平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

死の接吻 アイラ・レヴィン

2006年12月27日 | 小説
 アイラ・レヴィンの「死の接吻」。
 1953年に出版されたサスペンス・ミステリーの古典だが、おしゃれな表現形式でグイグイ読ませていく。

 まず「彼」という表現形式。
 犯人は「彼」という形で描かれる。
 これは犯行を決心する時の描写。
「これは純然たる思惟の域を出ないものだった。もう少し細部の点を検討しようと思った。しかし、そのレストランを出て街を戻っていく時の彼の足取りはしっかりして、確信に満ちた不安のないものになっていた」
 思いつきだった殺人計画を実行する決心する彼。
 怖ろしいシーンだが、ここで特筆すべきは「彼」で表現されているため、読者には犯人が誰だかわからないということだ。
 作品中にはメインで3人の男性が出て来る。彼らは皆怪しい。
 読者は「彼」とは誰なのだろうと興味を引かれるわけだ。
 映像では出来ない面白い仕掛けだ。

 構成も気が利いている。
 物語は3ブロックに分かれている。
 「ドロシイ」「エレン」「マリオン」
 いずれも女性の名。しかも3姉妹の名だ。
 犯人は彼女らの父親の財産を狙い、三姉妹と結婚しようとしている。
 犯人はその目的のため三姉妹に近づくわけだが、ドロシイが妊娠したことから歯車が狂い出す。
 妊娠したドロシイはふしだらな娘として父親に勘当される。
 それでは財産が得られないため、彼はドロシイを殺すのだ。
 そしてエレン。
 彼女はドロシイの死に疑いを持ち、捜査を始めた。
 そして彼に迫る証拠を得たため、殺されてしまう。
 最後に残ったのはマリオンだ。
 犯人はドロシイ、エレンからマリオンの好みを聞き出していたから、マリオンは彼を自分の理解者だと思い、恋に落ちてしまう。
 そして……。
 「ドロシイ」「エレン」「マリオン」
 この事件、キャラクターによる構成はシンプルだが、それが逆に小気味いい。
 三幕劇の舞台を見ている様だ。

 そして文章。
 基本的には短い文章の積み重ねで書かれている作品だが、同じ意味のことを何度も言い換えている所に作家の筆力を感じる。
 以下はドロシイは犯人の渡した毒薬(ドロシイは別の薬だと思っている)を飲まずに学校にやって来たシーン。
 今頃は自室で死んでいるだろうと思っていた彼はドロシイを見て驚愕する。
「ショックが、溶岩の流れの様な熱気が。全身をつらぬいた。思わず腰をあげかけて、全身の血が顔に噴き上がり、胸がじいんと凍りついた。冷や汗が噴き出して何百万とも知れぬ毛虫のように這いまわった」
「ああ、畜生! こいつ、あの錠剤をのまなかったな! のめなかったんだ! 嘘をつきやがった! 畜生! 嘘つき牝犬め!」

 同じ意味の文章を積み重ねることで「彼」の混乱が伝わってくる。
 こんな描写もある。
 犯人探しをしているエレンが犯人候補のふたりに行き着いた時の描写だ。
「ふたりともブロンドだった。ふたりとも青い眼をしている。ふたりとも美貌だった」
 これは映画のカット割りを見ている様な文章。
 事実を積み重ねて描写していくことで、このふたりが犯人であると思えてくる。

 この様にアイラ・レヴィンの「死の接吻」は小説としての面白さと共に、様々な小説のテクニックを見てとれる。
 作家志望の方にはぜひご一読いただきたい作品だ。
 
コメント
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