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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

キスまでの距離 村山由佳

2006年12月17日 | 小説
 美術教師のかれんはこんな授業をする。
・自分がイタリア旅行をした時の体験談。
・独断と偏見に満ちた絵画解説。
・絵の課題「SF小説の挿し絵」
・絵の課題「名画のパロディ」(例・ムンクの「叫び」の男をジェットコースターに乗せる)
 こんな受験勉強の息抜きになる授業をするかれんは人気者だ。
 おまけに美人だから、「きれいな姉貴」として男子生徒のあこがれの的。
 そんなかれんと主人公の勝利は訳あっていっしょに暮らしている。
 友人たちはいっしょに暮らしていることを知らないが、もし知ったら「ほんとォォにイトコ同士なんだろうなとか、恋人はいるのかとか、家での彼女はどんなだとか、手料理はうまいかとか、寝る時はパジャマかネグリジェかとか、下着は何色だとか」いろいろ詮索するだろうなと勝利は思っている。
 そして家での実際のかれんは学校の「きれいな姉貴」とは正反対の状態。
 朝は弱いらしく勝利が作った朝食を遅く起きてきて食べる。
「髪はぐしゃぐしゃにもつれ、頬にはまくらの後がついている」
 この生活感とギャップがいい。
 かれんをキャラクターとして魅力的にする。
 
 さて、こんなかれんに今まであまり人に関心を示さなかった勝利が恋してしまう。
 この恋の描写がいい。
「こうして並んで歩いたり同じ電車に隣り合ってすわったりしてみると、何だか今までの一ヶ月を無駄に使ってしまったような、とてももったいないことをしたような気さえしてくる。こんなのは初めてだった。何なのだろう、この気持ちは? この甘酸っぱい、思わず叫びだしたくなるほど、凶暴な気持ちはいっったい……?」
 恋を「凶暴な気持ち」と表現してしまう所が素晴らしい。

 こんな描写もある。
「どうして僕がこんなにまでして彼女の世話をやかなければならないのだろう? いや、そもそもどうしてこんなにも、彼女の一挙一動が気になってしまうのだろう?」
 これは明らかに恋の気持ちだ。
 日曜日に必ず千葉の方へ外出するかれん。
 勝利はその理由を確かめたいと思ってかれんの後をつける。
 そして思う。
「(後をつけることは)人の手紙を黙って開けて見るような後ろめたさがある。けれど、あんなに沈みがちな彼女を、これ以上、手をこまねいて見ていることは僕にはできなかった。僕にできることは何でもしたい。そして、かれんの方でも心の底ではそれを望んでくれるようにと、僕は祈った」
 自分がすることをかれんも望んでほしい(「おせっかい、あなたなんかに関係ない」と言ってほしくない)。
 こんなふうに恋の表現が出来てしまう所に作家の力量を感じる。

 そして自分のかれんへの気持ちに気づく勝利。
「僕はいつのまにか、一人の女としてかれんを好きになってしまったのだ。恋には必ずきっかけがあるものと、もし決まっているなら、人生どんなにわかりやすだろう。だが、人の感情なんてそう簡単にはいかないものだ。少なくとも僕の場合、これといったきっかけなんて、思い返してもどこにも見当たらなかった。ただ、一緒に日々を暮らして、同じことを笑ったり怒ったり感動したりしているうちに、ゆっくりと、静かに、昨日よりは今日、今日よりは明日というように、毎日少しずつ気持ちが確かになっていく……。僕のはそんなふうな好きのなり方だった」

 こんな恋の思いこみもある。
「彼女の目から見たら僕なんかたぶんまだまだガキで、お話にもならないと言われるかもしれない。それでも、どういうわけか確信していた。自分ならば、いや自分だけが彼女を守れる、と。彼女にそれをわからせるのは一苦労だろうが、いつかは説得できる自信さえあった」
 また、こんな恋の不安もある。
「でも、と僕は思う。これはもしかしたら、僕の中で始まり、そして終わってしまう恋かもしれない。あるいは『風見鶏』のマスターによって奪い去られてしまう恋かもしれない。そのことだけは覚悟しておかなければならない」

 村山由佳の「キスまでの距離」は、恋愛の気持ちを的確に表現した作品である。

★追記
 同じく恋の気持ちを表現した文章。
「かれんの笑った顔、眠そうなあくびや、布の染まり具合を確かめる真剣な目、暖かなアルト、心持ち首を傾げながらゆっくりと話すくせ……。そういうふとしたしぐさのひとつひとつが僕を惹きつけてやまない。あの救いがたいトロくささも、常識からズレまくっているところも、とにかく全部ひっくるめて、僕には彼女しか考えられなかった」
 通常の作家なら「全部きっくるめて、僕には彼女しか考えられなかった」とだけ書くところ、こんなにも言葉を尽くして書いている。
 <具体的な描写><同じニュアンスの内容を積み重ねていくこと>、小説の文章表現として把握しておきたい。

 
コメント
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