極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

原理と現場

2013年08月29日 | 時事書評

 

 

 

【半導体不平等条約】

産経新聞が26日に「半導体“不平等条約”で「失われた10年」恩恵を受けたの韓国勢」との見出
しで、この時期に日の丸半導体産業メーカの衰退史の特集に目がとまる。この背景に、米国の対
日貿易赤字を食い止めるため円安ドル高是正を図った1985年のプラザ合意がある。プラザ合意以
降の円高にあっても日本企業は合理化や海外への工場移転などで高い競争力を維持していたため
に、故ピーター・ドラッガーが敵対的貿易輸出と言わしめたほどに、米国の対日赤字は膨らむ一
方だった。そんな中、米国議会は相手国に対する強力な報復制裁を含めた新貿易法・スーパー301
条を通過させ、政府に対し対日強行措置を構じる。そして
、1989年から1990年にかけて、日米貿
易不均衡の是正を目的に日米構造協議が協議され、1994年から1999年にかけ日米包括経済協議と
して継続協議(「日米間の新たな経済パートナーシップのための枠組み」)された。

当時の国際貿易問題は通常「GATT」(WTOの前身)で協議されていたが、日米貿易摩擦解消のため、
1989年7月14日の日米首脳会談の席上、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が宇野宗佑総理大臣に
提案し、実現したのが「日米構造協議」。プラザ合意以降の円高ドル安の中でも、米国の対日赤
字が膨らむ要因は、日本の市場の閉鎖性(非関税障壁)にあるとして、主に日本の経済構造の改
造と市場の開放を迫った(1990年1月31日にベルン行われた非公式会議での米国の日本に対する
要求は、優に200項目を超える膨大な量で構成)。日米構造協議以前にも「MOSS協議(市場分野別
個別協議)」や「日米円ドル委員会」などの日米2国間での貿易交渉は度々行われてきたが、個
別品目や為替などに範囲を限定したものであったが、商習慣や流通構造などの国のあり方や文化
にまで範囲を広げる交渉は日米構造協議がはじめて。当時、故吉本隆明は、米国の要求事項を「
第二の敗戦」と米国の新自由主義サイドの原則論を展開し批評していた(『大情況論:世界はど
こへいくのか』弓立社、1992年)。↓

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※『大情況論:世界はどこへいくのか』/情況論/序.現代を読む―日本・ソ連・アメリカ問題/ 
1「現代」と「現在」の違い(1)消費支出 選択消費が50パーセントを超える意味、「現在」
に入った時期 わかりにくい「現在」(2)昭和四八年前後の転換 先端の分析/「現在」の公
害問題/消費税の妥当性(3)中流意識(4)老人問題/2ソ連(1)政変(2)新連邦条約案
国家の理想型(3)所有・農業・軍事/3アメリカ(1)中東戦争 半世紀前と変わらぬアメリ
カ/日本の対応(2)日米構造協議→日本の今の限界/バブル崩壊の意味/現在は第二の敗戦期  

I 中東湾岸戦争私論―理念の戦場はどこにあるのか:「夢」としての日本国憲法第九条/「夢」
は現状と衝突する/日米構造協議の米国による日本改造計画案/ソ連邦の内部で進行しつつある
事態〈註〉中東戦争についての声明、こんどソ連で起こったこと:国家を開くこと/農業・土地
問題 世界転向論/1「転向論」の現在化、2中野重治「敗戦前日記」/70年代のアメリカまで
―さまよう不可視の「ビアフラ共和国」/善悪を超えた「資本主義」の遊び方―〈対談〉吉本隆
明×フェリックス・ガタリ、1国有化政策と社会主義 国家か資本か、2資本主義は、現在の最
高の作品、3それぞれの国の資本主義/第三世界の飢えをどうするか

