1冊だけあった「茶業界」・・・
昭和56年11月号・・・
何方にいただいたのか覚えていないが間違いなく頂き物・・・
なぜ自分に・・・?
それはこの中に【極】の名前があったから・・・
昭和52年にお茶屋を始めた我が家は5年目を迎えていた・・・
3年目から出品を始めた茶業青年団主催のフレッシュグリーンティーコンペティション・・・
略称FGTC・・・
1年目は3等賞、2年目は2等賞・・・
そしてなんと3年目で一気に1等賞1席・・・
素人がたった5年でそんなところまでとはビックリです・・・
当時は審査員に東京の北村園、大佐和茶舗、君野園さんといったメジャーどころが来られていた・・・
「そういった方たちから認められたということは凄いことなんだぞ!!」と取引先からの社長さんからは言われたが・・・
何も知らない当時の【極】に言われてもねぇ・・・
でもこれを励みにさらに3連覇まで・・・
20年間で1等賞1席6回、1等賞入賞は11回と、これが一番のモチベーションでしたね・・・
卒業した後は、そのまま手もみ茶で同じ流れです・・・(+_+)
昭和56年11月号・・・
何方にいただいたのか覚えていないが間違いなく頂き物・・・
なぜ自分に・・・?
それはこの中に【極】の名前があったから・・・
昭和52年にお茶屋を始めた我が家は5年目を迎えていた・・・
3年目から出品を始めた茶業青年団主催のフレッシュグリーンティーコンペティション・・・
略称FGTC・・・
1年目は3等賞、2年目は2等賞・・・
そしてなんと3年目で一気に1等賞1席・・・
素人がたった5年でそんなところまでとはビックリです・・・
当時は審査員に東京の北村園、大佐和茶舗、君野園さんといったメジャーどころが来られていた・・・
「そういった方たちから認められたということは凄いことなんだぞ!!」と取引先からの社長さんからは言われたが・・・
何も知らない当時の【極】に言われてもねぇ・・・
でもこれを励みにさらに3連覇まで・・・
20年間で1等賞1席6回、1等賞入賞は11回と、これが一番のモチベーションでしたね・・・
卒業した後は、そのまま手もみ茶で同じ流れです・・・(+_+)
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