平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

篤姫 第42回「息子の死」

2008年10月20日 | 大河ドラマ・時代劇
★生きてさえいれば
 今回は様々な夫婦の形。
・帯刀(瑛太)とお近(ともさかりえ)
・龍馬(玉木宏)とお龍(市川実日子)
・和宮(堀北真希)と家茂(松田翔太)

 かたや夫の浮気で夫婦喧嘩、かたや新婚旅行、かたや政略結婚から発展した恋愛。
 この作品は夫婦の物語。
 そして夫婦の形は様々だ。
 だがこの3組の夫婦の妻に共通しているのは『夫が生きていてくれさえすればいい』ということ。
 生きていてくれさえいればいい。
 これは究極の愛でしょうね。
 夫婦は時に多くを望み過ぎて壊れてしまうが、お互いがこう思えれば。
 なかなか難しいことではありますが。

★お近さん
 今回はお近さんの心情に踏み込んだ。
 今までのお近は香をたしなむ大人の女性。
 しかし今回は嫉妬で怒り爆発。熱いお茶。
 勘が鋭いことも判明した。
 これで人間らしいキャラクターになったお近。
 しかし彼女が心の奥底に隠していたことも。
 「夫は本当に好きな女と結婚したのではない」
 この心情はせつないですね。
 幸せな夫婦生活にあっても時々こんな思いがよぎる。
 これでお近は十分に掘り下げられた。

★「男として何事かをなし得たか」
 こう言って死んでいった家茂。
 帯刀や大久保(原田泰造)も同じことを吐露していたが、これはこの時代に生きた男性の共通の心情だったのだろう。
 家定(堺雅人)は絶望から「何事もなさない」ことを信条としたが、これはなかなかかっこいい。

 家茂は家定とは逆の生き方をしようとしたのですね。
 そして何事もなし得ず半ば絶望のうちに死んでいった。
 この点で家定は実に聡明だ。
 彼は「現在の将軍は何事もなし得ないこと」を見通していた。

 動乱の時代。
 何事かをなし得るのは龍馬や大久保の様な何も持たない自由な人間だ。
 これが平和な時代だと組織の中にいる人間は強い。
 組織の頂点にいる将軍は望めば自分の力を最大限にふるうことが出来る。
 家定、家茂にそれが出来なかったのはやはり徳川幕府が時代についていけなくなったからであろう。
 攻める側と守る側。
 この作品は歴史を守る側の視点で描いている。

※追記
 「夫が生きてさえいてくれればいい」
 これは一面、世の男性にはなかなか都合のいい論理。
 「浮気をしても生きていてくれれればいい」
 こう世の女性が考えてくれれば……笑。
 島田紳介さんは「浮気をしちゃいけないと学校で教えてもらったことはない」と独自の論理を展開していたが、それに通じるものがある。


 
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ブラッディ・マンデイ 第2話

2008年10月19日 | 推理・サスペンスドラマ
 1時間の中にワンシーンでもハッとするシーンがあるとドラマは引き立ちますね。
 今回は藤丸(三浦春馬)とマヤ(吉瀬美智子)先生。
 データをダウンロードする藤丸。
 しかしマヤが迫る。
 マヤのバッグには銃。
 藤丸はいったん部屋の外に出る。
 財布を忘れたから先生が帰ってくるのを待っていたと言い訳。
 マヤとのやりとりでダウンロードが完了する時間稼ぎをする藤丸。
 音弥(佐藤健)には状況を知らせるため電話。
 「先生といっしょで襲われそうだよ」
 これはふたつの意味を持つセリフ。
 ふたりのさぐり合いは続く。
 しかしマヤはコンピュタに刺さったチップでダウンロードしていることに気づいてしまう。
 一方、藤丸もマヤのアリバイを崩して正体を言い当てる。
 「12月24日に日本にいてもおかしくない。ロシアのクリスマスは1月7日だから」

 アクションシーンでなく部屋の中でふたりでしゃべっているだけのシーンだが、緊張感がある。
 お互いのさぐり合いが楽しい。出された紅茶とケーキにさえ何か入っているのではないかと思ってしまう。
 おまけに男子生徒と女教師という怪しい雰囲気も。
 24日のアリバイくずしの件もいったん保留にしておいてラストで種明かしするのは気がきいている。
 見事なシーン作りだ。

