徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

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建国記念の日と世界の独立記念日

2010年02月11日 12時26分10秒 | 今日は、何の日

「建国記念の日」の趣旨は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」と国民の祝日に関する法律に規定されています。

その「建国記念の日」がなぜ2月11日になったのでしょうか?
明治5年に神武天皇の即位の日を建国の紀元とすることを決め、即位の日は紀元前660年の旧暦1月1日が、太陽暦の2月11日にあたるので、その日を紀元節とし、祝日としました。

戦後、紀元節は祝日から外れますが、昭和41年(1966年)に、「建国記念の日」を2月11日と定める祝日法改正案が成立しました。

しかし、この法律は9回も提出・廃案が繰り返され、名称に「の」の字を入れた「建国記念の日」とすることで、「建国されたという事象そのものを記念する日」であるとも解釈できるようにすることで、成立したそうですが、今となってはどっちでも良いことですが・・・・

        
          指宿のホテルから (昨年の九州旅行で、撮影)

何をもって建国とするかは、国によってそれぞれ事情がことなります。
神話で建国記念日を定めているのが、日本と韓国のみです。
ただし、韓国の神話に基づく記念日は「開天節」(10月3日)ですが、他に「光復節」(8月15日)として日本がポツダム宣言受諾の日も記念日としています。

他に、独立記念日、解放記念日、建国記念日などがあり、名称は違いますが、世界どの国も「国家の日」が定めてあり、国際的には外交儀礼の場において、当事国の外交代表に対して祝意を述べる慣習があります。

独立記念日は、植民地から解放された日がほとんどで、アメリカ合衆国、インド、ガーナ、ケニヤ、ナイジェリア、パキスタンなどは、全部イギリスからの独立した日を記念日としています。

スペインからの独立した国は、アルゼンチン、エクアドル、ベネズエラ、コロンビアなど。
ブラジル(ポルトガルから)、シンガポール(マレーシア連邦から)、セネガル(フランスから)などが、独立記念日を定めています。

解放記念日は、アルバニア、キューバ等。 
革命記念日は、イエメン、エジプト、リビア等。
建国記念日としているのは、サウジアラビア、スイス、スウェーデン、チエコ、ベルギー等。

中華人民共和国は、国慶節と呼ばれ、毛沢東が建国宣言した1949年10月1日。
中華民国(台湾)は、双十国慶節と呼ばれ、中国大陸で中華民国が成立きっかけとなった1911年10月10日の辛亥革命発生の日だそうです。

他に「連邦結成記念日」としてアラブ首長国連邦。
イタリアは、「共和国記念日」として。
北朝鮮は、「国慶節記念日」として、建国を宣布された日。
デンマークは、「憲法日」として、1849年立憲君主制になった日。
ドイツは、「ドイツ統一の日」として、1990年東西ドイツが統一された日。

ロシアは、「主権宣言記念日」として、1991年、ソビエト連邦から独立した日。

日本の「建国記念の日」は、各地で祝う式典や集会が行われる一方、それに反対する集会も各地で行われています。

日本が、建国を宣言したこともありませんが、いつの間にか国が出来ていたというのでは、国家として明確でないので、区切りをつけるためある日を決めて、祝うということで良いのではないでしょうか?
それが、神話でも良いと思うのですが・・・・・


江戸時代の生活 ⑫ -教育(私塾)-

2010年02月08日 15時33分58秒 | 江戸時代とは・・・・・

概略的に云って、寺子屋は、庶民の初等教育やしつけが、藩校は、武士としての教養や兵法などが中心でした。
そして、寺子屋は一般庶民の教養者が師匠となり経営され、藩校は藩が設置、経営する学校ですが、私塾は、知識人が開く私的な教育機関です。

私塾は、今で云う専門学校のようなもので、生徒も成人が多く、漢学、蘭学、医学、化学などで、内容もかなり高度であったようです。

私塾は、特に江戸時代の後期から幕末にかけて発達し、多くの私塾が誕生しました。
そして、多くの有能な人材を世に送り出し、明治維新への推進力となりました。

江戸・京・大坂を中心に無名であっても高度な教育内容を誇った個性的な私塾が存在し、その教育水準は国際的にみて、高く、庶民から武士階級に至るまで、教育への関心が高かったようです。

