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映画 「利休にたずねよ」

2013年12月15日 13時08分05秒 | 映画・社会

モントリオール世界映画祭 最優秀芸術貢献賞 受賞作品で、原作は、山本兼一の直木賞受賞作ということで、「利休にたずねよ」を原作も読まず、そのあらすじも知らずに見てきました。

”利休”ということから、当然秀吉との確執があり、なぜ切腹しなくてはならなかったのかが描かれるのですが、その理由が思っていたのとは違っていました。

「利休にたずねよ」は、誰が、なにをたずねるのでしょうか?
それが、最初の画面に登場します。

利休が切腹するその日の朝から映画が始まります。
その朝、利休(市川海老蔵)の妻(中谷美紀)から「あなた様にはずっと想い人がいましたね・・・・」と問う。

  


そこから、利休の過去の出来事が、映し出されてゆきます。
それは、織田信長(伊勢谷友介)の茶頭から、信長亡きあと秀吉につかえ、関白まで登りつけた秀吉(大森南朋)に重用され、利休の名を世間に響かせます。

諸大名をも弟子にしたり、茶碗を高価な値で売ったり、大徳寺の山門に木像を建てたりして、秀吉の不興をかい、何よりも秀吉にひれ伏さない態度に立腹し、切腹を申しつけられます。

ここまでは、良く知られた利休の話ですが、ここからが小説としてのフイックションです。

  

 

切腹を命じられたもう一つの理由に利休がいつも「懐に忍ばせている高麗の壺を差し出せば、ひれ伏したものとして許す」と秀吉は譲歩しますが、利休は「ひれ伏すのは、美しいものだけです」と言って拒否します。

利休の人気が増す中、秀吉のヒガミ、ねたみが益々増幅され、その上、利休に「美しいものだけにぬかずく」という一言が背景にあったというのが、この映画の焦点です。

映画では、その”高麗の壺”が、利休の美意識を確立させ、そこには若い時の利休が出会った高麗の美女の面影が影響したと言う大胆な解釈がなされた作品でした。

この映画には、評価が分かれているようです。
つまり、本来の”茶道”とは違うのではないか?とか・・・・
茶道の起源が高麗にあったのかとか・・・・
(余談ですが、当時の高麗には、茶道という点前の式法はなくあくまで喫茶法だったそうです。)
そして、格調高い時代劇だという評価もあります。

茶道を全く門外漢な僕にしても、すこし違和感がありましたが、あくまで歴史のフィクションとして見れれば、それなりに良かったのではないでしょうか?

なにより、時代劇の醍醐味の一つに、その景色・背景があります。
京都太秦撮影所を拠点に、三井寺、南禅寺、彦根城などロケ撮影され、茶器も値段の付けようのない逸品を使用していたとのことで、それだけでも、見ごたえがありました。