Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

サントリーホール サマーフェスティバル:リトゥン・オン・スキン(2)

2019年08月30日 | 音楽
(承前)「リトゥン・オン・スキン」の台本について、もう一言付け加えると、その特徴的なスタイルをどう考えるか、という問題がある。たとえば少年が、普通なら「……」というところを、「……と少年はいう」というふうに、自分で「と少年はいう」を加える。他の登場人物も同様だ(たとえば女が「……と女はいう」という具合に)。極端な例では、台詞ではなく、ト書きを読んでいるような場合さえある。登場人物が動作をしながら、その動作を説明するのだ。

 今回は演奏会形式(セミ・ステージ形式)なので、このスタイルが生きたともいえるが、本質的には舞台形式で観たときに、このスタイルがどう映るかだ。少なくとも、歌手と歌詞と、それを観ている観客との間に、ある種の軋みが生じることは考えられる。それを異化効果といって済ませるのか、それとも別の微妙な事柄の成立を感得するのか。

 ジョージ・ベンジャミンが付けた音楽は、爆発的なフォルテの箇所もあるが、基本的には、薄く、透明で、微妙に変化する音色の(感覚的には、内側から微光を放つような)音楽になっている。とくに印象に残るのは、第4場で少年のカウンターテナーとアニエスのソプラノが混然一体となって溶け合う箇所、第6場でグラスハーモニカとバス・ヴィオラダガンバが幽かに奏され時間が静止したように感じられる箇所、そして第15場でグラスハーモニカが一貫して鳴らされ異空間が広がる箇所だ。

 少年役へのカウンターテナーの起用は、決定的な意味を持っていた。上記のような薄く、透明なオーケストレーションと、カウンターテナーの澄んだ声と、グラスハーモニカの幽玄な音色とが、このオペラの基本的な音響を決定づけた。

 演奏には細心の注意を要する作品だろうが、今回の大野和士を中心とする、都響、カウンターテナーの藤木大地、ソプラノのスザンヌ・エルマーク(アニエス役)、バリトンのアンドルー・シュレーダー(プロテクター役)の布陣は完璧だった。メゾ・ソプラノの小林由佳、テノールの村上公太を含めて、画期的な演奏を達成した。

 わたしは一日目と二日目と両方行ったが、一日目の緊張の極限までいった演奏と、二日目のオペラ的な余裕のある演奏と、多少の違いがあった。

 演出、映像監督、衣装を担当した針生康(はりうしずか)は、(ブリュッセル近郊で撮ったと思われる)映像と、舞台上で踊る男女のダンサーを起用し、とくに映像が驚くほど鮮明かつ(映画のように)雄弁なので、一日目は気になって仕方がなかったが、二日目は、映像が消えて、黒いスクリーンに字幕だけが映る箇所が何か所かあることに気付いた。一日目はどうしてそれを意識しなかったのだろう。(了)
(2019.8.28&29.サントリーホール)

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