高架の大分駅からは続いて九州横断の復路となる豊肥線に乗車します。豊肥線も既に完乗済みで、07年の遠征では豊肥線撮影を重点的に行い、阿蘇までは撮り潰しも完了しています。阿蘇~大分間も前回乗車していますが、生憎の大雨にやられて撮り潰しどころではありませんでした。今回はぴ~かんで、時間的に阿蘇から先は撮り潰しはできない時間帯となっているので、撮り潰し出来ていない区間のみが今回の撮り潰し対象となります。久大線はキハ200だったので、次はキハ220あたりの登場を期待しましたが、残念ながらキハ125系でした。別に残念というわけでもありませんが、キハ125系は単行のため、結構混み合っており、なんとかかぶりつきを確保して、途中の三重町まで向かいます。久大線とともに豊肥線も大分近郊では都市圏輸送を行っており、列車密度は案外高いです。しかし、三重町からは先は毎時1本あるかないかと言ったところで、さらにその先の豊後竹田から宮地までの県境区間はほんとに数える程度しか運転がありません。このため18きっぱー泣かせの路線でもあり、ここを単純に乗り潰すなら九州横断特急に乗るのが一番手っ取り早いところです。先に乗った久大線列車も途中の由布院までの列車が、そのまま大分行きに充てられ、車両運用は久留米~大分間の直通運用といった感じでしたが、今回の豊肥線もそのパターンでした。三重町止まりの列車でしたが、三重町到着後宮地行きに変身。長時間停車後、宮地行きとして出発と言うパターンでした。さすがに宮地から先は違う列車でしたが、大分~宮地間の長距離を同じ列車に乗るのは少々飽きた感も無きにしも非ずです。途中キハ200に出会いましたが、これがなんでかブルーのシーサイドライナー塗装の車両でした。分オイの文字があったので、長崎から転属してきたんでしょう。しかし、大村線で主力のキハ200がなんで大分に来るんでしょうかね?
豊肥線は台風や大雨で何度も線路が流されたというだけあって険しい山道を行く道中でした。前回乗車の時も大阪ではあり得ないような雨の降り方だったので、道中抑止を食らったりせぬか不安だったことを思い出します。某宗教団体の教団施設建設で有名になった波野などを通り過ぎ、阿蘇の外輪山を一気に下ってとりあえずの目的地宮地に到着。阿蘇の山々が見渡せる駅構内はなかなか景色にいいところです。ここからキハ47で熊本を目指します。撮り潰しは阿蘇にて終了。阿蘇からは単純にキハ47の国鉄の旅を楽しみます。途中暗くなっていましたが、立野の3段スイッチバックを通過。ここは前回遠征時に堪能しているので、暗くてもやむなし。熊本付近までうつらうつらとしていましたが、車内が異様に寒く、寒さのせいか腹痛を覚え、熊本までのラスト数分は寒さと腹痛との闘いでした。熊本駅の変わりようを堪能する間もなく、トイレに直行したのは言うまでもありません。腹を整えて、この日は河原町のスーパーホテルに泊まり、翌日の行程に備えました。