福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「心の病」の人は救われないのか、自分では修行できないではないか?

2020-01-31 | Q&A
「心の病」の人は救われないのか、自分では修行できないではないか?
うつ病・統合失調症等の心の病の人が増えています。ここでは「自灯明・法灯明」「善因楽果悪因苦果」等の通り一遍の仏教理論ではこういう人たちは救われません。座禅・観想・写経・読経・遍路等はこういう人たちには単独では無理です。そうするとこういう人たちは救われようがないことになります。ここではどうしても病人の関係者が代わって祈り修行するほかありません。
ここではじめて加持祈祷の大切さが出てきます。
1、大師の「秘密曼荼羅十住心論」には、「心の病を治す方法として『陀羅尼』を称えることが有効である」とされています。
「心病を治する法は大聖よくこれを説きたまへり。其の経はすなわち五蔵の法これなり。いはゆる五蔵とは修多羅・毘奈耶・阿毘達磨・般若・総持等の法これなり。(心の病を治す方法は仏がよくこれを説かれている。それは五蔵とよばれる教えである。すなわち経‣律・論・般若・陀羅尼等のおしえである。)
・・四蔵の薬は但し軽病を治して重罪を消すこと能わず。いわゆる重罪とは四重・八重・五逆・謗法等と一闡提とこれなり。醍醐のよく通じて一切の病を治すごとく総持の妙薬も良く一切の重罪を消し速やかに無明の株杌しゅごつを抜く。
陀羅尼以外の経・律・論・般若は軽病を治すことはできるが重罪は治せない。重罪とは殺・盗・淫・妄の四重と、これに合わせて尼僧が男子と触れ合うこと。手を握られたままにすること・他の尼僧の重罪をかくすこと・罪を犯した僧に付き従うことの八重罪と、父・母・修行者を殺すこと、僧伽を乱すこと、仏身より血を出すこと、の五逆罪と、仏を誹謗する謗法罪、先天的に成仏の資質を欠く一闡提がこの救われない重罪にあたる。醍醐がすべての病を治すことができるように陀羅尼を唱えることでこういう救われないとされるすべての重罪までも消し無明の根を抜くことができる。)」とあります。

2、この陀羅尼では、光明真言をおとなえすることも有効であるとされます。
「光明真言袖鑑(浄厳)
(光明真言「おんあぼきゃべいろしゃのうまか ぼだらまに はんどまじんばら はらばりたや うん」のうち)〔マカボダラ〕
とは東方大円鏡智阿如来なり、即是薬師如来と同体なりこの真言(光明真言)をとのふるもの業病鬼病などをも治するといふはすなちこの句(マカボダラ)あるがゆへなり。」

3、「利他行」も大切と説かれています。
涅槃経に「二つの因縁あらばすなわち病苦なし。一には一切衆生を憐憫し、二には病者に医薬を給施す。」「もし仏子一切疾病のひとをみてはまさにつねに供養するところ仏のごとくにして異なることなかるべし。八福田(仏、聖人、和尚、阿じゃ利、僧、父、母、病人への供養)のなかに看病福田はこれ第一の福田ならん。」)とあります。

4、また薬師経には「おんころころせんだり まとうぎそわか」ととなえれば諸病快癒すると説かれています。
藥師琉璃光如來本願功徳經の第六大願です。「願我來世得菩提時。若諸有情。其身下劣諸根不具(ごしんげれつしょこんふぐ)。醜陋頑愚盲聾瘖瘂攣躄背僂白癩癲狂種種病苦(しゅうろうがんぐもうりょうとんあれんぺきはいるびゃくらいてんきょうしゅじゅびょうく)。聞我名已(もんがみょうい)一切皆得端正黠慧(いっさいかいとくたんしょうけつえ)。諸根完具無諸疾苦(しょこんかんぐむしょしっく)」

5、密教の「病者加持作法」ではお不動様の火炎で病者の無始以来の罪障を焼き尽くす作法がとります。従って縁者が不動真言「のうまくさまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そわたやうんたらた かんまん」とお唱えすることも大切です。

6、四国遍路でも障害者者を連れた遍路さんにも多く逢いました。四国遍路で光明が開けたという報告は多くあるようです。
「地獄の中で必死になって扉を叩けば極楽への道が開けた」という体験談はここにあります。
7、結論、これらの複合的方法により、縁者が繰り返し繰り返し拝むことではないでしょうか。
必ず効験は出ます
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