2009年を「セーフティネット元年」にしよう
湯浅誠氏が村長を務める日比谷の「年越し派遣村」での、派遣切り被害者への支援活動が大きな成果を生んだ。厚労省の講堂の利用期限である5日から12日まで、都内4箇所の公共施設に500人分の宿泊場所と食事が確保されることになった。12日以降の政府の対応に課題が残るが、湯浅氏をはじめ支援活動に尽力された方々に心より敬意を表したい。
湯浅氏などのボランティア活動が、非正規雇用労働者のセーフティネットを提供したわけだが、これらの人々がこのような活動を実行していなかったなら、多数の国民が生命の危機に直面していたはずだ。国家が整えるべきセーフティネットを民間のボランティア活動に依存する姿は異常である。
全国各地で派遣切りの猛威が非正規雇用労働者を襲っている。東京日比谷の派遣村に到達するには多くの時間と費用がかかる。年越し派遣村の存在を知りながら、東京に向かうことを断念した人々が多数存在するはずである。
政府は全国規模で、派遣切り被害に遭遇した国民を支援する活動を開始すべきである。日本国憲法は第25条に、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めている。住居と仕事を失い野外生活を強いられている国民は、憲法で保障された最低限度の生活を営むことができない状況に置かれている。現状を放置するのは憲法違反と言ってよいだろう。
人は仕事をして所得を得て生活を維持する。政府の経済政策の第一の課題は完全雇用の実現だ。供給はそれ自体の需要を生み出すから、経済活動の均衡が取れていれば、完全雇用が実現する。しかし、さまざまな要因で需要と供給がずれることがある。サブプライム金融危機が世界的に広がり、日本の製造業は戦後最悪の生産減退の局面に直面している。企業が生産活動に必要とする労働力が急減してしまった。
企業は小泉政権以降の政権による労働行政の規制緩和政策に依拠して、派遣労働者の一斉解雇に動いている。企業の行動は企業の社会的責任の視点から批判されるべきだが、本質的な原因は政府が企業の一方的解雇を認める制度変更を行ったことにある。
小泉竹中政治が基本に置いた「市場原理主義」は、「資本」の利益極大化のために、企業が「労働」を機械部品のように「使い捨て」にすることを容認する制度変更を実施した。「労働者」がどうなろうと、企業の「効率」と「利益」が向上し、経済成長が促進されればそれで良しとしたのだ。
竹中平蔵氏や八代尚宏氏などが「市場原理主義者」の代表で、このような制度改正を推進したが、現在の社会問題を目にして、「同一労働・同一賃金」などの制度改革が遅れた、だの、セーフティネットが必要など、と恥知らずな発言を示しているが、彼らは、「資本の論理」に基づく制度改正を推進する過程で、セーフティネットの重要性を強く主張しなかった。
飛行機の航行持続のために、乗員を減らすことが必要であるとの意見が浮上したとしよう。乗員が飛行機から飛び降りて総重量を軽くすることを決めるなら、飛行機から飛び降りる乗員にパラシュートを用意するのは当然だ。ところが、竹中氏や八代氏は、パラシュートを用意せずに、乗員を飛び降りさせることを決定してしまったのだ。
景気が急激に悪化して、決定したとおり、各飛行機は一斉に乗員の飛び降ろしを実行した。しかし、飛び降りさせられた乗員はパラシュートをつけていないから、生命の危機に直面した。日本中で問題が一斉に顕在化して大騒ぎになっている。
当の竹中氏、八代氏は「パラシュートは大切だが、そこまで議論がたどり着かなかった」と弁解し、パラシュートなしで飛び降りている乗員の身の上を考えようともせず、飛行機に残った乗員が甘えすぎていると、残った乗員をも飛行機から突き落とすかのような発言を示している。
競争激化に対応して、企業の雇用人員調整を一定の条件の下で認めるなら、職を失う労働者の生活を確実に支える制度をあらかじめ整備することが不可欠だった。国はすべての国民に住居と食事を確実に提供しなければならない。最低限のセーフティネットを確保する責任を国が負わないのなら、企業に一方的な雇用人員調整の自由を付与することは許されなかったのだ。しかし、市場原理主義者は「セーフティネットなき解雇の自由」を企業に付与した。
