Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

三者三様のドイツ・レクイエム

2011年10月26日 | 音楽
 10月は在京オーケストラのうち3団体がブラームスの「ドイツ・レクイエム」を取り上げた。演奏順にいうと、東京シティ・フィルが常任指揮者の飯守泰次郎で、N響が首席客演指揮者のアンドレ・プレヴィンで、そして都響がレジデント・コンダクターの小泉和裕で。幸いそのすべてを聴くことができた。普段はあまりこういう聴き比べには興味がないが、各オーケストラが定期の枠内で、しかもそれぞれ結びつきの強い指揮者と演奏することに惹かれた。そしてそもそも曲目が汲めども尽きない「ドイツ・レクイエム」だったから。

 昨日は都響の定期。これを聴きながら、つくづく三者三様だと思った。東京シティ・フィルは、飯守さんが魂のすべてを音に注ぎ込むような演奏だった。あれは尋常な演奏ではなかった。生涯に二度と出会えない演奏だと思った。飯守さんとしても、長期にわたってかかわってきた東京シティ・フィルだからこそ、しかも常任指揮者としての最後のシーズンだからこそ可能になった演奏ではないか。

 N響の演奏はその対極にあった。終始ハーモニーの透明さを失わない演奏。演奏家たるものはすべからくこの水準を目指さなければならない、という感じがしたが、逆にいうと、高度な技術をもった指揮者とオーケストラなら置き換えも可能な感じがした。すでにできあがったオーケストラがそこにあり、指揮者は調和してなにも壊さない、という感じだ。

 都響の演奏はその中間点にある、といえばわかりやすいが、実はそんなに簡単なことではなかった。図式的にいうと、都響はそれらとは異なる第3極を形成する、といったほうが事実に近い。都響も小泉さんとは長い付き合いだ。お互いに手の内を知り尽くしている間柄、しかもマンネリに陥ることなく、お互いの成長・変化についていく、そういう関係が感じられた。

 具体的には、どの曲のどの部分をどのようなテンポでやりたいか、また錯綜したオーケストラのどのパートを浮き上がらせたいか、そういう指揮者の意図がよくわかった。その意味ではこれが一番面白かった。

 声楽陣も三者三様。ことにバリトン独唱には大きな差が出た。一番強烈な印象を受けたのは、ドラマティックで、魂の底から絞り出すような福島明也。逆にデーヴィッド・ウィルソン・ジョンソンはあっさりしたリートのようだった。ソプラノ独唱では佐々木典子に感銘を受けた。合唱は二期会合唱団が唯一のプロだが、女声・男声のバランスはさすがに問題ないものの、それ以上のものは感じられなかった。むしろ晋友会合唱団に感銘を受けた。

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