どの部分で伴奏形が変更されているか、聴き分けることはできなかった。だが普段よりも意識して各パートの動きを追ったことは事実だ。高関健の意図からいって、それでいいのだろう。

 一番ショックだったのは、「モルダウ」の最後だったか、音が短く切られる箇所があったことだ。今まで聴いたことのない演奏だった。また「現実演奏版」と関係があるのかどうかは分からないが、ホルンとトランペットが倍管になっていた(ホルンは4本→8本、トランペットは2本→4本)。「ボヘミアの森と草原から」の冒頭のトランペットの豊かな響きと、「ブラニーク」の最後のホルンとトランペットの朗々とした響きにその効果が表れた。

 全体的にはひじょうにテンションが高く熱い演奏だった。むしろ、高関健としては、思いきり派手にやった演奏だったかもしれない。その分、ボヘミア的な情緒は後退した。それを求めるのは、ないものねだりだろう。個別の奏者では、客演コンサートマスターに入った荒井英治が積極的にオーケストラをリードした。その果たした役割は大きい。また「シャールカ」の冒頭で首席クラリネット奏者の山口真由が情感のこもったソロを聴かせた。終演後に高関健のソロ・カーテンコールになったとき、高関健は山口真由をともなって現れ、盛んな拍手を浴びた。
(2024.10.3.東京オペラシティ)

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