平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

N’s あおい SP

2006年12月31日 | 職業ドラマ
 録画で遅まきながら見た「N’s あおい」SP。

 ドラマの構造は「理屈」対「感情」だ。
 ドラマはこの対立に沿って展開される。

 「理屈」は夏目彬(石田ゆり子)。
 彼女は科学的根拠に基づいた医療を合理的にこなし、残業も一切しないアメリカ流を貫く。
 「感情」は美空あおい(石原さとみ)。
 彼女は患者の心を大事にする。
 心で接する。

 夏目の主張はこうだ。
 患者のひとりひとりの心にまで関わっていたら、いくら時間があっても足りない。その分、最新医療技術の研究や勉強に時間を費やした方がよほど患者のためになる。また情にとらわれて判断を誤ることもある。

 夏目の言うことはある意味正しい。
 あおいは、花村(織本順吉)の心・望むことを理解しようとして膨大な労力と時間を使う。仏壇をハムごはんと勘違いしたりして。
 暴れる花村のために15分に1回の巡回をしなくてはならない。拘束した方が楽なのに。
 そのためヘトヘトになるあおい。
 新人はその泥臭いやり方についていけない。
 
 しかし「感情」は時として「理屈」を突破する。
 ボツリヌス菌による集団食中毒。
 懸命に苦しむ患者を助けようとするあおいの姿にまわりは心動かされる。
 患者を助けることに理屈はいらない。
 そして病院を抜け出した花村。
 花村の願いは、妻の仏壇にごはんをあげること。
 あおいはその願いをやっと理解し、すぐに病院に連れて行こうとする夏目にこう言う。
 「先生は病気だけを見ていて患者さんを見ていません」
 花村を自宅に連れていくあおい。
 そして花村から「アリガトウ」のメッセージ。
 心が通い合う瞬間。
 「理屈」「理論」は病気を救えるかもしれないが、心は救えない。

 ラスト。
 この議論の結論は高樹(柳葉敏郎)の言葉によってこう描かれる。
「俺たちの仕事に100点満点はないんじゃないのか?」
 夏目のやり方をしていけば、花村ひとりに関わっているあおいより多くの人を救えるかもしれない。研究をして医療技術を生み出せば、より多くの人が救えるかもしれない。
 一方、あおいのやり方は花村をその心も含めて救うことが出来た。
 人は何かを得れば何かを失う。
 大勢の命を救おうと思えば、ひとりの心が失われる。
 ひとりの心を救おうと思えば大勢の命が失われる。
 それはどちらが正しいとは言えない。
 だから高樹は100点満点はないという。

 「理屈」対「感情」、この対立軸で作られた「あおい」SP。
 しかし、何と言っても心を打つのはあおいのひたむきな姿だ。

 食中毒の患者を助けようとする姿。
 花村のことを何とか理解しようとする姿。
 これが見る者の心を打つ。
 人は理屈ではなく感情で動くもの。
 理屈よりも感情の方が強いものであることがわかる。

 だから理屈のキャラクターが感情をみせるとほろりとしてしまう。
 今回は夏目がそうだ。
 情に流されて兄を失った悔恨。
 兄のことで母親に責められて会いにいけない弱さ。
 これらのことが語られた時に視聴者は夏目に感情移入する。

 今後、ドラマを見る時、ドラマのキャラクターを見る時、「理屈」と「感情」の両軸から見てみると面白いかもしれない。

コメント
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