※追記
 第3話で藤丸は音弥に電話をかけていなかったことが判明。
 実はサードアイにかけて通話を切っていなかった。
 結果マヤとのやりとりがサードアイのメンバーに筒抜けになった。


 
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ロンドンハーツ SP 10/14

2008年10月17日 | バラエティ・報道
★キモイとカワイイの間
 10/14のロンドンハーツSPはお馴染みのブラックメール。
 メインは狩野英孝×秋山莉奈。
 テレビは覗き見のメディアだが、狩野さんが右往左往する姿を見て楽しむのはまさに覗き見。
 それにしても芸人さんって因果な商売ですね。
 覗き見されて笑いにされてお金をもらっている。

 狩野さんが女性を口説こうとして右往左往する姿はある意味人間的。
 見栄を張って格好つけて。
 男性なら誰にでも「あるある」と思えるもの。(オリジナルソングはないけど)
 さてここからが形容詞の怖ろしさ。
 この狩野の行為を人間らしくてカワイイと評価されればいいのだが、キモイと取られると最悪。
 番組ではロンブーの淳さん以下、「キモイ」を連発。
 これで狩野さん=キモイが決定してしまった。
 もし淳さんが「人間らしくてカワイイ」とコメントしていたら評価は180度違っていた。
 ここに形容詞の怖ろしさがある。
 形容詞は人を評価する言葉。
 一時「キモカワイイ」「エロカッコイイ」という言葉が流行ったが、これはなかなか見事な言語感覚。
 マイナスとプラスの要素が合体している。
 若者言葉を批判する人がいるけど、この様に若者言葉はなかなか豊かです。

 それにしても「キモイ」とレッテルを張られてしまった狩野は今後この言葉を背負った芸風でいかなくてはならない。
 大変でしょうね。
 どうレッテルを貼られるかはタレント生命を左右する。

★『ビューティフル女芸人 奇跡の1枚グランプリ』
 もうひとつの企画『ビューティフル女芸人 奇跡の1枚グランプリ』はある意味ブラックメールとは正反対の企画。
 ブラックメールがマイナスイメージに向かうのに対し、奇跡の一枚はプラスイメージに向かう。
 美しく変身した女芸人に評価を改めた人もいるだろう。
 プラスに向かう企画、マイナスに向かう企画。
 これら相反する要素が混在する「ロンドンハーツ」はまさにバラエティの名にふさわしい。

※追記
 言葉について言うと『おバカ』という言葉。
 『バカ』だとマイナスイメージだが、『おバカ』だとプラスに転じる。
 実に日本語は豊かだ。


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セレブと貧乏太郎

2008年10月16日 | ホームドラマ
★面白いですね。
 僕はこういうコメディタッチでグリグリ動く作品が好きです。
 ファッションショーも豪華だったし。
 役者さんも上戸彩さん、上地雄輔さんはもちろん、国仲涼子さん、ワンポイントの脇役で光る三浦理恵子さんも出ている。
 それに太郎(上地雄輔)の一番上の男の子は「エジソンの母」の賢人くんですよね。あのしゃべり方懐かしい。

 物語の構造はシンプル。
 美田園アリス(上戸彩)が人としての<基本の気持ち>を取り戻していく話。
 <基本の気持ち>とは、たとえば間違っていたら「ごめんなさい」と言うこと。何かをしてもらったら「ありがとう」と言うこと。
 太郎の幼馴染の安田幸子(国仲涼子)との三角関係、いや司(柏原崇)も交えた四角関係も楽しみ。

★「あなたの言ってることがわからない」
 今回一番インパクトがあったのが、このせりふ。
 デザイン盗用のことを太郎に問いつめられて「ありがとうと言え」と言われる。
 その時のアリスのせりふ。
 セレブのアリスには何かをしてもらったらありがとうと言うことが理解できないんですね。
 他人に何かをしてもらうことが当然の生活を送ってきたから。
 これを現在の社会に当てはめてみると少し怖ろしい。
 現在の勝ち組、セレブ、エリートと言われている人は多かれ少なかれアリスの様な心の持ち主なのではないか?
 幸子は簡単に派遣の契約を打ち切られ、一生懸命描いたデザインは軽視される。
 おそらく企業のトップや官僚の皆さんはこんな感じなのだろう。
 ひとりひとりのことなどかまっている暇もない。
 そしてアリスに象徴されるディスコミュニケーション。
 「言ってることがわからない」
 この辺に作者のメッセージがあるのではないか?

