Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

宮本三郎記念美術館「Journeys――宮本三郎 旅する絵画」展

2025年02月28日 | 美術
 自由が丘駅から歩いて数分のところに宮本三郎記念美術館がある。洋画家の宮本三郎(1905‐1974)の住居兼アトリエがあった場所だ。同館では今「Journeys―宮本三郎 旅する絵画」展が開催されている。

 宮本三郎は第二次世界大戦中の戦争画と戦後の(それも晩年になってからの)鮮烈な色彩の裸体画のイメージが強い。本展はそれらの、いわば表の顔とは違った、旅先で描いた風景画を追った企画展だ。素顔の宮本三郎がうかがえる。

 チラシ(↑)に使われている作品は「風景/柴山潟の四手網漁」(1944年頃)。宮本三郎が故郷の石川県に疎開したときの作品だ。全体に靄のかかったような画面がターナー(1775‐1851)を連想させる。だが一般的に宮本三郎とターナーが結び付けられることはない。本作かぎりの偶然だろう。おもしろいことに、本展に展示されている「風景/虹」(1944年頃)はターナーと同時代人のコンスタブル(1776‐1837)を連想させる。荒れた野原、嵐が去った後の雲が渦巻く空、そこから射す日の光と大きな虹という諸要素は、コンスタブルの「虹が立つハムステッド・ヒース」と似ている。

 上記の2作品から感じられることは、一種の虚脱感だ。宮本三郎は疎開の直前まで劇的でヒロイックな戦争画を描いていた。しかし体調を壊して故郷に疎開した。そのときの心象風景はこうだったのかと。思えば、宮本三郎は1938年に初めて渡欧して、パリの画塾に学びながら、ヨーロッパの絵画をどん欲に吸収した。しかし、第二次世界大戦の勃発のため、翌年帰国して、従軍画家として戦地を飛びまわった。そんな慌ただしい年月を送った後での故郷への疎開だ。気が抜けたのだろうか。

 本展には1938年の渡欧時の作品も展示されている。本展のHP(↓)には「郊外の町」(1939年)の画像が掲載されている。明るくナイーブな色彩が印象的だ。でも、わたしはむしろ水彩画の「フィレンツェ 風景」(1938‐39年頃)と「町並み」(1939年)のほうが気に入った。伸びやかな線が好ましい。

 宮本三郎は1952年にもう一度渡欧した。フランス、イタリア、スペイン、ギリシャをまわった。本展にはそのときの油彩画が4点展示されている。前記の1938年の渡欧時の作品と比較すると、西洋の風土・文化と対峙する緊張感が感じられる。

 戦後の復興期の作品が印象的だ。「夕暮れの公園」(1964年)や「夜景」(1964年)は多くの人が行きかう都会の賑わいを描く。だが、どこか、心ここにあらずという感がただよう。宮本三郎と戦後復興との距離感を感じる。
(2025.2.12.宮本三郎記念美術館)

(※)本展のHP
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