徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

秋保大滝

2005年11月20日 12時44分56秒 | 旅行・観光

11月13日(日) 晴れ

仙台市内をはずれ、車で約30分の所に秋保温泉があります。 
その秋保温泉からまた車で約30分名取川上流秋保大滝があります。

    
 紅葉に包まれた大滝           秋保大滝の滝つぼ

山形県の山寺(立石寺)の奥の院と言われる大滝不動堂の境内にあります。
名取川の全水量が瀑布となって豪快な音を立てて落ちています。

 
  不動堂                秋保大滝、紅葉の中に滝を望む

高さ55m、巾6mで日本3大大滝の一つだそうです。
あとの二つは、栃木県の華厳の滝和歌山県の那智の滝です。

この時小雨が降ってきましたが、滝のしぶきと思えば何ともありませんでした。
ここまで来ると仙台市街地より紅葉が綺麗でした。 山に盛り上がるような紅葉は、素晴らしいパノラマです。 
13日の予定の訪問先は、これで終わり、大滝を後にして、今晩の泊まる秋保温泉へ向かいました。


大崎八幡宮

2005年11月19日 09時11分12秒 | 旅行・観光

11月13日(日) 晴れ

瑞巌寺を後にして大崎八幡宮に行きました。 ここは、伊達政宗が仙台城を築き始めると同時に大崎八幡宮を造営しました。
もともとは平安時代、坂上田村麻呂武運を祈念して八幡宮を造営したのが始まりとされています。 その後地元の大崎氏がこれを守護神とするようになり、伊達氏の時代もそのまま大崎八幡宮と呼ばれています。

極彩色を用いた桃山時代に見られる権現造りの社殿は見ごたえがありました。
眩しい社殿の千鳥派風は、2004年秋に改修工事をされました。

この大崎八幡宮の素晴らしさを見た幕府はこの名工を使って日光東照宮を造りました。

訪れた日は、日曜日ということもあって七五三参りのお子さんが沢山お参りに来ていました。 

 


松島・五大堂・瑞巌寺

2005年11月18日 09時48分10秒 | 旅行・観光

11月13日(日) 晴れ

日本三景の一つの松島めぐりをしました。 塩釜から遊覧船に乗り、50分の船旅で一路松島港へ。
少し霞がかかっていましたが、天気が良く、眺めは抜群でした。 島の名前の説明がありましたが、ほとんど覚えていません。 ボーと島々にかもめが飛びかう様を見ていると本当に都会の喧騒を忘れ、気持ちのいいものでした。



特に、丘の上から見た松島の島々は、昔の伝説では坂上田村麻呂が祀った毘沙門天から光が出て、海に散らばり、それが島々になったということですが、本当に光る海に浮かぶ島々が飛び交うようでした。

 

松島と言えば、五大堂で、この松島のシンボルは、大同2年(802年)に坂上田村麻呂が東征の折、毘沙門堂を建立したのが最初と言われています。

五大明王を祀っているので五大堂と名づけられていますが、このお堂は、33年に一度ご開帳があります。 以前は昭和48年にご開帳がありましたので、次回は、平成18年8月18日~20日の予定だそうです。

  五大堂              五大堂の彫刻 四方の干支が3個づつ彫ってあります。

この松島には、もう一つ有名なもので欠かせないものは、瑞巌寺です。
民謡にもある通りのこの瑞巌寺は、正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といいます。 


 瑞巌寺 参道             瑞巌寺 お成り門 奥に国宝の玄関


開創は平安の初め天長5年(828年)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁清和天皇の詔勅を奉じ、3000人の学生・堂衆とともに松島に来て寺を建立したといわれています。この寺は延暦寺に比肩すべき意をもって延福寺と命名され、平泉の藤原氏に外護をうけました。

藤原氏滅亡のあと、鎌倉幕府が替って大壇越となりましたが、鎌倉時代中期に、開創以来28代約400年で、滅亡します。

慶長5年(1600年)関が原の後、仙台を治めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて、神社仏閣の造営を行い、大崎八幡宮や当寺の造営に心血を注いだ事業を行いました。