★喜びの共有
 太郎の貧乏生活は同じ太郎の「山田太郎物語」でもお馴染み。
 けなげな弟、妹たち。
 これはドラマではよくある描写だが、貧乏の方が心通じ合っている気がする。
 たとえば一個の生卵でも喜びを共有できる。
 運転手の制服を着ただけでわいわい騒げる。
 これが現在の普通の家庭では食べ物で感動しないし、新しい洋服のことで盛り上がれるのはほんの少し。
 生卵ひとつで喜びを共有できる太郎は何とニワトリとも心を通わせることが出来る。
 太郎はタマゴを生んでくれたことに感謝し、ニワトリは自分を家族と認めてくれたことに感謝している。
 貧乏にも様々なものがあり、貧困の悲惨もあるのかもしれないが、太郎達の様な気持ちで暮らせれば貧乏でも楽しく生きていけるのでしょうね。

※追記
 「アテプリ」など破天荒な主人公は上戸彩さんの得意技だが、アパレルメーカーのトップとして部下に指示を出す演技もなかなか。
 わがままさの中にビジネスウーマンとしてのニュアンスも加えている。


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チーム・バチスタの栄光

2008年10月15日 | 推理・サスペンスドラマ
★もっとサスペンス溢れるミステリーかと思ったが、わりとほんわか。
 田口(伊藤淳史)のおじいちゃんがシャンプー使った話とかはいるのかな?
 おそらく本筋とは関係ないだろうしギャグにもなっていない。伏線だったらすごいけど。
 僕は土曜ワイドとかの2時間サスペンスものはあまり見ないんですけど、演出とか雰囲気は2時間サスペンスですね。
 フジテレビさんがやるのなら緊張感のあるもっと密度の濃い内容にしてほしかった。
 「白い巨塔」や「医龍」はそれぞれに人間ドラマがあったし1話から主人公が立っていた。今回は人物の上っ面を描いただけ。
 白鳥(仲村トオル)だけが何者かという点で興味を引く描かれ方をしていた。
 桐生(伊原剛志)の「人間は内臓の詰まった入れ物」発言も今や外科医の定番発言になってしまったしインパクトはない。

★主人公の描かれ方
 上っ面の描かれ方は主人公の田口もそうだ。
 田口は手術失敗の原因を調べ始めた手探りの段階で大きな葛藤を持つのは難しいのだろうけど、単なる<いい人>で終わってしまった。
 今後、この主人公をどう葛藤させていくんだろう?
 容疑者と思われるチーム・バチスタの人間ひとりひとりとの関わり→葛藤という感じになりそうだが、どこまで深く葛藤させられるか?
 今回、田口が葛藤したのは桐生だが「医者をやめないで下さい」ではやはり単なる<いい人>でしかない。
 同じ<いい人>でも「白い巨塔」の里見助教授は病院の威信と真実の間で葛藤したし、その結果自分の研究ができなくなり家族までも失われそうになってしまった。
 里見と田口をいっしょにするのは間違っているかもしれないが、あまりにも田口の描かれ方は上っ面過ぎる。
 「医者をやめないで下さい」という言葉も自分に何の責任も危害も及ばない善人の他人事の言葉だ。

 原作は映画にもなったエンタテインメント作品なんですよね。
 原作を読んでその描かれ方を比較・確認したい。


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ブラッディ・マンデイ

2008年10月14日 | 推理・サスペンスドラマ
 冒頭はセクハラ教師を懲らしめるために教師のパソコンにハッキング。
 教師の恥ずかしい映像を公開する主人公・高木藤丸(三浦春馬)。