寺子屋もそうですが、教育を幕府が組織的にしなくとも、一般庶民からあらゆる階級の人も向学心、学習意欲が高かった証拠なのです。

  
     大阪 適塾                 
 山口 松下村塾

私塾で有名なのは、大分の威宜園(廣瀬淡窓)、大阪の適塾(緒方洪庵)、洗心洞塾(大塩平八郎) 梅花塾(篠崎小竹)、長崎の鳴滝塾(シーボルト) 山口の松下村塾(吉田松陰)、そして緒方洪庵門下である福沢諭吉の福沢塾は全国最大の組織で、今の慶応義塾となっています。
他に勝海舟の神戸海軍塾には、坂本竜馬も門下生として入塾しています。

しかし、残念ながら現在の日本の教育に目を向けると、今一つ生徒や学生に学習意欲が乏しいように思われます。
不登校や中途退学生の増加が示すように、学習現場では、学習することから逃避傾向が見られるのは、非常に残念です。
向学心に燃える学生も多くいるのですが、学習意欲の欠如は、学習する喜びを知らず、将来の夢が描けないようです。
教育については、これで良いというものはありません。
今の教育は、就職や出世のためとするのが多いのですが、江戸時代のそれは、知識の吸収と自分自身の切磋琢磨を主眼としていたと思われ、同じ教育でも取り組みが違ったのではないでしょうか?


江戸時代の生活 ⑪ -教育(藩校)ー

2010年02月07日 10時46分11秒 | 江戸時代とは・・・・・

江戸時代の教育体制には、大きく分けて寺子屋、藩校、私塾があります。
寺子屋が庶民の教育を担っていたのに対して、藩校は、武士の教育が目的でした。
なお、私塾は、後日述べますが、専門分野の教育(蘭学、医学など)が目的でした。

武士を教育するのが目的である藩校は、ほぼ一つの藩に1校はありました。
内容や規模はまちまちでしたが、ほとんどの藩では、藩士の子弟を強制的に入学させ、庶民は入学出来ませんでした。

日本初の藩校は、寛文9年(1669年)に岡山藩主池田光政が設立した花畑教場だそうです。
江戸時代に入り、武断政治から文治政治へと転換し、武力より学問を重視する傾向から各地に設立しました。

藩によって違いますが、初等教育から始まり、武芸・儒学・兵学・漢学などを教えていたようです
藩校が全国的に広まったのは、宝暦期間(1751~64年)ごろ以降であり、多くの藩が藩政改革のため有能な人材を育成することを目的として設立された学校が多いようです。

  
   長州藩の明倫館               会津藩の日新館

藩校が盛んになるにつれ、地方文化の振興や、地方をリードする政治家や学者が出てきました。
代表的な藩校としては、会津藩の日新館、水戸藩の弘道館、長州藩の明倫館、薩摩藩の造士館などが有名です。

幕末には、国学や漢学に止まらず、医学、化学、西洋兵学等の学寮を併設し、現代の総合大学にまで発展してゆく藩校もありました。
しかし、明治維新以後は学制改革の中で廃止された藩校も多くあったのですが、生き残った藩校は、旧制中学校となりました。

その後全国に文部大臣の管理する官立高等中学校が開設され、旧藩や藩医学校の流れをくむ多くの学校が生まれ、それが大学にまで発展してゆきました。

例えば、仙台藩の明倫養賢堂は、現在の東北大学医学部となっています。
その他主な所では、松江藩の文武館などが統合され、現松江赤十字病院。
岡山藩の花畑牧場は現在の岡山大学教育学部。 
彦根藩の弘道館は現在の滋賀県立彦根東高等学校などで、その他にも現在小学校、中学校、高等学校が各地に残っています。

私立の高等学校では、藩校の名前を借りたものもあります。
例えば、秋田藩の明徳館は、その名前を借りて秋田明徳館高等学校などです。

ちなみに、江戸幕府直轄の昌平坂学問所は、現在の東京大学です。


江戸時代の生活 ⑩ -教育(寺子屋)②-

2010年02月05日 11時12分09秒 | 江戸時代とは・・・・・

寺子屋による初等教育の就学率は、農村部まで含んで70~85%と推定され、これは、当時では世界一で、1837年頃のイギリスの大都市でさえ20~25%、革命後のフランスでは1793年に初等教育を義務化したにもかかわらず1.4%だったようで、これらからして、日本の江戸時代の就学率が高かったことがわかります。

