格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

金融恐慌が起こる本当の理由

2009-01-31 20:41:05 | オルタナティブ通信

金融恐慌が起こる本当の理由
「現在の金融恐慌に対する処方箋」、

http://alternativereport1.seesaa.net/article/112303086.html


「厚生労働省元事務次官テロに続いて、全てのフリーターはテロに向かって激走する」、を参照。

http://alternativereport1.seesaa.net/article/110375514.html






書物短評 : アンリ・ジャンメール 「ディオニューソス」 言叢社
      : 田中純 「アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮」  青土社



 東京タワーを横から見、写真を撮ると、ほぼ二等辺三角形に見える。「東京タワーは二等辺三角形である」、そう断言し、人間は安心する。二等辺三角形なら「人間は良く知っている」。二つの辺の長さが等しく、内角の和が180度である。

しかし、この断言は、上空から東京タワーを見た時、それが、ほぼ正方形である事を見逃し、その点には「眼を閉じている」。この部分については「認識が闇の中」である。さらに、この断言は、東京タワーが電波等の発信源となっている事も「知らない」。この部分については「認識が闇の中」である。

どのような深遠な哲学も、思想も、このような闇からは逃れられない。なぜなら、人間の認識は、言語であり、記号であり、1つのイメージであり、「自然そのもの」、「対象そのもの」では無いからだ。

 21世紀、経済の世界化・グローバル化によって、全ての自然物・製品が商品として貨幣によって取引される世界市場が成立しつつある。世界全体が商品として、1ドル、100ドルと言った数字=「記号」によって把握される事になった。しかし、通貨は記号であり、売買される「商品そのもの」「世界そのもの」ではない。そのため「認識が闇」の中にある、不可知の部分を持つ。

どのような精緻な経済学も、言語の集積体である以上、この闇から逃れる事が出来ない。この闇によって、経済学と経済政策は常に復讐を受け、失敗し、恐慌を引き起こす。

恐慌は、やがて戦争に行き着く。

 元々、数字には666が悪魔の印、と言った多様な意味が持たされていた(ニュートンは物理学の研究者ではなく、錬金術の研究者であった)。しかし、近代人は、こうした意味を全て切り捨て、東京タワーが正方形であり、電波発信源であると言う点は「見ない事」にし、数字の意味を単一化・単純化して行った。その事によって、複雑な思考を不要とし、「疑う事の出来ない単一の結論」を導き出す計算合理性を入手し、計算速度を手に入れた。コンピューターの出現である。

しかし、数字の織り成す計算合理性の扉は、その余りの単純さ故に、1ミクロンの厚さのアルミホイルで成型されている。その扉の向こうには排除された「世界、自然、人間そのもの」が閉じ込められている。

水深1万mに達した潜水艦のハッチが、水圧で破られるように、数字の合理性で動く市場経済は、必ず崩壊する。水深1万mまで潜水した事が原因であり、世界全体を簡素化し、数値化し過ぎた事が原因である。排除された世界、意味の集積が大き過ぎ、ハッチが「持たない」のである。

ハッチの崩壊と沈没を避けるには、水深100mまで上昇し、時には水を艦内に少量入れ、内外の水圧差をコントロールしなければならない。

 アメリカ中央銀行FRBを創立したウォーバーグ一族の異端児アビ・ウォーバーグ(ヴァールブルク)は、その才能ゆえに若くして、市場経済の「行く末を見切った」。貨幣・言語・記号の複雑な意味を「取り戻すため」、水深100mまで上昇するため、アビは美術史家となる。書物として残されている人類の歴史は浅い。しかし彫像等の美術品、遺跡、壁画であれば、書物よりも古く、古代まで遡る事が出来る。そのためアビは、美術史を選択する。

田中のアビ研究は、アビを通じ無数の古代美術について語りながら、未踏の人類史の闇を記述しようとする。市場主義・合理主義の破綻の末に現れる人類史の闇について語る時、美術評論の白眉は哲学に入って行く(p111)。

 ディオニューソスは、酒と酒宴の神として、農産物等の自然の恵み・豊穣の神として讃えられている。しかしジャンメールは、ディオニューソスを古代ローマ・ギリシアの美術品にまで遡り調査する事によって、そこに悪魔と呪いの神を見出す。地震・ハリケーン・洪水。古代、自然は人間にとって悪魔であり、災害で命を失った仲間からの呪詛の対象でもあった。人類が、地震に耐え得る建築物、治水技術を発達させ、余剰農産物を生み出し、それを酒として加工し楽しめる段階に達し、初めて、悪魔と呪詛の神は、豊穣の神へと姿を変え、穏やかな表情で描き出されるようになった。しかし、中世、近代社会でも、この柔和なディオニューソスの表情が時として半面柔和に、半面凶暴な悪魔として、左右非対称に描かれる。この双つの顔には、「古代に追放され、排除された意味」が蘇って来る。意味は複層化され、左右の顔面=悪魔と神、「対立物は対立したまま、統一される」。神は悪魔であり、悪魔は神である(注1)。

