卯之町駅を出て32分で上宇和駅に到着。
それでは駅舎撮影。平成元年3月築の、JR四国標準型の待合所です。駅前広場の広さからして、以前は立派な木造駅舎が建っていたと思われます。
では駅名標を。上宇和駅は「U21」です。
「駅舎」に入ってしばし休憩。ベンチが2基設えられています。松山方には汲み取り式トイレ。
時刻表を。11往復ですが、上り9本、下り8本がワンマンです。次の上り列車は10時40分発。
しばしホームから景色を眺めます。正面には堂所山が。
時間が近づき、1組の親子連れがやってきました。10時40分発の4634D(キハ54 10)に乗車して八幡浜方面へ。
10時51分に双岩駅に到着。交換可能駅で対面式ホーム2面2線の構内ですが、両ホームは構内踏切で結ばれています。
では駅名標を。双岩駅は「U19」です。2駅進んだことになります。
それでは駅舎撮影。下宇和駅と同タイプのプレハブ風の駅舎です。トイレは宇和島方にありますが、汲み取り式です。
時刻表を。普通列車同志が交換するのはたったの1回だけ。つまり、2番線が使われるのは1回だけです。
駅前を。宇和島方には双岩公民館。ここから八幡浜駅まで駅間徒歩しようと考えましたが、1時間以上かかりそうなのでやめました。
その双岩公民館の前には鉄道開通記念碑。予讃線の八幡浜~卯之町間が開通したのは昭和20年6月20日のことでした。
滞在時間が66分あるので撮り鉄して時間をつぶします。11時12分頃に「宇和海10号」が通過していきました。
ついでに駅裏を。山の中腹には「ふたいわ病院」。
2本の「宇和海」が行ってしまったら、あとは手持ち無沙汰。11時からおばちゃんが来てましたが、玄米ブランで昼食タイム。
次は、東三条駅のリニューアルの模様をお伝えします。
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立間駅から4632Dに乗車。法花津坂を越えて宇和島市から西予市へ。
9時11分に下宇和駅に到着。交換可能駅で対面式ホーム2面2線の構内ですが、上下ホームは千鳥状の配置です。
時刻表を。上下それぞれ11本ですが、上りで9本、下りで8本がワンマンです。出発時間は9時19分…。
この長時間停車を逃す手はないので駅舎撮影。プレハブ風の駅舎です。トイレはありますが汲み取り式です。男子高校生が待っていたので内部のレポートを見合わせましたが、無人駅で何もありません。
駅前を。宇和川の向こうには生コンの工場。
「宇和海5号」を見送って駅名標を。下宇和駅は「U23」です。
上りホームに戻ると、9時19分発の913Dがキハ185系2連でやってきました。それと交換して4632Dも出発の時間。
9時23分に卯之町駅に到着。ここで退避する列車もあり、2面3線+保線用側線1本の構内です。
では駅名標を。卯之町駅は「U22」です。「U」といえばE5系を連想するのは私だけではないでしょうか。
陸橋の上へ。駅の南方には西予市役所が。
それでは駅舎撮影。和風のしつらえの木造駅舎です。右手にはKIOSK。トイレは宇和島方の離れに。
では駅舎の中へ。自動券売機の右手には「みどりの窓口」があり、営業時間は6:40~17:35(休み2回)。左手には「愛の火鉢」のある待合所。
駅前を。400m進んだところに卯達の街並みがありますが、左に曲がって上宇和駅で駅間徒歩することに。
ひたすら国道56号を北上します。
ダイキを過ぎると国道56号を辞し、県道30号へ。
線路沿いの細道を進んで上宇和駅へアプローチ。
到着する直前、アンパンマン気動車が通過していきました
話が変わりますが、今日は「3.11」です。あの東北地方太平洋沖地震及び史上最悪といわれる福島第一原発の事故から丸5年が経ちました。あの日は仕事場で震度5強~6弱クラスの地震に襲われ、その日はJR東日本管内が終日運転見合わせでした。大津波を蒙った沿岸部は復興がまだ道半ばです。福島第一原発の事故で避難を余儀なくされた方の多くは帰還を諦めて避難先に定住しています。帰宅困難区域を含む常磐線の富岡~浪江間は、2020年春の運転再開に向けてスタートラインを切ったところです。今私が駅巡りしたり「スーパー白鳥」や「はまなす」を追いかけたり出来るのも、被災者になっていないからこそです。
つづく
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7時23分に伊予吉田駅に到着。片道乗車券の旅なので、立間駅まで駅間徒歩。
まずは、カラーリングに従って旧吉田町中心部へと進みます。
出発して10分余り、桜橋を渡ります。山の映り込みには思わず見とれてしまいます。
桜橋を渡りきると、山下亀三郎像が。