しかも、幕府には教育を管轄する役所はなく、お上の計画に則って作られたものではなく、庶民の自発的に発生したシステムだったようです。

ということで、寺子屋に関する記録は、幕府や藩の公文書にはありません。
また、決まった入学年齢があるわけでもなく、家庭の事情によってまちまちでした。

        

寺子屋の起源は、室町時代からと考えられています。
当時は、僧侶となる少年を対象とする教育と、武士の子供を預かって初歩的な読み書きを教える教育の二面性を備えていたようです。

それが、庶民の子供にも手ほどきを与える風習が一般化してきました。
それには、親の子供に対するしつけや教養の必要性が、一般庶民に広まり、それに経済的な余裕も多少は出来てきたのではないかと思われます。

寺子屋の先生、師匠の職業も地域によって違っていたようです。
明治初期、東京府が小学校設立のために寺子屋師匠に提出させた調書には旧身分が書かれており、多いのは農民や商人などの平民(町人)でついで士族でした。
また、千葉県の調査での師匠の職業は、僧職が多く、ついで農民、神官、医師です。
このことから、江戸では、町人が多く、農村では僧職などが多かったことが分かります。

  

寺子屋の教科書は、総称して「往来物」が多かったようです。
往来とは「往復一対の手紙・書状」のことで、日常生活の中で使われているもので、これによって、季節の挨拶や年中行事や人の付き合いなども教えていたようです。
「往来物」は、江戸の民衆にとっては実生活に即した教科書で、教科書の代名詞にもなりました。

その他に文字を学ぶ「千字文」、地名・地理を学ぶ「国尽」「町村尽」。
「四書五経」などの儒学書、「徒然草」「百人一首」などの古典が用いられていました。


立春ですが、再び節分について

2010年02月04日 12時45分59秒 | 独り言・社会・ニュース

昨日が「節分」、そして今日は「立春」です。
立春の「立」は、”始まり”とか”出発”の意です。
冬至と春分の中間点である立春は、春の始まりで四季の巡りの始まりと考えられています。
暦の上で春となるのですが、春とは名ばかりで、厳しい寒さが続いています。

  
  
 昨年、2月23日の大阪城の梅・・・・今年はいつになるのでしょうか?

さて、昨日は、節分の”豆まき”について書いたのですが、節分と言えばもう一つ「恵方巻きの丸かじり」という行事もあります。
しかし、この恵方巻きの丸かじりは、豆まきの歴史に比べると新しいものです。

その年の恵方を向いて”太い巻き寿司”を無言で丸かじりして食うと1年間、良いことがあるというものです。
これは、もともと愛知県の地方での風習らしいのですが、1977年に大阪の海苔問屋協同組合が節分のイベントとして、海苔の拡販を計りました。
それが、徐々に全国に普及したものだそうです。

        

今年の恵方は庚の方向(西のやや南より)で、巻き寿司を使うのは、「福を巻きこむ」からで丸かじりするのは「縁を切らないために包丁を入れない」ということで、丸ごと食べることになったようです。

最近は、「恵方ロールケーキ」とか「恵方ロールパン」などもあるようです。

すべてが、縁起担ぎなのですが、恵方とは、そもそもなんでしょうか?
恵方は、その年の十干により、4つの方位を巡行します。
十干(じっかん)は「陰陽五行説」に基づくもので、五行説とは古代中国の思想で、木、火、土、金、水の五行系が万物も構成するという考えたものだそうです。

陰陽道はすべて「陰」と「陽」の二つに分けられるというもので、これに五行説が結び付き、陰陽五行説といわれ、五行をそれぞれ兄(え)と弟(と)に分けたのが十干ということだそうですが・・・・・。
 
と、ここまで書いてみましたが、ピーンときません。
兎も角、恵方とは、縁起の良い方向ということで、理解しておきましょう。
昨日は、巻き寿司を、西南西の方向に向かって丸かじりしましたか?
ちなみに、来年の恵方は、南南東だそうです。