★この作家さんは映像で描くということを知っている作家さんですね。
 通常なら「彼はすごいハッカーで云々」と説明する所、この描写で藤丸がどんなに人間かがわかる。

 映像重視の姿勢はハッキングのシーンでもそう。
 ロシアの軍事施設にハッキングする藤丸。
 そこで描かれるのが
 <軍事施設の通路を飛ぶ鷹(ファルコン)>
 これでハッキングしていることを描いている。
 これはなかなか斬新だ。
 その他の要素は『24』など海外ドラマを見ている人にはよくあるシーンだが、これは見たことがない。
 おまけにせりふがファルコンに掛けて表現されている。
 「ファルコンは飛んでいるか?」「ファルコンが獲物を捕まえれば」などなど。
 これが「ファルコンがハッキングしているか?」「ファルコンがハッキングに成功すれば」というせりふだったら味気ない。

★主人公の魅力
 藤丸の闘う動機も自然ですね。
 最初は関わることを避けていた藤丸。
 しかし父親の無実を証明するため、妹を助けるためといった動機で動き始める。
 個人的な理由からの行動だが、最後はテロの悲惨を目の当たりにして(結局は敵の予告・偽物だったが)闘う決意をした様子。

 藤丸が両刃の剣なのもいい。
 藤丸は味方にすれば心強いが、敵にまわれば怖ろしい。
 敵は藤丸の能力を逆利用して電力会社のハッキングをしようとした。
 今後も敵は藤丸を利用する作戦を考えているようだ。
 この様な両刃の剣の主人公の魅力。
 電力会社のハッキングをさせないために実は藤丸がジェイル(檻)を作っていたというひとひねりも見事だ。

★『24』ファンはニヤリとする。
 この作品、『24』ファンならニヤリとする。
 登場する公安の司令室はほとんど『24』のCTUの司令室。
 上官の執務室が二階でブラインドがあるのも同じ。
 おまけに分析官の女性がほとんど『24』のクロエ・オブライエン。
 上官に「どうなっている?」と聞かれて答えたせりふが「今、やっています」。
 まさにクロエのせりふだ。
 ウイルスで館内が閉鎖されるのは『24』シーズン3のミッシェルのシーン。

 その他、実は信じていた味方が敵だったなど『24』の要素が満載されている。
 この作家さん、『24』をよく研究されていますね。
 悪くいえばパクリですが。


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篤姫 第41回「薩長同盟」

2008年10月13日 | 大河ドラマ・時代劇
★薩長同盟のために奔走する小松帯刀(瑛太)。
 その目的は日本国のためであろうが、幕府からしてみれば『反・幕府』の行動。
 ここにのお琴(原田夏希)が現れたのは象徴的ですね。
 すなわち帯刀の天璋院(宮崎あおい)離れ。
 以前の帯刀なら自分の行動を天璋院はどう思うだろうかと考えた。
 しかし今回は天璋院に思いを馳せるという描写はなかった。
 帯刀の意識は「倒幕もやむなし」「天璋院よりもお琴」になっている?
 時代の流れはふたりの友情を壊してしまうのか?
 今後、帯刀がどう描かれるか楽しみだ。

★それにしてもこのドラマの男たちは現代的。
 家茂(松田翔太)は和宮(堀北真希)にひたすら優しく、帯刀は奔放なお琴にタジタジ。
 坂本龍馬(玉木宏)もお龍にやりこめられていた。
 現代は女性が強い時代だと思うが、幕末はどうだったのだろう?
 この作品を見る限り女性はひたすら強いが、視聴者が受け入れやすい様にアレンジされているのか?

 明治は家父長制で男が強い時代だった。
 男がひげを生やした時代。
 元来、男がひげを生やす時代というのは男が強い社会。
 明治になって大久保利通はひげを生やしていたが、幕末は生やしていない。
 だとすると明治になって男性社会に変わったのか?
 この辺は興味深い。
 
★音の記憶
 記憶には『音の記憶』というのもあるんですよね。
 天璋院の薩摩の絵屏風は視覚の記憶。
 観行院(若村麻由美)の死にあたり天璋院が用意したのは雅楽の演奏。音の記憶。
 これが史実なのかはわからないが実に見事。
 通常の発想なら京都の絵などを用意するはず。

※追記
 天璋院と和宮の関係についてはもう一度、溝を作りましたね。
 これで家茂が亡くなればさらに溝は深くなる。
 一方、薩摩と長州が江戸に攻めてくれば天璋院は大奥で孤立。
 そんなピンチの天璋院を支えるのが和宮というのが今後の物語展開でしょうか?


