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飛鳥路を行く ④ -石舞台古墳ー

2009年10月26日 13時02分24秒 | 西国三十三ヶ所巡礼の旅

岡寺から自転車で数分のところに「石舞台古墳」があります。
石舞台古墳は、奈良県明日香村の飛鳥歴史公園内石舞台地区の中央に位置する我が国最大の古墳時代後期の古墳で、昭和27年に国の特別史跡に指定されています。

    
    石舞台の周りに堀があります。       石舞台        

30数個の岩の総重量は約2300トンで、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。

盛り土の上部が、剥がされているため、その形状は、2段積の方墳とも上円下方墳とも下方八角墳とも考えられています。
古くから石室の天井石が露出されていたようで、そのことは各種の文献に書かれています。

  
  石舞台 裏側から              側面から   

被葬者は、蘇我馬子であったとする説が有力で、盛土が剥がれているのは、蘇我氏と対立するものが懲罰的に墓を暴いたのではないかとも言われています。

天井石の上部が広く平らで、まるで舞台のように見えるその形状から古くから「石舞台」と呼ばれています。
石舞台という以外に、地元では「石太屋(いしふとや)」とか「石蓋(いしぶた)」などの名前で呼ばれており、「キツネが女に化けて古墳の上で踊ったことから「石舞台」と言われているという伝説もあるようです。・・・近年に創作された話とも言われています。

  
  内部への通路                  石舞台の内部 隙間から光が・・・

昭和8年からの発掘調査で方形の墳丘、堀が存在すること、6世紀代の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認されており、その上で築造は7世紀初め頃と推定されています。

いずれにしても、かなりの重量の石をどのようにして運搬したのか、そしてこの石を持ちあげたのか、不思議です。
エジプトのピラミッドのようにして、石を運んだのであろうと思われますが、その技術は、当時としては一級であったのには間違いがないようです。