Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

やがて来たる者へ

2011年10月31日 | 映画
 岩波ホールで上映中の「やがて来たる者へ」。2009年のイタリア映画。これは第2次世界大戦の末期、1944年9月29日~10月5日にイタリアで起きた「マルザボットの虐殺」を描いた映画だ。

 マルザボットの虐殺といわれても、なんのことかわからなかったので、事前にWikipediaで調べてみた。日本語のWikipediaには載っていなかったが、英語版には載っていた。武装SS(ナチス親衛隊)によるイタリア国内で最大の住民虐殺事件。犠牲者数は諸説あるようだが770人程度で、その半数以上は子ども、女性そして老人(つまり非パルチザン)だった。

 こういうと、本作は過酷な戦争映画のように思われるかもしれないが、けっしてそうではない。むしろイタリア山間部の村人たちの日常生活をほのぼのと描いた映画だ。画面はイタリア・ルネサンス絵画のような暖色系の中間色で構成され、このままいつまでも観ていたい気分になる。

 もう一つ、重要なことは、戦争の描き方がしっくりいったことだ。敵であるドイツ兵といえどもそれぞれ妻もいれば子どももいるはず。家に帰ればよき夫であり父であるかもしれない。ところが戦争というメカニズムに組み込まれると、平気で住民を殺す。永遠に解けない不条理であるこの矛盾を、本作は丁寧に(一方的に敵と決めつけないで)描いている。

 こういう敵味方の描き方は初めてのような気がして、監督の経歴を見てみた。ジョルジョ・ディリッティ監督、1959年生まれ。わたしよりも年下だが、ほとんど同世代だ。なるほど、感じ方が似ている。

 さらにもう一つ、本作で特徴的なことは、音にたいする感覚が鋭敏なことだ。作中で使われている音楽は多様式といってもよいほどで、しかも的確に使われている。加えて、主人公の少女マルティーナが口のきけない少女として設定されていることにより、まだら模様のように沈黙の層が存在する。さらに映画の終盤、マルティーナの父がドイツ兵の投げた手榴弾によって鼓膜を破られると、なにも聞こえなくなる。無音の緊張がマルティーナの父の絶望を描く。

 本作の後半では、ドイツ軍による住民虐殺と、マルティーナによる生まれたばかりの弟の救出が、並行して描かれる。一方は死のドラマ、他方は生のドラマ。両者の同時進行は2声のカノンのようだ。カノンはやがて最後の和音にいたる。本作では生のドラマが追い抜き、長調の和音で静かに終わる。
(2011.10.28.岩波ホール)

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