東海道新幹線の開業から8年、1972年に新大阪駅から岡山駅までの山陽新幹線が開業しました。
1975年には、博多まで伸び、山陽新幹線として真価が問われてきました。
しかし、1時的に1975年には、輸送人員も増えるのですが、長続き出来ず、東海道新幹線から延伸するかたちとしての山陽新幹線として、東海道新幹線と同様、85年の100系の登場、87年の民営化、そして1992年の”のぞみ”の登場などに加えてきましたが、それ以上に山陽新幹線独特の戦略が必要でした。
それも1995年の阪神・淡路大震災や羽田空港の拡張などで、1時は航空機にシエアを奪われ、輸送人員が伸びませんでした。
1997年に羽田空港が沖合に拡張され、国内線の離着陸時間も延び便数も増え、さらに航空会社がマイレージサービスを始めたのもこの時期でした。
航空機の対抗としてJR西日本は、1997年に最高時速300Kmの500系を投入して、航空機に対抗し、東京~博多間を4時間49分で結び、5時間を切りました。
500系 700系 レールスター
しかし、それでも形勢を逆転するまでには至らず、民営化後に投入した「ウエストひかり」は、利便性を改善したのですが、0系で運行されていたため魅力がなく、乗客増員までには至りませんでした。
また「グランドひかり」もグレードアップを計り、食堂車を投入したのですが、目に見える効果は現れず、今は、ワゴン販売に置き換わっています。
この劣勢を一気に変えたのは、最新式の700系に置き換えて、名前を「ひかりレイルスター」と改め、最高時速も285Kmとし、新大阪駅~博多駅間の平均所要時間を2時間45分とし、「のぞみ」と「ひかりレイルスター」の布陣でスピードアップを図ることにより、山陽新幹線の独特の戦略が出来あがりました。
<参考>
旅客人㌔ 1キロ当たりの収入
1972年 41億11千万キロ 1億6600万円 開業時
1975年 182億キロ 2憶5900万円 博多まで延伸
1987年 131億キロ 4億5600万円 民営化
1992年 160億キロ 5億8200万円 ”のぞみ”登場
2012年 171億キロ 5億7400万円
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