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スクラップ・ティーチャー

2008年10月12日 | 学園・青春ドラマ
★「がんばる」「信じる」「逃げない」で現実を変えられるか?
 今回のキイワードは「がんばる」「信じる」「逃げない」。
 しかし結論から言うと「がんばる」「信じる」「逃げない」で現実は変えられない様だ。
 というのは杉虎之助(上地雄輔)は何ひとつ自分で解決していない。
 全国統一テストをやることだって校長の鶴の一声。全然がんばっていない。
 ロッカーの鍵だってスーパー中学生・高杉東一(山田涼介)吉田栄太郎(知念侑李)入江杉蔵(有岡大貴)が助けてくれたから。
 しかも方法は『ヘリ』『ブルドーザー』『スカイダイビング』という荒唐無稽な方法。
 そういうドラマだからと言ってしまえばそれまでだが、このことは「がんばる」「信じる」「逃げない」では現実を変えられないことを示している。
 現在という時代は「がんばらない」「信じない」「逃げる」ということの方が懸命な生き方の様だ。
 そんな逆説を感じさせてくれるこの作品。

 こんなことも感じる。
 虎之助は生徒ために何と闘い、何にがんばればいいかわからない。
 いろいろ迷った末、対象として見出したのが『全国統一テスト』。
 闘う対象が校長や教頭、教育委員会や生徒の親でないのはいいのだが、全国統一テストというのは……?
 僕はよく理解できなかった。
 この辺は現代の閉塞感を反映している。
 現実を変えたくてがんばりたいと思っているが何に対してがんばればいいいのかわからない。
 教師は生徒のために何と闘えばいいのか?
 ワーキングプアの若者は何と闘えばいいのか?
 闘う対象、がんばる対象が明確でないのが現代の特徴だ。
 70年代の学生運動の時代は資本家と権力者という明確な闘う対象があった。
 高度経済成長の時代は勉強、仕事をがんばればいい生活を確保できた。
 だが現在はあまりにも社会が複雑になり、何と闘いがんばればいいのかが見えにくくなっている。

★僕はあまり批判はしないのだが、今回はだらだらと。
・主人公は誰?
 第1話の描かれ方だと虎之助なのだろうが、この作品のモチーフから言って主人公は「ダメ教師をぶった斬りに来た」高杉東一(山田涼介)吉田栄太郎(知念侑李)入江杉蔵(有岡大貴)ではないか。
 またこの3人が「ぶった斬りに来た」と宣言するのはドラマが始まってから40分経ってから。
 ドラマの本質に入るのが遅すぎる。
・荒唐無稽なドラマなのか正統派ドラマなのか?
 これは主人公を誰にするかで決まる。
 虎之助が主人公なら「金八先生」の様な正統派ドラマ。
 3人が主人公なら荒唐無稽ドラマ。
・滝ゆうこ(加藤あい)の視点は必要か?
・全国統一試験を受けさせたいとがんばる虎之助。
 ここは虎之助のがんばり所だが前述のとおり校長はあっさりOK。
・ロッカーの鍵
 普通ロッカーの鍵を壊す方に全力を注ぐでしょう。
 ドラマと言ってしまえばそれまでだが、ここでシラケまくり。
 「ハケンの品格」でも同じ様なシーンがあったが、日テレさんはロッカーの鍵がお好き?
・渋滞する道路で前に進めない。
 いい加減こういう手垢のついた障害はやめてほしい。

 ということでこの作品は残念なドラマ。
 脚本の水橋文美江さんは「ホタルノヒカリ」で好きな作家さんだったのに。

※追記
 生徒たちの顔の区別もつかなかった。
 おじさんは見てはいけないというドラマですね。


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風のガーデン

2008年10月10日 | ホームドラマ
 冒頭は緒形拳さんと大滝秀治さん。
 重厚な演技対決。
 同じ質問を何度も繰り返す大滝さんに誠実に穏やかに答える貞三(緒形拳)。
 このやりとりだけで貞三がどんな人物かわかる。
 さすが。
 ただ貞三は穏やかだが、貞美(中井貴一)を勘当するなど心の中には嵐が吹いているんですよね。
 