政府の経済政策においては、「効率」よりも「生存権」が優先されなければならない。定額給付金のために確保する2兆円の資金があれば、セーフティネットを格段に強化することができる。毎年度2200億円削減しようとしている社会保障費の削減を5年分取りやめても1.1兆円だ。
財務省は日本の財政事情の悪さを強調する。財政収支を改善するために財務省が実行したことは、社会保障費、教育費、地方への支出の削減だった。年金保険料、医療保険料は大幅に引き上げられた。同時に、医療費の自己負担が増大し、年金給付開始年齢が引き上げられた。高齢者だけ医療保険を別枠にして、将来的に高齢者の医療を切り捨てる、悪名高い「後期高齢者医療制度」まで導入された。
障害者の生存権を脅かす「障害者自立支援法」が強行採決で成立され、障害者が極めて深刻な生活難に直面している。母子世帯や老齢世帯に対する生活保護給付も切り下げられた。
また、日本の公的教育支出のGDP比はOECD加盟国で最低水準である。私たちの生活に関連する費目にターゲットを定めて、容赦ない歳出削減が実行されてきたのだ。
一方で、特権官僚の「天下り利権」は温存されたままである。年間12.6兆円もの国費が「天下り機関」に投入されている。各種公共施設は全国どこに行っても豪華絢爛(ごうかけんらん)である。税金から給料をもらっている公的部門の人々の施設だけが豪華に整備され、仕事を失った労働者が野外生活を強制されるのは、どう考えてもおかしい。
中長期の課題として、財政バランスを改善することは重要だが、収支バランスよりも先に、歳出の中味をゼロから総点検することが不可欠である。
「市場による競争」のメリットを生かすというのなら、「競争条件」を整えることが不可欠だ。すべての国民に、「健康で文化的な最低限度の生活を保障すること」と、「すべての国民に十分な教育を受ける機会を提供すること」が第一に重要である。
所得環境に関わりなく高等教育を受ける機会を政府が保証するべきである。
セーフティネットは、「雇用」、「医療・年金・介護の社会保障」、「最低限度の生活を支える生活保護ならびに障害者支援、母子世帯支援」の三つが不可欠である。
初期の競争条件の格差を縮小させるには、「相続税」を強化することも求められる。「富の偏在」を是正することなくして、「競争条件の平準化」は実現しない。
一方で、「天下り」に象徴される「特権官僚の特権」を根絶するべきだ。その代わりに公務員には定年までの雇用を保証する。特権官僚を生み出さないためには、大卒公務員の採用を一元化するべきである。大卒の公務員のなかから、公務員になった後の勤務評定によって幹部を登用するべきである。大卒時に将来の幹部職員を約束する第一種国家公務員制度が「特権官僚」を生み出す原因になっている。
「天下り」の全面廃止と第一種国家公務員制度の廃止により、「官僚主権構造」を確実に根絶できるはずである。公務員に対する定年までの雇用保証があれば、天下りは必要なくなる。定年退職後の再就職については、公務員時代の所管業種への就職を禁止して、それ以外については自助努力での就職を民間同様に認めればよい。
渡辺喜美元行革相は「霞ヶ関」の利権打破と叫ぶが、「天下り根絶」、「第一種国会公務員制度の廃止」などの、根本的な施策をまったく提示してこなかった。官僚利権を切るように見せかけて、官僚利権を死守する姿勢が明白だった。
湯浅氏の「年越し派遣村」を、日本のセーフティネット構築の出発点として活用することが大切だ。湯浅氏らが提起している問題は、単なる一過性の緊急避難的意味だけではなく、日本における政府の役割を根本から見直すうえでの重大な意味を併(あわ)せ持っている。世間には「セーフティネット不要論を唱える市場原理主義者」も多数存在するのかも知れないが、日本の基幹制度として「強固なセーフティネット整備」を求めるのか、それとも不要と考えるのか、これが次期総選挙での最重要の争点になる。