97歳になったブロムシュテットが振るN響の定期演奏会Aプロ。1曲目はオネゲルの交響曲第3番「典礼風」。第1楽章「怒りの日」が始まる。激しい音楽だが、その音に濁りがある。どうしたのだろう。N響らしくない。また(激しさとは別の)力任せなところがある。音に緊張感がなく、緩さがある。ブロムシュテットらしくない。
ブロムシュテットらしさが現れたのは、最後の第3楽章「われらに安らぎを与えたまえ」の後半になってからだ。前半の闘争的な音楽が終わり、ふっと平穏な音楽に転じると、やっと音に艶が出て、演奏に集中力が感じられた。
会場は拍手喝采だった(言い遅れたが、ブロムシュテットがコンサートマスターの川崎洋介の腕につかまって登場したときから拍手喝采だった)。だが、演奏としては、どうだったのだろう。もちろんそういうわたしだって、97歳の指揮者がオーケストラの前で指揮する姿に感動しないわけではなかったが。
2曲目はブラームスの交響曲第4番。第1楽章が始まる。意外にテンポが速い。その後もメリハリのある造形だ。ブロムシュテットの型ができあがっていて、その型が微動だにしないことが感じられる。それは立派なことだが、それを踏まえていえば、型にしたがって流れていくところがある。
第2楽章も同様だ。メリハリはあるのだが、音楽が深まらない。意外に良かったのは第3楽章だ。明るい音色に爽快感があり、快適なテンポで進む。第4楽章はそれまでの疑問を帳消しにするような見事な演奏になった。彫りが深く、ゆったり呼吸して、味わい深い演奏が続いた。もちろん会場は大喝采だった。
だが全般的にいえば、さすがに97歳ともなり、オーケストラのコントロールは弱まったようだ。それは仕方のないことかもしれない。考えてみれば、最晩年のカール・ベームがウィーン・フィルの来日公演で聴かせ、また最晩年のアンドレ・プレヴィンがN響を振って聴かせたような、テンポが極端に遅くなり、自分の中にこもったような演奏ではなかったことが、それ自体驚嘆すべきことかもしれない。
コンサートマスターは川崎洋介が務めた。大きな身振りで、ときには立ち上がらんばかりに演奏した。必要最小限の動きしかしないブロムシュテットに代わってN響を牽引しているように見えた。むしろN響を煽るように見えたこともある。でもそれはほんとうにブロムシュテットの意を汲んだものだったのだろうか。わたしには一種の過剰さが感じられた。結果、ブロムシュテットの心象風景に触れられないもどかしさが残った。
(2024.10.20.NHKホール)
ブロムシュテットらしさが現れたのは、最後の第3楽章「われらに安らぎを与えたまえ」の後半になってからだ。前半の闘争的な音楽が終わり、ふっと平穏な音楽に転じると、やっと音に艶が出て、演奏に集中力が感じられた。
会場は拍手喝采だった(言い遅れたが、ブロムシュテットがコンサートマスターの川崎洋介の腕につかまって登場したときから拍手喝采だった)。だが、演奏としては、どうだったのだろう。もちろんそういうわたしだって、97歳の指揮者がオーケストラの前で指揮する姿に感動しないわけではなかったが。
2曲目はブラームスの交響曲第4番。第1楽章が始まる。意外にテンポが速い。その後もメリハリのある造形だ。ブロムシュテットの型ができあがっていて、その型が微動だにしないことが感じられる。それは立派なことだが、それを踏まえていえば、型にしたがって流れていくところがある。
第2楽章も同様だ。メリハリはあるのだが、音楽が深まらない。意外に良かったのは第3楽章だ。明るい音色に爽快感があり、快適なテンポで進む。第4楽章はそれまでの疑問を帳消しにするような見事な演奏になった。彫りが深く、ゆったり呼吸して、味わい深い演奏が続いた。もちろん会場は大喝采だった。
だが全般的にいえば、さすがに97歳ともなり、オーケストラのコントロールは弱まったようだ。それは仕方のないことかもしれない。考えてみれば、最晩年のカール・ベームがウィーン・フィルの来日公演で聴かせ、また最晩年のアンドレ・プレヴィンがN響を振って聴かせたような、テンポが極端に遅くなり、自分の中にこもったような演奏ではなかったことが、それ自体驚嘆すべきことかもしれない。
コンサートマスターは川崎洋介が務めた。大きな身振りで、ときには立ち上がらんばかりに演奏した。必要最小限の動きしかしないブロムシュテットに代わってN響を牽引しているように見えた。むしろN響を煽るように見えたこともある。でもそれはほんとうにブロムシュテットの意を汲んだものだったのだろうか。わたしには一種の過剰さが感じられた。結果、ブロムシュテットの心象風景に触れられないもどかしさが残った。
(2024.10.20.NHKホール)