★物語は今までの倉本作品の変奏。
 <父と子の溝>
 その象徴としての<都会と富良野>
 この溝をどう埋めていくかがモチーフ。

 ただこのモチーフに現代性があるかは疑問。
 <父と子の溝>は重要なテーマであると思うが、倉本先生の言いたいことは「北の国から」で言い尽くされている気がする。
 「やさしい時間」の穏やかさよりも「北の国から」の躍動の方が僕は好きだ。
 純や螢と子供の様に戯れる五郎さんの方が共感できる。
 五郎さんは北海道の大自然と格闘したが、今回は人工のガーデニングの庭との格闘になりそう。
 そこだけでもモチーフの退化がある。
 北海道からキタキツネはいなくなってしまった?
 「北の国から」への思い入れが強過ぎるのだろうか?

★なお、今回のもうひとつのポイントは<死>。
 貞美も貞三も死を目前にしている存在の様子。
 彼らは今までの作品と違って<死>というテーマを背負っている。
 死を前にして親子愛に目覚めるなんてドラマはありきたりで避けてほしいが、どうなるんでしょう?
 倉本先生の死生観をきっちり描いてほしい。
 「自分は生きること、死ぬことをこう考えているんだ」と。
 そうすれば現代的な作品になると思う。



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OLにっぽん

2008年10月09日 | 職業ドラマ
 脚本は「ハケンの品格」の中園ミホさん。
 「ハケン」では『派遣社員VS正社員の戦い』を描いたが、今回は『中国人VS日本人』。

 主人公の神島島子(観月ありさ)はニュートラルな存在。
 日本人だが中国人の気持ちもわかる立場で描かれている。
 島子は『中国人VS日本人』の公正な目撃者でもある。

★さて、その対立の中で島子が見たものとは?
 日本人と中国人では背負っているものが違うということ。
 陳琳(タン・チャースー)は必死だ。
 両親、村の期待を背負っている。
 両親が身を粉にして働いて自分を大学まで行かせてくれたという思いもある。
 仕事を得てたくさん給料をもらって両親に恩返ししたいと考えている。
 それらが彼女を必死にさせている。
 それに比べて日本人は……?
 プライドばかり高くて仕事をしない。(「ハケンの品格」での正社員と同じですね)
 現在にあぐらをかいて努力しようとしない。
 島子の様に仮に努力したとしても、動機はまわりより少し上に行きたいから。
 だが、そのまわりというのは意識の低い日本人。
 そんな中での努力・競争などたかがしれている。
 どんぐりの背比べだ。
 そんな甘さを小旗健太(阿部サダヲ)は「あなたは本気で生きていますか?あなたの努力などあいつらに比べたら大したことない」と指摘する。
 この様にこの作品は現在の日本に喝を入れる作品。

★それにしても陳琳はいいですね。
 そのひたむきさ。素直さ。
 ありがとうと心から言えること。
 人を心から信じていること。
 両親や親切にしてくれた人への恩と感謝。
 これらは日本人が忘れてしまったこと。
 この作品はこれらのことを思い出させてくれる作品でもある。
 そして日本人が陳琳を受け入れられるかどうか、陳琳に感情移入できるかどうかは今後の日本にとってかなり重要。
 皆さんはどうでしょうか?

※追記
 陳琳と対照的なのが楊洋(ローラ・チャン)。
 気が強くて思ったことははっきり言う。
 楊楊がいるから陳琳のキャラが引き立つ。

※追記
 「上海タイフーン」は中国を舞台にして現在の日本人を浮き彫りにした作品。
 一方、この作品は日本を舞台にしてそれをやっている。
 作劇としては「上海」はストレート、この作品は変化球。
 「上海」は行方不明のお父さんの話などを挟んで現在迷走しているが、こちらはビジネスものとして真っ直ぐに日本人と中国人を描いていきそう。


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