宇和島信用金庫を通過して安藤神社へ。旅の安全を祈願してきました。
出発して20分、宇和島市役所吉田支所に到着。門前に清家吉次郎の像が。
更に5分ほど進むと吉田高校に。カラーリングはこれにて終了で、右に曲がって予讃線のガードをくぐります。
吉田の市街地を抜けると川を渡り、立間の集落へ。
水谷病院前バス停にて。焼け落ちた家に心をいためます(合掌)。途中にある薬師如来(医王寺)にも立ち寄ります。
出発して50分、みかん選果場を通過。そして、愛工房を過ぎると立間駅に到着です。
それでは駅舎撮影。昭和16年7月築の民家風の木造駅舎です。
では駅舎の中へ。1辺だけにベンチが設えられています。松山方にはトイレ。勿論無人駅で何もありません。
駅舎から出て宇和島方に視点を移して。貨物扱所がありました。今でこそ貨物列車は1本も設定されていませんが、かつてはみかんを出荷して全国に配送していました。
構内踏切を渡って駅名標を。立間駅は「U24」です。
申し遅れましたが、立間駅は交換可能駅で、島式ホーム1面2線に側線が上下それぞれ1本ずつの構内です。9時1分発の4632D(キハ54 6)に乗車して八幡浜方面へ。
つづく
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サラダエクスプレスは神戸三宮で客を迎えた後、開放休憩一切なしで大洲、卯之町、吉田にて客を下ろし、定刻より25分早い6時15分に宇和島バスターミナルに到着。
あの時を思い出しながら「きさいやロード」を進み、6時30分頃に宇和島駅に到着。すっかり夜が明けました。
待合ベンチで朝食をとってホームへ。今回こそはと駅名標を記録していきます。で、宇和島駅は「U28 G47」です。
7時6分発の予讃線4630Dに乗車し、予讃線駅巡りを再開。
では、乗車した「キハ54 11」の車内を。緑色の座席4に黄色の座席1が1単位のロングシートです。念のため言っておきますが、JR四国の普通列車にはトイレがありません。
7時23分に伊予吉田駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。我が4630Dは交換のためしばらく停車します。
何と交換かなと思ったら、八幡浜始発の623Dでした。「キハ32 11+キハ54 10」の編成で、車掌が乗務しています。
では駅名標を。伊予吉田駅は「U25」です。松山駅から25駅目という意味です。
それでは駅舎撮影。昭和16年7月築の木造駅舎で、ファサードが立派です。トイレは松山方にありますが、汲み取り式です。
では駅舎の中へ。特急停車駅ですが、無人化されて窓口が閉鎖され自動券売機に置き換えられています。ベンチが壁伝いに設えられているので広々としています。
時刻表を。普通列車は上下それぞれ11本ですが、特急列車は下り17本、上り16本です。次の上り普通列車は8時57分発…。
駅前ロータリーにはソテツが。今回は片道乗車券での旅なので、立間駅まで駅間徒歩に挑みます。トンネルは無さそうだし。
つづく
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暖冬だか大雪だか分からないような冬が終わりに近づき、いよいよ春を迎えます。急行はまなすやスーパー白鳥の終焉や北海道新幹線の開業が控えており、この「18きっぷ」のシーズンには北海道に行かれる方も多いのではないでしょうか。私も北海道新幹線に乗ってくる予定です。
さて、これからお伝えするのは、2015年2月20日(金)~22日(日)の予讃線駅巡りです。主に宇和島~松山間の伊予長浜経由の乗車券(難産!)を使い、JAL便を2回利用して(片道は特典航空券)「愛ある伊予灘線」を中心に18駅巡ってきました。それでは出発しましょう。
2015年2月20日。17時15分発の信越線447M(115系N20編成+N25編成)で新津駅を出発。新潟駅到着後、バスで新潟空港に向かうが30分もかかったので夕食を取るともうボーディングの時間。19時5分発のJAL2250便(JA217J)で伊丹空港へ。20時10分に伊丹空港22番スポットに到着。
伊丹空港からモノレールで蛍池駅へ。その後、阪急宝塚線急行(5100系5121F)で阪急梅田駅へ。折角なので、しばらく撮り鉄。尚、この5121Fは折り返し宝塚行き急行となりました。
2つ目は、京都本線の河原町行ゆき快速急行。1300系1300Fでした。
3つ目は、宝塚線の雲雀丘花屋敷ゆき普通。6000系6008Fでした。
4つ目は、京都本線の河原町ゆき普通。3300系3323Fでした。
5つ目は、京都本線の河原町ゆき準急。9300系9303Fでした。転換クロスシートは羨ましいです。
