Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ファジル・サイ

2010年07月10日 | 音楽
 日本フィルの7月定期は広上淳一を指揮者に迎えて次のプログラム。
(1)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(ピアノ:ファジル・サイ)
(2)スクリャービン:交響曲第2番

 目玉はファジル・サイの登場だ。1970年生まれのトルコのピアニスト。私は、名前は知っていたが、演奏をきくのはCDをふくめて初めて。さてどういう演奏をするのか。

 第1楽章のオーケストラの提示部は、起伏の大きい、濃厚な表情付け。「おや、これはどうしたことか」と思っていると、ピアノが入ってきて、そのわけがわかった。ピアノはオーケストラを上回る思い入れたっぷりの演奏だったから。個性的というよりも、自らの感性を恃んだ演奏。感性の赴くままに、好きで、好きでたまらない音楽に没入している様子だった。

 顔の表情が千変万化だった。恍惚としたかと思えば、オーケストラのほうを向いて笑ったり、クシャクシャに歪めたり。おまけにピアノを弾いていないほうの手は、指揮者のように動いていた。

 カデンツァは自作のものと予告されていた。どういうものかと期待が高まった。リストのように音の多い華麗な部分の後、極端に音が薄くなって、アンティークなオルゴールのような音楽になった。意外性に富むカデンツァだった。

 終演後は大きな拍手。アンコールが演奏され、これも面白かった。左手をピアノの中に突っ込んで、弦を押さえながら、右手で鍵盤をたたく特殊奏法が入っていた。この奏法によって撥弦楽器のような音が出ていた。その音型は中東を連想させるオリエンタルなもの。休憩時にロビーに貼り出された曲名は「ブラック・アース」。自作とのことだった。プログラム誌のプロフィールによれば、CDも出ている由。いつかCDをきいてみたいと思った。

 スクリャービンの交響曲第2番は、実演できく機会はまずない。もちろん私も初めてだ。スクリャービンが神秘主義に入る前の作品で、ざっくりいうと、ラフマニノフ的といえなくもない。ただラフマニノフほど甘くはない。全5楽章から成る。明るく終わる最終楽章は紋切り型だが、それまでの楽章は情緒が細やかで、きき応えがあった。

 楽員は、「この譜面をみるのは初めて」という人がほとんどだったろう。その意味では、よくまとめていたというべきだ。だが、「ここまでまとめました」という以上のものがほしかったのも事実。どこかよそよそしいところがあって、内から湧き上がるものが不足していた。
(2010.7.9.サントリーホール)

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