Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

森鴎外「阿部一族」(2)

2023年01月09日 | 読書
(承前)
 「阿部一族」には前回取り上げた林外記(はやし・げき)以外にも興味深い人物が多い。中でも特異な存在感を放つのが柄本又七郎(つかもと・またしちろう)だ。又七郎は阿部邸の隣家に住む武士。阿部家と柄本家は日頃から親しく交わる仲だった。とくに又七郎は阿部家の二男・弥五兵衛と親しかった。二人は槍の腕前を競い合った。

 阿部一族が屋敷に立てこもり、明朝には討手(討伐隊)が攻め込むという前夜、又七郎は女房をひそかに阿部家に行かせ、慰問する。「阿部一族の喜は非常であった。」(岩波文庫より引用)とある。だが、又七郎はこうも考える。少々長いが、引用すると、「阿部一家は自分とは親しい間柄である。それで後日の咎もあろうかとは思いながら、女房を見舞いにまで遣った。しかしいよいよ明朝は上の討手が阿部家へ来る。これは逆賊を征伐せられるお上の軍も同じ事である。御沙汰には火の用心をせい、手出しをするなといってあるが、武士たるものがこの場合に懐手をして見ていられたものでは無い。情は情、義は義である。」(同)と。

 一夜明けて討手が阿部家に攻め込むと、又七郎は庭越しに阿部家に侵入し、弥五兵衛と槍を交えて、「弥五兵衛の胸板をしたたかに衝き抜いた。」(同)。

 又七郎のこの行為をどう考えるか。わたしには、せっかく前夜に見せた勇気ある心配りを台無しにする行為だと思えるが……。また上記の理屈は(少なくとも現代の目で見れば)硬直的なように思えるが。

 又七郎については後日談がある。阿部一族の討伐が終わったとき、又七郎に「第一の功」(同)が与えられる。又七郎は親戚朋友に笑って、こういう。「元亀天正の頃は、城攻野合せが朝夕の飯同様であった。阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子じゃ」(同)と。これを豪傑というのだろうか。わたしには愚鈍な人物に思える。

 又七郎が特異な存在感を放つのは理由がありそうだ。「阿部一族」は「阿部茶事談」(明和2年(1765年)、谷不泄編)という資料に依拠している。当資料は栖本又七郎(「阿部一族」では柄本又七郎)の証言に基づく。それゆえ又七郎の存在感が肥大化しているのではなかろうか。

 最後に、森鴎外はそもそも殉死をどう考えていたか、という問題に触れたい。「阿部一族」の成立経緯からいって(「阿部一族」は明治天皇の死去にともなう乃木希典の殉死を契機に書かれた)、殉死を否定してはいない。だが、それにしては、殉死をめぐる武家社会の意地の張り合いを事細かに書いている。陸軍の高級官僚だった森鴎外は、あえて尻尾をつかませない書き方をしているような気もする。
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