Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

埼玉県立近代美術館の常設展

2017年07月07日 | 美術
 さいたま新都心に行く用事があったので、ついでに埼玉県立近代美術館に寄った。実質1時間くらいしかいられなかったが、それでも日常から離れた静かな時間を過ごすことができた。

 わたしは地方都市の美術館巡りが好きなので、同館も一度訪れたことがある。今回は2度目。現在は常設展のみ開催中。

 同館の目玉、モネの「ジヴェルニーの積みわら、夕日」も展示されているが、わたしの今回の目的は斎藤豊作(さいとう・とよさく)という画家の作品を見ることだった。

 斎藤豊作は1880年(明治13年)に埼玉県の大相模村(現・越谷市)で生まれた。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、1906年(明治39年)に渡仏。パリの美術学校で学び、さらにブルターニュ地方のポン=タヴェンに移り住んで修行を続けた。1912年(明治45年)に帰国。在野の美術団体「二科会」の創立メンバーの一人となった。1914年(大正3年)、来日中のフランス人画家カミーユ・サランソン(1883‐1969)と結婚。1920年(大正9年)に再渡仏。以後、日本には帰らなかった。1951年(昭和26年)没。

 斎藤豊作の生涯を要約すると、以上のようになるが、豊作がほんとうに自分の画風に目覚めたのは、渡仏してから、それもポン=タヴェンに移ってからのようだ。本展では当時描かれた「残れる光」(1910年頃)という風景画が展示されているが、そこに溢れる明るい陽光は、自分の画風を見出した瑞々しい喜びのように感じられた。

 帰国後、再渡仏する前年の1919年に描かれた「雨後の夕」と「雪後の夕」に、わたしは感銘を受けた。なにかを思い詰めた人の心象風景のように感じられた。両作品とも、雨が降った後、または雪が降った後の山岳風景。空は暮れなずんでいる。山麓には農家が数軒身を寄せ合っている。両作品を見ていると、豊作は再渡仏したら日本には戻らないと、当時すでに覚悟していたのではないかと思われた。

 さらにじっくり見ると、ニュアンスの違いも感じられた。「雨後の夕」は荘重な風景画で、当時の豊作の重々しい覚悟が感じられた。一方、「雪後の夕」にはむしろ透明な空気感があり、覚悟が決まった豊作の澄み切った心境が感じられた。当時の豊作には両面があり、その反映だったかもしれない。

 豊作は再渡仏後、1926年に古城を買った。フランスの古城に住んだ日本人画家だった。
(2017.7.6.埼玉県立近代美術館)

(※)同館のHP

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