II 日本の現在・世界の動き:1現在の日本の社会像 2社会像の転換点はどこか 社会像転換
のシンボル/産業の転換と人口の減少 3日本国家の敗北 公共投資/土地利用・流通問題 4
国家規制力と国家のイメージ ソ連・東欧の問題と国家のイメージ/飢えの中の高揚 5労働〈
組合〉運動の課題 もっとも進んだ理念的国家、ポーランド/国鉄の民営化/社会主義の三つの
理念/昭和天皇とその時代―〈対談〉吉本隆明×山折哲雄 二つの時代を体験した天皇/天皇制
の基礎と命運/天皇の権威 日本人の「場所」―象徴天皇制と高度資本主義社会 1象徴天皇制
と農業問題 象徴天皇制を頭にいただいた高度資本主義社会/農耕社会と天皇制/シンボルとし
ての天皇/象徴天皇制と農地改革/社会ファシズムと農本ファシズム/保守系ラジカリストと進
歩的反動/象徴天皇制はどこで終わるか 2高度資本主義社会での日本人の場所 産業構造/労
働組合の組織率と中流意識 1970年代の光と影 1一九七○年代の意味 七○年代の団塊の世代
/七0年代の戦中派の世代、2七○年代に始まった眼にみえぬ戦争 ニクソン・ショックと石油
ショック/「反物語」を創る 3七○年代以降の文化・都市問題 都市問題/アンチカルチャー
は可能か 4九○年代以降の課題 住宅問題と土地問題/「はじまり」の兆候がでてきたいまの
社会とことば 1新語と流行語 新語/流行語/大衆賞をうけた『愛される理由』、2新語・流
行語の共通の背景 消費社会/老人度と青少年度/合計特殊出生率/未婚率の増加/女子の就職
率・就職先/日曜の夜をどうすごすか、3『ちびまる子ちゃん』とは何か 『ちびまる子ちゃん』
が受ける理由/再現性のみごとさ 4 白井麻子はどんなOLか 抜群の風俗感覚/段階をもとに
した倫理観/欠乏をもとにする倫理観の終焉/言葉の社会の変わりかた/注記等 「この本に理念
があるとすれば、一般の大衆を歴史の無意識から生み落とされた受身な存在という場所から、じ
ぶんに根拠をあたえる理念を一般の大衆自身がもつ場所に出てゆくことが、現在の世界史のいち
ばん先端の課題だということだ。それが激動を判断するばあいの、わたしの基準母型になってい
る。もうひとつ付けくわえておくと、わたしはたれでもが手易く読んだり視たりできる新聞・雑
誌・テレビなどの情報のほか、どんな資料や情報もつかっていない。いいかえれば大衆のたれも
がもっている判断可能性のなかで、わたしの判断は成りたっている。」(あとがき)
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↑さて、日米半導体協定は日の丸半導体の競争力を徐々にそいでいった。日本メーカは危機感を
抱きなが
らも世界を席巻したDRAM(揮発性書き込み記憶素子)に安住、次の成長戦略を描けなか
った。10年に及んだ日米半導体協
は平成8(1996)年に終結。そのとき日本メーカーはすでに
世界の時流から取り残される。
日本製半導体のダンピング輸出防止のため、米国側は日本メーカ
スト構造の開示を求める。米商務省はそのデータに基づき、メーカごとの最低価格をはじき出
各メーカの輸出価格を決めていく。価格決定権が日本側になく、自由度が完全に奪われたと日
立製作所で半導体事業を担っていた牧本次生(76)はこう振り返える。コスト構造の開示
により
日本メーカの実力は競争相手に丸裸にされたというが、このときの米国側は、市場による価格決
定と自由競争を不問になりふり構わぬご都合主義に走る。

 
日本市場の開放についても、通産省(現経済産業省)は「政府にとって最重要事項」であるとし
てメーカ側に外国製半導体の購入目標を突きつける。「自社製品がありながら、海外のものを文
句を言わずに買えというお達しだった」。これは、商習慣として、顧客製品を購入し自社製品を
売るというキック・バックとは、規模と政府の政策圧力という点で異なるもののよく似たもので、
複雑な国内政治力学を背景としたトレード・オフと似はいるが、当時を語る牧本は今も憤りを隠
さなかったという。1996年に日本市場での外国製半導体のシェアは25%以上となり、日米の世界
シェアも2005年に米国が再逆転し目的達成される。日の丸半導体が再び競争力を高めるに、この
“不平等条約”を終わらせるしかなく、1996年7月にカナダ・バンクーバーで開かれた民間交渉
を任された牧本は、悲壮な決意を持って米国側と対峙したという。牧本は日本市場の開放やダン
ピング防止など日米協定に関わる政府関与の撤廃を訴えたが、米国側は、あくまでも政府関与
認めないのであれば交渉を打ち切ると強硬姿勢を貫くと一歩も譲らなかったというが、市場の閉
鎖とは米国のご都合主義(実用主義)であり、吉本隆明
いうような原理主義の実態現場真逆
にあったことがここで語られている。