6つ目は、宝塚線の雲雀丘花屋敷ゆき普通。7000系7015Fでした。
7つ目は、神戸線の神戸三宮ゆき通勤急行。8000系8020Fでした。
8つ目は、京都本線の河原町ゆき通勤特急。9300系9306Fでした。
9つ目は、宝塚線の宝塚ゆき急行。5100系5132Fでした。
まだまだいきます。10枚目は神戸線の西宮北口ゆき普通。8000系8001Fでした。
11枚目は、京都本線の高槻市ゆき普通。3300系3311Fでした。
12枚目は、京都本線から千里線に直通する北千里ゆき普通。5300系5304Fでした。
満足したところでハービスOSAKAに行き、22時20分発のサラダエクスプレス(神戸200か44-26)に乗車して四国へ。7~8割の乗車率。
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2月15日にE129系B1編成が営業運転開始して以来、新潟の鉄道界はいよいよE129系時代に突入しました。これまで貴重なL編成の運用であった信越線422M/429M、1321M/1346MもE129系B編成に置き換えられました。新潟のL編成の仕業数は、いよいよ4本だけになりました。
では、この運用改正を象徴する1枚を。2016年2月19日の信越線429Mは、E129系B1編成でした。
同日には、E129系B6編成の公式試運転が行われました。2月28日より営業運転に入ったようです。
2016年2月26日には、E129系B7編成の公式試運転が行われました。
その一方で、L編成の廃車も粛々と実施されています。まずはL7編成から。2016年2月18日に長野に廃車回送されました。
もう1つ廃車になったのはL13編成。1月末の踏切事故でスカートとジャンパ栓を損傷しましたが、どうせ今度のダイヤ改正でL編成が離脱だということで修理されることはなく、2016年2月25日に廃車回送されてしまいました。昨年6月に要検を終えたばかりなのに、最後は何とも不幸だったのでしょう。
それでは、2016年2月分の新潟の115系電車を見てみましょう。特記以外は新潟駅での撮影です。
張子は、2016年2月6日の信越線433M。N16編成+S7編成でした。新津駅で撮影。
新潟駅に行き、越後線1530Mを。N38編成でした。
信越線436MはN39編成でした。8621Mの遅延のため2番線に変更となりました。
そして、信越線3373MはN31編成でした。
さらに、羽越線933MはS4編成+N35編成でした。
9番線にて信越線438Mを。N14編成+N5編成でした。
3番線にて羽越線934Mを。2次新潟色になったN33編成がN10編成を従えてました。
白山方の先端にて越後線143Mを。N13編成+N32編成でした。
信越線440MはL8編成でした。E653系U102編成である「いなほ8号」と並べて。
越後線140MはS2編成でした。
2016年2月7日。越後線129MはL12編成+N29編成でした。35分遅れで到着し、2番線に変更となりました。
信越線434MはN3編成+N27編成でした。
越後線1528MはS7編成でした。
東新潟駅にて羽越線1932Mを。N26編成+N21編成でした。
新潟駅に戻り、羽越線933Mを。S9編成+N2編成でした。
時間をおいて信越線3372Mを。N16編成でした。
越後線146MはN34編成+L9編成でした。
2016年2月13日。信越線427Mは、ニューカマーの湘南色であるN40編成がN32編成を従えてました。しかし、送電線トラブルにより新津駅で打ち切られ、乗客は後続の429Mなどに乗せ換えられました。
で、信越線429MはL12編成でした。10分遅れで到着して1番線に変更になったので、新潟薬科大の新キャンパスをバックに。
そして、信越線1721MはN8編成でした。またしても1番線に変更。
新津駅から羽生田駅に移動して信越線431Mを。N10編成+L9編成でした。
東新潟駅に移動して羽越線1932Mを。N38編成+N39編成でした。
そのまま羽越線933Mを。S6編成+N21編成でした。
新潟駅に移動して信越線438Mを。N4編成+N27編成でした。
越後線143MはN22編成+N12編成でした。
信越線440MはL10編成でした。E653系U108編成である「いなほ8号」と一緒に。
越後線140MはS1編成でした。
荻川駅にて信越線439Mを。N3編成でした。
2016年2月19日。新津駅にて信越線427Mを。N35編成+N9編成でした。
そのまま信越線1721Mを。N6編成でした。
新潟駅にて信越線3372Mを。N28編成でした。
越後線146MはN22編成+L12編成でした。
大形駅にて白新線661Mを。N26編成でした。
