西国三十三か所第七番札所の岡寺を中心に飛鳥路巡りも最後の目的地である飛鳥寺に到着しました。
石舞台からここ飛鳥寺までの道は、きれいに舗装されて、自転車で10分ほどでした。
周りは、静かな田園風景で、古の人もあの山々などと同じ景色を眺めたのでしょうか?
飛鳥寺は、日本最古のお寺で飛鳥の大仏で有名です。
欽明13年(552年)、百済から仏教が日本に伝わり、それ以来、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏との争いが35年も続いたのですが、蘇我氏が勝利し、その結果、百済から職人を呼び、蘇我馬子の発願で建立を開始し、推古4年(596年)に建立したのが、この飛鳥寺です。
初めのお寺の名前は、法興寺でしたが、都が平城京に移るとともに元興寺となり、建久7年(1196年)には、落雷による火災により焼失後、衰退が著しく、江戸時代の書物には、門もなく、「かりそめなる堂」と称された建物に本尊の釈迦如来像が安置されるのみだったようです。
現在のお寺は、法興寺金堂跡に建てられた小寺院で公称安居院(あんごいん)と呼ばれており、馬子が建立した寺院とその法灯を継いで現存する寺院を包括して「飛鳥寺」と呼ばれています。
多くのお寺の内部は撮影禁止が多い中、ここは撮影が許されました。
その本尊の「飛鳥大仏」は、法隆寺の釈迦三尊像より17年早く、全長2.7mの金銅製で、法隆寺と同様顔と手が大きく、面長です。
が、国宝より1ランク低い国指定の重要文化財になっています。
というのも、傷みが激しく、当初の部分は、顔の上半分、左耳、右手の第2,3,4指のみだそうです。
蘇我入鹿の首塚 首塚から飛鳥寺を望む
飛鳥寺から西に100mほどのところに、蘇我入鹿の首塚があります。
飛鳥寺の南には、大化の改新の舞台となった伝飛鳥板蓋宮跡があり、首が飛んできたところに首塚があるとか・・・・・ 真偽のほどは???です。
飛鳥路の一日は、これで終わりですが、1400年間同じ場所に座っている大仏は、これまでの歴史を見てきたことでしょう。
日本の歴史がこの静かな山里で起こったことを思うと、もう一度訪ねて見たい思いがしました。