 ジャンメールと田中の仕事は、単に美術史の仕事ではなく、市場原理崩壊後の世界を直視している。それを追跡する事によって、余りに単純化された市場経済の「向こうに在る」、本来の人間世界・自然界を、かいま見ることが出来る。


 なお、CIAエージェントとして自民党創立資金を提供した右翼の児玉誉士夫は、第二次世界大戦中、中国で麻薬販売を行い、その財を築いた。その活動資金出資にはホテル・オークラに名前を残す大倉財閥を通じ、ウォーバーグ一族が関与していた。米国中央銀行FRBと自民党が同一資金源で成立していた事になる。また現在の皇太子妃・雅子一族の企業であり、水俣病で多数の日本人を虐殺した日本窒素肥料=チッソ社の創立資金は、大倉財閥を通じウォーバーグが供与していた。田中のウォーバーグ研究の中に、その一端が語られている事は興味深い。



*注1・・・21世紀の日本にとって、中国は「敵であり、味方であり」、ロシアは「敵であり、味方であり」、アメリカは「敵であり、味方である」。古代美術から「教育を受ける事によって」、21世紀の、リアルな現実が見えて来る。


*追補・・・「東京タワーは二等辺三角形である」、と断言し、正方形、電波発信源の面は「無かった事にし」、複層化した意味の世界から「逃亡する」ために、「世界はイルミナティ、ユダヤによって支配されている」と単純化して見せる逃亡者達は、当然、美術史等は、視野の外に置いている。「本当の事は、見なかった事」にしなければ、イルミナティ陰謀論、ユダヤ陰謀論は成り立たない。

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「かんぽの宿疑惑」を報道しないワイドショーの偏向

2009-01-31 16:15:00 | 植草一秀氏の『知られざる真実』
「かんぽの宿疑惑」を報道しないワイドショーの偏向
「かんぽの宿疑惑」はますます拡大し、ついに日本郵政の西川善文社長がオリックスへの一括譲渡方針を凍結することを表明した。オリックスへの「かんぽの宿」売却が公明正大に正当で最適な方法で決定されたのであれば、日本郵政は関係情報を全面開示して、所管の総務省の了解を取り付けるために全力をあげて行動するはずである。


所管大臣である総務相に十分な資料開示も行わないままに、一括譲渡方針の凍結を発表したことが、売却先決定の後ろ暗さを示唆している。


日本郵政は売却価格が「政府の財産評価委員会の評価額に近く問題ない」としているが、そもそも財産評価委員会の評価額が適正であるのかについての吟味が欠けている。


「かんぽの宿」についての政府の評価額算定では、試算評価額142億円に対して負債が49億円あることから純資産額を93億円としている。オリックスへの売却価格は109億円で、この純資産額93億円を上回っているから問題がないとするのだが、109億円と93億円が極めて近接した金額であることも見落とせない。


政府の資産評価額は収益還元法から算出されたものであると考えられるが、売却条件における再譲渡制限は2年間でしかないとのことだ。2年経過すれば売却されることは排除されていないのではないか。雇用確保が条件とされているとのことだが、雇用についても2年以上の雇用継続が確約されているのだろうか。


売却対象は不動産であり、売却価格算出の最大の根拠が物件そのものの時価評価であるべきことは当然だ。2400億円の費用を投入した物件の売却価格が109億円であることについて、「不当に安い」との判断が生まれるのは極めて常識的である。


この「直感」から出発し、入札にかかる経緯を詳細に精査しようとする総務相の行動は、貴重な国民資産の売却という、国民の利益に直結する問題であるだけに、賞賛されても批判される理由は存在しない。入札にかかる経緯を詳細に精査したうえで、一点の曇りも存在しないことが明らかになれば、その時点で売却にゴーサインを出せば良いだけだ。


日本郵政は現状では株式を100%政府が保有する完全な国有会社である。ということは、日本郵政が売却しようとしている「かんぽの宿」資産は紛れもない国民資産である。国民資産の売却が不透明に実行されることが許されるはずがない。詳細を再調査したいとする総務相に対して向きになって竹中氏がなぜ稚拙な反論を繰り返すのか。竹中氏の不自然な行動に焦点が当たることになるだろう。


日本郵政は「入札を実施した」との形式ばかりを強調するが、問題は形式ではない。入札情報が広く一般に告知されていなければ、「実質的には」ごく一部の関係者だけで情報が共有され、広く一般に情報が行き渡る前に売却にかかるプロセスが進行した可能性がある。


オリックスの購入金額109億円が、日本郵政内部の純資産算定金額93億円をわずかに上回る水準に設定されていることが、まず注目される。公共事業における「談合」が摘発される際、その重要な状況証拠として、落札価格が最低落札価格を小幅上回っていることが指摘される。この金額は、オリックスが事前に日本郵政内部の純資産算定金額を知っていた可能性を示唆するものである。仮にその疑惑が表面化すれば、問題は「道義」の問題から「刑事」の問題に発展する。