そのまま白新線663Mを。湘南色のN40編成がN25編成を従えてました。
新潟駅に戻り、越後線156Mを。N30編成+N5編成でした。
2016年2月20日。信越線432MはS6編成+N23編成でした。
信越線3373MはN16編成でした。
羽越線933MはS8編成+N7編成でした。
越後線141MはN5編成+N30編成でした。
大形駅にて羽越線934Mを。N37編成+N38編成でした。
新潟駅に戻り、越後線143Mを。N9編成+N35編成でした。
越後線140MはS10編成でした。
2016年2月21日。信越線430Mは、湘南色のL9編成がN26編成を従えてました。
羽越線1926MはL12編成+N8編成でした。
信越線432MはS9編成+N34編成でした。
越後線129MはL10編成+N5編成でした。
8番線にて信越線1721Mを。N4編成でした。
9番線にて信越線1323Mを。湘南色のN2編成がS2編成を従えてました。
信越線434Mは、湘南色のN40編成がN25編成を従えてました。
ここで、N40編成の車内をご覧下さい。国鉄オリジナルのセミクロスシートで小テーブル付きです。
2016年2月23日。新津駅にて信越線427Mを。N29編成+N20編成でした。
新潟駅に行き、信越線432Mを。S4編成+N22編成でした。
越後線129MはL11編成+N40編成でした。
信越線1323MはN25編成+S1編成でした。
ここからは荻川駅4連発。信越線431Mは、2次新潟色のN33編成がL12編成を従えてました。
信越線2524MはN14編成でした。
信越線433MはN30編成+S3編成でした。
そして、信越線434MはN9編成+N35編成でした。
新潟駅にて信越線438Mを。N6編成+N11編成でした。
2016年2月26日。信越線428MはS7編成+N24編成でした。
白新線624MはN30編成でした。
信越線430MはL10編成+N9編成でした。
羽越線1926MはL11編成+N26編成でした。
大形駅に行き、白新線1630Mを。N11編成+N5編成でした。
新潟駅に戻り、信越線434Mを。N12編成+N8編成でした。
雪の羽生田駅にて信越線440Mを。湘南色のL9編成でした。
2016年2月27日。さつき野駅にて信越線430Mを。L12編成+N25編成でした。
大形駅に行き、白新線1632Mを。N38編成+N14編成でした。
新潟駅に行き、信越線437Mを。L10編成でした。
越後線140MはS3編成でした。
信越線439MはN24編成でした。
新津駅にて信越線441Mを。N33編成+S8編成でした。
2016年2月28日。新津駅にて羽越線2123Mを。N16編成+N26編成でした。
新潟駅に行き、信越線430Mを。L11編成+N18編成でした。
羽越線1926MはL10編成+N38編成でした。
信越線432MはS4編成+N40編成でした。
越後線129Mは、湘南色のL9編成がN35編成を従えてました。
越後石山駅に行き、信越線1721Mを。N6編成でした。
続いて、信越線1323Mを。N24編成+S3編成でした。
新潟駅に戻り、白新線1632Mを。N31編成+N4編成でした。
信越線434MはN20編成+N9編成でした。
最後に、羽越線933MはS6編成+N9編成でした。
大変長くなりましたが、2016年2月分の新潟の115系電車は以上です。後半にL編成絡みの運用を多数出しましたが、現存するL編成はL8~L12の5本のみになっています。これらのスジは、北海道新幹線開業後はE129系に置き換えられるでしょう。あと、N+S(トイレ付)編成である信越線423Mなどもどうなるのか。
ところで、前半に登場したN27編成ですが、2月24日に大宮工場に入場しています。その代わり、N17編成が出場して3月1日に新潟車両センターに戻っています。今後の新潟の115系電車は殆どがN編成になっていくでしょう。次に新潟の115系電車をお伝えする時は、「ついにL編成が運用離脱」という題になる可能性が高くなります。
次は、「早春の予讃線駅巡り」をお伝えします。
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越中島駅から15時21分発の1484Y(E233系554編成+F54編成)に乗車して京葉線全駅下車達成の地へ。
15時24分に八丁堀駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。
階段を上がって改札を抜けました。自動改札は4台。窓口はなく指定席券売機などになっています。トイレは改札をくぐって左端に。
蘇我方に進み、B4出口に出ました。この駅に降り立って京葉線全駅下車達成。
