京都本線、宝塚本線、神戸本線がそれぞれ並行して走っている梅田~十三間は、私鉄では唯一の三複線区間です。
ここの不思議は、この梅田~十三間には、中津駅がありますが、京都本線だけには中津駅がありません。
そこを出ると淀川を渡りますが、京都本線だけが橋梁が高くなっています。
元々新京阪線だった京都ー淡路ー天神橋が阪急京都線となり、後日淡路ー十三間、千里線が
出来ました。
長く不思議とは思っていても深く調べることはなかったのですが・・・
その謎を知るには、この三複線区間が出来た経緯を知らなくてはなりませんでした。
まず京都本線ができた経緯から離さなくてはなりません。
大正時代末期は、梅田~十三間には、神戸線は宝塚線の線路を併用する形で運行されていました。
しかし、輸送量が増加してきたため、新しく神戸線の専用軌道を増設されることとなり、1925年(大正15年)に宝塚線と神戸線が独立路線となりました。
その後、新京阪線が阪急京都線となると宝塚線に乗り入れる形で京都線と宝塚線が併用されてきましたが、それも昭和になると乗客需要に追いつけず、新しく京都線を独立させる計画となりました。
1段高くなった京都線 右には宝塚線の中津駅、左は京都線が通過
しかし、工事に入る前の1953年(昭和28年)大阪を襲った台風13号で、計画を大幅に見直されることになりました。
つまり、当初、台風で氾濫することはないと思われていたのが、この台風で新淀川を始めその支流が同時に氾濫し、付近一帯、大参事を引き起こし、新淀川のの水面が従来より予想より高くなり、新橋梁は増水に備えて1.8㍍高く設定されることになり、その上、他の2路線より、この地盤が軟弱なため、工事は難航しました。
このようにして、他の2路線より高い橋梁が出来たのが、1959年(昭和34年)でした。
では、この京都線に中津駅を作らなかったのは、なぜでしょうか。
それは、簡単なことでした。
つまり、駅を設置するだけの土地がなかったということです。
それでなくとも、神戸線や宝塚線の中津駅も、実に狭く、特急が駅を通過するにも徐行しているほどです。