"鬼は内・・・”もあります。

2010年02月03日 11時34分38秒 | 今日は、何の日

今日、2月3日は、「季節を分ける」ことから「節分(立春の前日)」といいます。
本来は、春夏秋冬すべてに節分があるが、現在は春の節分だけを「節分」と呼んでいます。

節分と云えば、「豆まき」。
その「豆まき」は、宮中行事の儀式のうち「豆打ち」が民間で広まり、その時期も歴月の年の終わりである大晦日から二十四節気による年の終わりである冬の節分の行事へと変わって「豆まき」となったようです。
その「豆まき」は、本来「鬼払い(厄除け)」なので、「福は内、鬼は外」という口上が、室町時代から出来たものと云われています。

しかし、「福は内、鬼は外」と云わない地方やお寺などがあります。
例えば、東京の鬼子母神では「福は内、悪魔は外」
また、川崎市の千歳寺では「福は内、鬼も内」です。
ここでは、鬼を室内に呼び込み、説教して社会復帰させるそうです。

  

埼玉県の鬼鎮神社では「鬼は内、福も内、悪魔外」と呼びます。
愛知県の大須観音は「福は内」だけを云うそうです。
ここは、鬼の面が寺宝なのだそうです。

奈良の天河神社でも「鬼は内、福は内」と呼ばれ、この他にも各地で「鬼は内・・・」と呼ばれているところがあるようです。

なお、「豆まき」の豆には、煎り豆が使われているのは、生豆を使って拾い忘れたものから芽が出ると不吉と言われているからだそうですが、いつから煎り豆を使うようになったのかは、不明です。

また、豆には、魔目(まめ)という意味と魔(鬼)を滅することから魔滅(まめ)という意味の二重の語呂合わせだそうです。


今年のトラは・・・② ー投手編ー

2010年02月01日 09時52分30秒 | 野球・タイガース

今日からプロ野球のキャンプインです。
我がトラは、第1次キャンプを沖縄の宜野座で、2次キャンプは2月20日から四国の安芸で26日までの日程で行われます。

その間、2月13、14日は日本ハムと練習試合を行い、オープン戦は2月27日安芸でオリックスとの対戦が初戦で、開幕は3月26日、京セラドームでの横浜戦が初戦となります。

未更改の下柳は、40%減額の1億800万円、また昨年9勝した久保は、1300万円増の8800万円で昨日サインし、なんとかキャンプに間に合ったようです。
これで、5人も越年した契約更改も全員終了しました。

今年の開幕は、例年より早く、そのためキャンプでの仕上がりもペースを上げなくてはなりません。
特にピッチャーは、その点微妙で、キャンプでの仕上がりを急がなくてはならないのです。
が、その調整方法一つが、今季の長いペナントの出来不出来に影響するのです。

今季の阪神の新人外国人投手は、二人います。
一人は、フオッサム(背番号58)年齢32歳、左投げ左打ち、もう一人は、メッセンジャー(背番号54)で28歳、右投げ右打ちです。

    
       左がフオッサム 右がメッセンジャー

二人ともあまり期待しない方が良いでしょう。 期待したいのは山々なのですが・・・
先日も云った通り、外人は投げてみないと分かりません。
今までがそうであったように・・・・

やはり、今季期待するのは、昨年の実績から、能見であり、岩田なのです。
さびしいのは、この二人に続く、先発要員の名前が出てこないことです。
もちろん、安藤、金村、下柳、上園、福原、久保、杉山などがいるのですが、正直昨年以上の成績は期待出来ないのではないのでしょうか?

特に、安藤に至っては、昨年大事な試合をことごとく負けていた内容(昨季8勝12敗)を見れば、今季も期待など出来ません。
2008年から、巨人戦8試合、勝ち星なしの投手に期待する方が、無茶なのです。
久保田も先発に回ると思われるのですが、これも期待するのは酷なようです。

   
   ドラフト1位 二神 2位の藤原         新人選手入団発表会

期待してゆかなくてはならないのが、ルーキーの藤原とか二神では、少々情けないです。
本当に期待したいのは、キャンプでは2軍スタートとなる石川、白仁田、小嶋なのですが・・・・ 
どちらにしても、”ひょうたんから駒”を期待するしかないのでしょうか?
もっと、トラの投手陣を信頼したいのですが、悲観的になってしまい、この期待を裏切ってくれることを願っています。