福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その113

2014-08-21 | 四国八十八所の霊験
善通寺のあと丸亀市街地を歩きました。近くの町が母の実家で昔はよく祖母や甥姪達と近くの土器川で蜆取りをしたものです。

 そのうち品のよいおばあさんが自転車で近付いてきて「ちょっとすみません、わたしもお遍路行きたいけど行けないので」といって200円お接待してくれました。
合掌し「札所にお供えさせていただきます」といいながら納札を渡しました。


 このあと満濃池の別格神野寺を御参りしました。大師は四十八歳のとき、満濃池御修築になります。 「百姓恋い慕うこと実に父母の如し」といわれたお大師様は弘仁12(821)年満濃池改修別当に任ぜられわずか三月で現代にも通ずる逆アーチ型の堤防を築き周囲20km貯水量1540万tの日本一の溜池を完成されました。お大師様の像が大きな満濃池を静かに見下ろしておられます。 昭和天皇や三笠宮、高松宮の行幸碑もあります。平成十九年のお参りの時は帰ろうとすると境内で遊んでいたヨチヨチ歩きのお寺の子が近付いてきました。そして黙ってもみじのような手に握った石を二つ渡してくれました。 あとから思うともう一度こいということだったのでしょう、一年もたたないうちに又お参りができました。そして24年にはこの子と同じようなかわいい孫まで授かりました。
「高野大師御廣伝」には「請傳燈大法師位空海宛築満濃池別当状」があります。それには「・・浜継等、去年より修築を始めるが池大にして民少なし、築いまだならず、・・件僧空海・・道俗欽風、民庶望景、いればすなわち生徒市をなし、出ればすなわち追従するもの雲の如し、・・百姓恋慕すること父母の如し。・・」と書いてあります。いかにお大師様が当時から庶民に慕われていたかがわかります。




























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