江戸時代、大坂の豪商たちは、財力を蓄え、生活を楽しもうという気風が表れ、その財力をもって学問や文化がさかんになっていました。
その中でも、町人の生活や気持ちを表した井原西鶴の浮世草紙や近松門左衛門の浄瑠璃がもてはやされました。
尼崎市のHPから・・・
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/chikamatu/055monzaemon.html
左は、尼崎にある近松門左衛門の像
近松門左衛門の墓は、尼崎の他、大坂にもあります。
歌舞伎・浄瑠璃・落語といった芸能は、最初は京都が盛んでしたが、しだいに大阪が中心になってきました。
それ以外にも、大坂で生まれた町人文化は数多くあります。
上田秋成の万葉集を研究した「雨月物語」、天文学の間 重富(はざま しげとみ)、「万葉代匠記」を書いた契 冲、などの町人学者を生み、町人学校も盛んに生まれました。
中井甃庵の「懐徳堂」、土橋友直らによって開かれた「含翠堂」など・・・・
江戸の末期には、緒方洪庵が「適塾」を開き、オランダの医学や学問を教えました。
適塾は、今も保存されており、学んだ人の中には、大村益次郎、福沢諭吉もいました。
大阪大学の適塾のHPから・・・
http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/about/tekijuku
今も現存する適塾
尚、今は、耐震補修工事中で休館中です。大阪大学の前身で今も大学が管理しています。