工事は、用材を和歌山から、名工を京都から呼び慶長14年(1609年)に完成。
伊達家の保護を受け、瑞巌寺は90余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
明治に入り王政復古の政策は、廃仏を掲げ、版籍奉還により多くは撤廃されましたが、瑞巌寺は、太陽東湖の努力により、明治9年、天皇の行在所となり、復興の契機となりました。
 瑞巌寺 奥にあるのが本堂 
                                  この先は撮影が出来ません

   
 瑞巌寺 庫裏                 瑞巌寺 本堂図             

現存する本堂・御成玄関、庫裏・回廊は、国宝に指定されています。

 


伊達政宗の墓所、瑞鳳殿へ

2005年11月16日 20時23分33秒 | 旅行・観光

帰阪してから寒くなってきたようです。 昨日は、こたつを出しました。
今までこんなに早くこたつを出した事が無いと記憶しています。
仙台の地元の人曰く、仙台は、夏は蒸し暑さがなくて涼しく冬は雪も少なくて過ごし良い気候だそうです。

11月13日(日) 仙台晴れ
仙台城(青葉城)の近くにある瑞鳳殿に行ってきました。

 


参道を左に折れて登っていくと瑞鳳殿があります


  瑞鳳殿の入り口                瑞鳳殿の柱飾り

瑞鳳殿は、70歳で生涯を閉じた伊達政宗の遺言によって、二代藩主忠宗によって政宗を埋葬された社です。 桃山様式の豪華絢爛たる造りは、見事なものです。

昭和6年に国宝に指定されましたが、空襲によって焼失しました。現在の建物は、昭和54年に再建されたものです。


     瑞鳳殿                 瑞鳳殿の門扉

この他に2代忠宗の感仙院、3代目の綱宗の善応殿も再建され、往時の姿を見事に再現しています。

戦後にそれぞれの社跡から発掘された遺骨から3藩主の容貌を見ることが出来ます。 正宗は、身長159.3cm、B型面長な顔をして、現代人に近く精悍な顔つきをしていたそうです。

 


仙台・伊達家62万石の城下町

2005年11月16日 09時31分30秒 | 旅行・観光

今回の旅行のスナップを独断と偏見で数日に分けて掲載します。
        
                  

まず、最初に行ったのが、仙台城(別名青葉城)。 仙台駅から車で20分ぐらいの所にあり、標高132mの青葉山という小山に築かれていました。

    伊達家の紋(仙台笹)

伊達政宗慶長5年(1600年)から8年かけて築城し、以来270年間伊達氏62万石の居城でした。 
大手は、広瀬川搦め手は渓谷が自然の堀となっています。
明治の廃藩置県とともに取り払われて今は石垣・礎石、城壁を残すのみとなっています。 
大手門は、昭和20年の空襲で焼失し、大手の隅櫓が復元されています。

  
 復元した大手門隅櫓               空襲で焼失した大手門

伊達政宗公の像のある青葉山から仙台市内が一望出来ます。

  
  復元した天守台               仙台市内が一望できます

 伊達氏が居城を構える前は、1592年、青葉山には、国分彦九郎盛重が居住し、千代城と称していましたが、伊達正宗が居城とともに「仙台」に改めました。
仙台は、唐の詩より、「不老長寿の仙人が住む丘のように城が永く栄える」ことを祝して名づけられたそうです。


紅葉の杜の都

2005年11月15日 09時39分02秒 | 旅行・観光

去る12日から14日まで、紅葉を求めて仙台・杜の都に行って来ました。

その間に、携帯電話でアップしましたが、未熟なため写真がピンボケで見苦しい写真をお見せしました。接写モードのまま遠望を撮ったためのピンボケでした。 
今日は、デジカメで撮ったものを掲載します。


  仙台城址の紅葉 今一つよくありません     伊達政宗像

12日に空路、仙台空港へ、そこから青葉城址に向かいました。
昨年も訪れましたが、もみじは、昨年より紅葉が悪く、今年は夏が長すぎ紅葉を待たずして冬に向かっているためだそうです。