すぐに高橋を渡ります。亀島川ですが、小舟が何艘か係留されており、「江戸」の風情です。
鍛冶屋通を東京方に進むと、信号の向こうにローソン。
対角線向かいのビルの一角にはB3出口。他の出口を探すため、更に東京方に進みます。
しばらく進んでいくとJR八丁堀ビルへ。その一角にB2出口が。
B1出口に到着。道路を挟んで向かいには日高屋。完全に逆光となり暗くなってしまいました。交差点を挟むとサンクスとすき屋。
A1出口から駅に戻り、東京メトロ日比谷線(03系03-102編成)に乗車して上野駅へ。後続列車で車両点検があったため7分遅れでの運転でしたが、16時7分に上野駅に到着。
悪戦苦闘しながら土産の舟和の芋ようかんを入手し、16時48分発の高崎線929M(E233系D04編成+L10編成)で高崎へ。G車に乗車して検札を終えると、崎陽軒のシウマイ弁当で夕食にしながら菊水の新米新酒で打ち上げ。
18時35分に高崎駅に到着。速攻で上越線747M(115系T1133編成)に乗り継いで水上に出た後、同8751M/1751M(115系N4編成)~信越線461M(115系N31編成)と乗り継いで新津に帰還しました。新津に帰還したのは22時58分。
「京葉線全駅下車の旅」は以上です。ウィーラートラベルのバスで新宿に出た後、南船橋駅以下15駅を一気に巡ってきました。2014年3月29日のリベンジを果たした格好となりました。この旅で最も印象に残ったのは、ディズニーリゾートラインから見たコロンビア号と葛西臨海公園駅の噴水でした。すっかりE233系5000番代に染め上げられている中、「幸せの赤い209系」に2度乗れたのは大きな収穫でした。
ここで1つお知らせです。その1にて「営業時間が7:00~19:00」としていた新習志野駅の「みどりの窓口」ですが、3月9日を以て廃止され指定席券売機に置き換わることになりました。外房線の本千葉駅や内房線の千倉駅でも今月1日に「みどりの窓口」が廃止されるなど、JR東日本は「みどりの窓口」の削減を進めています。インバウンド客の急増で史上最高益を上げる中、窓口の削減を徹底的に進めていると思えます。
ところで、新潟の鉄道界を見てみると、115系の削減とE129系の運用拡大が一層進められています。次は、新潟の115系の「いま」をお伝えします。
完
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新木場駅から14時16分発の1322Y(E233系514編成)に乗車して東京方面へ。
14時19分に潮見駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。
階段を下りて改札を出ました。自動改札は4台(Suica専用を含む)。窓口はなく指定席券売機などになっています。トイレは改札をくぐって左手に。
自由通路を挟んで「NEWDAYS」のようなものが。耐震工事のため昨年9月28日より休業中でした。現在は営業を再開しています。
さて、西口に出ました。2階建ての高架駅になっていましたが、「駅舎」は何だかほっとするような意匠です。高架下には「なか卯」があり、道路を挟んで東京方に「はなの舞」が。
駅前には路線バスが発着するロータリー。南方にはマルエツが。背後には潮見の住宅街。
折角なので、東口へ。西口と同じような意匠ですが、駅前は道路で広場はありません。
駅前には西濃運輸。その隣にはセンコーが。
東京方に数分歩くとヤマダ電機が。ひっきりなしに車が出入りして撮影するにもヒヤヒヤ。
14時50分発の1404Y(E233系506編成)で更に東京方面へ。越中島貨物駅を過ぎるといよいよ地下区間へ。
14時53分に越中島駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。
階段を上がって改札を抜けました。自動改札は5台(Suica専用を含む)。窓口はなく指定席券売機などになっています。尚、トイレは階段の下り口に。
左手にずっと進んで1番出口に出ました。煉瓦調の外観です。
東京方に進むと、東京海洋大の寮が。他の出口を探すため、蘇我方に進みます。
エレベーターを挟んでしばらく進むと、向かいに2番出口が。東京海洋大海洋工学部キャンパスの目の前です。
しばらく進むと3番出口へ。1番出口とはアプローチの向きが逆です。
更に進むと「東京海洋大学前」の信号へ。越中島駅は東京海洋大生のための駅ですが、越中島2丁目住宅地が広がります。
3番出口から改札に戻り、京葉線全駅下車達成の地へ。
つづく
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