また、日本の銀行が不良債権処理を進展させた際に、外資系の不良債権処理業者が「濡れ手に粟」の巨大利益を獲得した経緯と、今回の売却と通じる部分がある。


銀行が不良債権について、銀行内部で貸し倒れ引当金を積み立てて、不良債権の償却を終えてしまうと、銀行は償却後の不良債権評価額以下で不良債権を売却しても追加損失を計上せずに済む。例えば2400億円の債権があったとしよう。ところがこの債権が不良債権化して、銀行が評価額を90億円に修正してしまう。2310億円の損失処理を済ませてしまうのだ。


こうなると、銀行はこの2400億円の簿価の不良債権を90億円以上の価格で売却すれば利益を計上できる。銀行が不良債権を束にして内部で償却し、不良債権処理業者にこの不良債権を90億円+αで売却したとしよう。


外資系の不良債権処理業者はこの束になった不良債権を例えば109億円で買い取り、それぞれ形を整えて、市場で売却した。109億円で買い取った不良債権=担保不動産を例えば500億円で売却できれば差し引き約400億円の利益を懐にすることが出来る。


私は日本で外資系の不良債権処理業者を立ち上げた人物から直接事例を聞いているので、この事業が極めて収益性の高い事業であることを知っている。


企業が財務会計あるいは税務会計上の要請から資産の時価評価を行うことと、資産を売却する際に売却価格を算定する根拠となる基準価格を算定することは、まったく別の事項である。


日本郵政が財務会計上の要請から「かんぽの宿」の時価評価を93億円と算定し、それをそのまま資産売却の基準価格に設定したのなら、その行動は適正でない。日本郵政がこの程度の知識で経営を行っているとしたら、これは国民に対する背信行為になる。経営者を直ちに交代させる必要がある。


日本郵政は株式会社形態に事業運営の形態が変更されたが、現段階では日本政府が株式を100%保有する純然たる国有企業である。貴重な国民資産の売却にかかる事項は、当然、所管大臣、所管官庁、ならびに国会が厳しく監視しなければならない。


日本経済新聞、朝日新聞が総務相批判の社説を掲載し、また産経新聞は竹中平蔵氏の稚拙な反論を掲載した。


①2400億円を投入した国民資産が109億円で売却されようとしていること
②「ラフレさいたま」1施設だけで300億円近い資金が投入されていること
③首都圏9箇所の社宅施設も売却物件に潜り込ませられており、その時価評価だけで47億円にも達すること
などを踏まえれば、オリックスへの109億円での売却方針決定が極めて不透明であることは、誰の目にも明らかである。


 こうしたなかで、さらに驚くべき事実が明らかになった。2007年3月に旧日本郵政公社が売却した鳥取県岩美町の「かんぽの宿」が土地代を含めて東京の不動産開発会社に1万円で売却され、半年後に鳥取市の社会福祉法人に6000万円で売却されたことが明らかにされた。


 これが日本郵政の「かんぽの宿」売却の実態である。


 この問題は、テレビの報道番組が飛びつくべき話題である。日本郵政は100%政府出資の国有企業である。「かんぽの宿」は紛れもない日本国民の貴重な資産である。その貴重な国民資産が、小泉竹中政治と密接な関わりを持ってきた人物が率いる企業に破格の安値で売却される。


 2400億円の資金が投入された全国の70施設に47億円の時価の社宅が付け加えられた物件が、たったの109億円で売却される。「ラフレさいたま」は単独で300億円もの資金が投入されている。その映像など、テレビ番組のために用意されたものと言っても良いほどだ。


 そこに鳥取と鹿児島で1万円売却のニュースが浮上し、鳥取の施設は売却の半年後に6000万円で転売されていたことが明らかになった。


 まさに格好の「ワイドショーねた」である。「わたしのしごと館」を繰り返し報道したように「ラフレさいたま」が実況放送されるのが自然の成り行きだろう。


 ところが、テレビ朝日もテレビ東京も、日本テレビなどは、問題を大きく取り上げない。


 マスメディアは昨年なかばから、「偽装CHANGE集団」に報道の焦点を合わせている。現在は渡辺喜美氏がその中心に位置する。日本経済崩壊の第一級戦犯の竹中平蔵氏に対して、異常なまでの反論機会提供の偏向報道も展開されている。


小泉元首相-中川秀直氏-渡辺喜美氏-竹中平蔵氏-高橋洋一氏-江田憲司氏-田原総一郎氏-屋山太郎氏-三宅久之氏-北野武氏-テリー伊藤氏などが連携して、「偽装CHANGE集団」を形成している。


「偽装CHANGE集団」への偏向報道と「かんぽの宿疑惑報道」とでは、報道の方向が逆行してしまう。これが、「かんぽの宿疑惑報道」が著しく抑圧されている理由だろう。朝日、日経などの報道姿勢も著しく偏向している。


中日新聞(東京新聞)が全国紙で初めて妥当な論説記事を掲載した。「偽装CHANGE報道」と「かんぽの宿疑惑報道」の偏向した対照に注目する必要がある。
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