「日本巡礼記集成」の中にn尼の手記というのがあります。
これによると昭和55年5月、45番岩屋寺奥の院で小児麻痺により20年間動かなかった女性の手が行場へ登ろうとして鎖に手をかけた途端に動くようになったということです。其処の所を抜粋しておきます。「昭和55年5月12日、四国88所巡拝に、美代ちゃん(19歳の女性。小児まひで左腕が上がらず左足も不自由)が、お母さんと参加され3日目に45番岩屋寺に着 . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・9/27
九、事理一心称名の事
両巻疏に云く、一心に偏念して少しも餘念を雑へざる處を事の一念といふなり。さて理の一念と云は、一心の心性を観じて自他共無因の四句をはなれて三世一心にて皆不可得なる處を理の一心称名と云ふなり。此の理の一心称名といふも別にあらず事の一心称名の念が相続すれば自ずから自他の隔情を離れて終に無差平等の心地に本付く處を理の一心称名とはい . . . 本文を読む
以下「国民の遺言」によります。
「海軍中尉 辻重二の命 昭和十九年十一月十九日 比島東方海面にて戦死。
岐阜県武儀郡出身 二十三歳。」
遺詠 ・・・空に行く己が体これまでに 育てし父母に涙こぼるる・・
・・・御両親様
待望の大命を受け征途につかんとす
日頃の訓練の成果を遺憾なく発揮する覚悟で居ります
弟妹によろしく
夕暗をついて帰れる編隊に 友の愛機の缼けたるさみ . . . 本文を読む
今日は中御室覚行の遷化された日です。密教辞典によると、覚行は1075承保二年生まれ、1105年長治二年、11月18日、35歳で遷化されています。白河天皇第三皇子。仁和寺三世。11歳で大御室性信に随って出家。1092寛治六年18歳で伝法灌頂を受け、1098承徳二年結縁灌頂大阿闍梨。円周寺法性寺両寺の検校。1099年承徳3年、初代の法親王。六字御修法(六字とは六観音の種字のこと)・孔雀経法・愛染王法・ . . . 本文を読む
密教辞典に依れば、禅信は応仁元年1467十一月八日寂、68歳。東寺長者・仁和寺真光院主。洞院実信の息。護持僧。禁中で一字金輪法・不動法・五大虚空蔵法・八字文殊法等20度も修して法験で著名。 . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・8/27
八、長劔火難を遁るる事
大唐の晋の代(265年 - 420年)に天竺より長劔といふ人来て洛陽に於いて家を造る。あるとき火いでて我が家は風下にて遁るべき様なし。而るに本より観音信仰の日と成れば一心に観音の名号を唱るとき、軒を合たる隣まで焼けて長劔が家にいたるとき、風吹き廻り火轉じて焼けず。其の後洛中の人いふやうは、ただこれ天性の風改めやかざるなり . . . 本文を読む
今日は後柏原天皇が般若心経を写経された日後柏原天皇は先代後土御門天皇の息。当時、応仁の乱により朝廷の財政は厳しく後土御門帝は譲位もできなかった。後土御門天皇が亡くなると、後柏原天皇が位を嗣ぐ。第104代。即位の礼もしばらくできなかったが帝は朝廷儀式復活に努められた。そして庶民を悪疫の流行から守るため、般若心経を延暦寺と仁和寺に納められました。この 後柏原天皇御宸翰般若心経奥書は国重要文化財です。「 . . . 本文を読む
今日は奈良・談山神社例大祭の日です。神社のホームページには「例大祭の行われる11月17日は御祭神・藤原鎌足公の命日にあたり、談山神社にとって最も意義深い祭です。当日は南都楽所(なんとがくそ)によって、本殿石の間で舞楽が奉納されます。」とあり、「多武峰略記」には談山神社ご祭神について、「右当寺地主者、藤門氏祖大織冠聖霊也、右尊廟本地者浄名大士(維摩居士)是也、浄名本地者金粟如来是也」とあります。ご祭 . . . 本文を読む
第百四代後柏原天皇は疫病平癒の為般若心経を宸筆され国の重要文化財となっています。
応仁の乱により、公卿は地方に離散し、朝廷の財政は窮乏し、天皇の権威も地に落ちた時代だった。後柏原天皇は応仁の乱や疾病に苦しむ民を思い続けられました。仏教に帰依し、大永五年(1525年)の疱瘡大流行時には自ら筆をとって「般若心経」を延暦寺と仁和寺に奉納。詩歌管弦、書道に長けていたといわ . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・7/27
七、涅槃普門勝劣の事
此の品(普門品)の勝たる事をいはば、昔大唐に岐州といふ國(南北朝時代から唐代にかけて、現在の陝西省宝鶏市一帯に設置されていた)に二人の僧あり。一人は常に涅槃経を信じ読むなり。又一人は普門品を信じて読むなり。此の二人ともに死して焰魔王廳にをもむくなり。而るに閻魔王は銀の高座をかざり上に寶の天蓋をつり、是れは涅槃経を讀みたる僧 . . . 本文を読む
二宮金次郎は安政3年10月20日(1856年11月17日)日光仕法の途中70歳で下野国今市村の報徳役所にて没しています。
金次郎の言葉で最も印象に残るのは「わが道はまず心田の荒蕪を開くのを先務としなければならぬ」(二宮翁夜話)です。
心田という言葉は仏典に多く出てきます。例えば
・「華厳経・入法界品第三十九之十八」「善財、衆生を見るに 心田甚だ荒穢、三毒の刺を除んが為に 專ら . . . 本文を読む