Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2017年07月02日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィ/N響のCプロ。前半はシューマンが2曲で歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲とチェロ協奏曲。どちらも好きな曲だが、演奏会で聴くと意外に地味に感じるものだと思った。同時に、そういう地味な曲をやることもオーケストラには必要で、それをパーヴォはやっているとも思った。

 チェロ協奏曲のソリストはターニャ・テツラフ。ヴァイオリンのクリスティアン・テツラフの妹。なかなか優秀な人だ。ほとんど出ずっぱりのこの曲を、集中力豊かに弾ききった。テクニックが安定していることはいうまでもないが、加えて音楽の襞に分け入り、陰影濃やかな演奏を聴かせた。

 アンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第3番からサラバンドが演奏された。バッハの深遠な世界を見つめるというよりも、バッハの曲をつま弾くというか、バッハの曲で一人遊びをするような風情だった。

 プログラム後半はシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。第1楽章冒頭のホルン2本のユニゾンが美しく、それに続く長い序奏の間、ずっとファゴットがくっきり聴こえてきた。主部に入ると、堅固に構築され、厳しく彫琢された演奏が続いた。それは第2楽章以降も同様で、全体を通して、揺るぎのない、堂々とした演奏になった。

 どこをとっても文句のつけようのない演奏。わたしはまるで大理石の彫刻を見るような想いがした。終演後、聴衆の拍手喝采は盛大だった。

 だから、これで十分なのだが、わたしは少し寂しかった。満たされない想いが残った、といったほうがいいかもしれない。わたしが好きなシューベルトが、急に立派な人になって、手の届かないところに行ってしまったような気がした。弊衣蓬髪で少しだらしのないところがあったシューベルトが、突然、一部の隙もない上等な服に身を包んで現れたような気がした。

 周知のように交響曲第8番「ザ・グレート」は、かつてはシューベルトが亡くなる1828年の作品と考えられていたが、その後、シューベルトが1825年にグムンデン~バート・ガスタインへ旅行した折に作曲され、その後失われた「グムンデン・ガスタイン交響曲」ではないかとされ、さらに同交響曲を基に書かれた曲ではないかと考えられるようになった。

 いずれにしても、シューベルトが生涯でもっとも楽しい日々を過ごした記憶が込められた曲。明るく、楽しく、乾いた演奏がふさわしいのでは。
(2017.7.1.NHKホール)

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