翌日は、塩釜から遊覧船で松島めぐりして瑞巌寺五大堂と定番コースでしたが丘の上からの松島の島々の眺めは絶品でした。

 丘から松島を望む

ここから、一路秋保温泉の大滝に向かい、日本三大滝の一つ、秋保大滝を見物しました。しかし、地元の人曰く、紅葉は、色づきが悪いとの事でしたが、仙台市内と違って紅葉は、至るところで黄色の色づきも鮮やかでした。

 秋保大滝(この時小雨が降っていました)

仙台城址から一連の詳細に就きましては、明日にでもアップします。
今日は、少し疲れました。


今日は何の日!!!-その10-

2005年11月11日 10時13分25秒 | 今日は、何の日

今日、11月11日は、記念日が多いようです。
語呂合わせでは、

  下駄の日     下駄の足跡が11  11 に見えるところから。伊豆長岡観光協会が制定。
              今日は、下駄供養が行われます。
  電池の日     乾電池の+ ー から。あるいは電気回路の電池の記号から。
              電池工業会が1987年に制定。
              バッテリーの日は、12月12日。
  コンセントの日  日本配線器具工業会が1992年に制定。
              これは、コンセントが11 11になっているところから。
  鮭の日       「鮭」のつくりの圭を分解すると「+-+-」になるから。
              新潟県村上市が1988年に制定。
  靴下の日     靴下を2足並べた時の形が 11 11 に見える?から。
              日本靴下協会が1993年に制定。
  ポーキーの日   11 11 がポーキーが並んでいるように見えるから。
  ピーナッツの日  ピーナッツが双子だから、ぞろ目の日を選定。
              全国落花生協会が1985年に制定。

今日の絵は、出石城 F6号

かなり"こじつけ"もあるようです。

語呂合わせ以外では、

  世界平和記念日  第一次世界戦争の終結の日。(1918年)
              ヨーロッパ諸国では、この日は祝日です。
  宝石の日      単位「カラット」が制定(1909年)
              日本ジュエリー協会が国際基準の200mgを1カラットを採用した日
  チーズの日     文武天皇が蘇の製造を始めた日(700年)
              日時は不明ですが、キリの良い11日にしたそうです。
              日本輸入チーズ普及協会が1992年に制定。

しかし、一番有名なのが、サッカーの日です。

これは、「ミズノ」が制定したもので、「イレブン」「イレブン」で明瞭なものですが、何時からかは不明で、何時しかこの日が「サッカーの日」となったようです。

「サッカー」というのは、アメリカ式の呼び方で、欧米では「フットボール」です。
イタリアでは、「カルチョ」と呼び、トトカルチョの語源となりました。

この他に、もやしの日、煙突の日キリタンポの日磁気の日、ライターの日西陣の日カリントウの日そして毎月の11日は、”麺”の日、だそうです。

そして、今日のその時、歴史が動いたのは、1185年、後白河法皇が源頼朝に義経追討の院宣を下した日でもあります。

明日からは、仙台に行って来ます。 仙台から携帯電話でアップする予定です。


鉄道の新設・延伸工事ーその3-

2005年11月10日 10時20分26秒 | 鉄道のよもやま話

前回の「けいはんな線」より早く、2006年2月2日に延伸開業するのが、神戸新交通のポートアイランドの新交通システムの「ポートライナー」です。

 

延伸とあわせて中公園~市民病院前の複線化も行われます。
延伸区間は、市民広場から先端医療センター、ポートアイランド南を経て神戸空港までの4.3Kmで、当初は、1989年に中公園から市民広場間の複線化と市民広場からポートアイランド南の延伸工事のみでした。


市民病院前の複線工事(2004年撮影)

しかし、その後ポートアイランド沖に神戸空港を建設することが決まり、空港アクセスとして軌道系交通システムの整備が検討され、一時は、地下鉄による空港アクセスが考えられましたが、最終的にポートライナーを延伸することとなり、2002年に事業特許を受けて事業に着手されました。

現行の計画によると、列車は6両編成で、平日の運転本数は、三宮発が211本/日で、ピーク時は1時間あたり18本を予定している。
所要時間は、三宮~神戸空港間で18分で結ばれます。