事態打開のため、日本側は、貿易問題が民間レベルでこじれた場合に政府間の交渉の場となる「
主要国政府会合」の設立や、外国製半導体の購入を支援した半導体ユーザ協議会の解散延期など
を提示。最終的に両者が協定終結する(1996年8月2日)。「第2の終戦」と牧本は、米国側の
完全勝利に終わった半導体協定終結をこう呼ぶ。日本勢が米国との半導体摩擦に忙殺されていた
陰で、1985年にインテルはDRAM
事業から撤退、マイクロプロセッサー開発に特化。同じ年に半
導体の設計・開発に特化したクアルコムが誕生。後に受託生産で世界を席巻するTSMCも1987年
に産声を上げ、
日本抜きで次のゲームのルールが練られていたと、当時、東芝の半導体開発部門
にいた飯塚哲哉(現ザインエレクトロニクス会長)はそう感じた。技術が汎用化したDRAMに変わ
る戦略商品の開発に力を注ぐとともに、総合電機メーカーが開発から生産、販売までを手掛ける
「垂直統合型」から得意分野に特化する「水平分業型」へ変化していく。
 
これに対し、日本勢の動きは鈍く、次の成長戦略を描けないでいたという。官民一体となったプ
ロジェクトで世界トップに立った日本側に、米国側が“官民癒着”を指摘し不公正貿易に対する
報復措置を定めた米通商法301条を盾に日米半導体協定を結んだ経緯から官民ともに“思考停
止”しそのまま日本勢は失速する。日本メーカの衰退と軌を一にし韓国勢は日米半導体協定締結
後からDRAM事業を立ち上げ、投資を集中。韓国製半導体は外国製半導体として日本市場で急伸し、
価格設定に苦しむ日の丸半導体の牙城を世界市場を接見していく。この韓国勢躍進に手を貸した
のは、日本市場で20%以上の外国製半導体を受け入れる必要があるため、韓国側に技術を供与し
多くの日本技術者が韓国側に招かれ週末に海を渡る。当時、東芝で半導体工場長などを務めてい
た川西剛は、伸び盛りの韓国での仕事に技術者としてやりがい、生きがいを感じていた人間はい
たかもしれないと振り返り、韓国側が日本の最先端工場を見学させると、レイアウトをそっくり
模した工場が韓国で完成したという。もっとも、このような行動は日本のメーカもおこなってき
たことだからリスク管理の甘さを自ら吐露しているのと等しいが、政府サイドも同様で、通産省
で通産審議官などを歴任した坂本吉弘は、平成の初め頃まで、日本の産業競争力の低下の認識は
薄く、アジア勢が強くなるということも想像できなかった打ち明けている。「日米半導体協定の
恩恵を最も享受したのは韓国メーカだった」と牧本が指摘するように韓国勢は1998年にはDRAMの
年間売上高は日本メーカを追い抜く。それ以降、日本メーカーは韓国勢の後塵を拝す。日米半導
体協定の打ち切り交渉協定締結時は日米政府が交渉を主導したが、両国の産業界代表が具体的な
枠組みを取り決め、政府間で追認する形式で進められ、1996年8月のカナダ・バンクーバーで行
われた交渉で協定延長打ち切り合意。これにより日本市場での外国産半導体シェアの数値目標が
全廃、半導体貿易の問題などを多国間で協議する「世界半導体会議」の開催が決まったという。


 以上、日本の勤労庶民の血税を注ぎ育てたDRAMを中心とした半導体産業は、新自由主義らが推進す
る自由貿易主義・市場原理主義とはおよそ似つかぬ二国間の国家社会主義的政策(?)で、ご都
合主義的な政治的判断で、トレードオフ、価格決定されていくことを鮮やかにこの記事は描いて
いる。なんのために?TPP交渉への警鐘として?それとも・・・? 映画評論家の故淀川長治が、
口にしていた“個人主義の雑草”(自己中)のごとき新自由主義が最後には国家主義と不義密通
の不自由さから、その呪縛から逃れられずにいる。たとえば、血税を投入し南高梅の育種開発に
成功しても、その苗木が不法に持ち出され中国で栽培、逆輸入されるごとく、日本のDRAM半導体
産業も日本勤労国民に利益還元できずに、他国に奉仕あるいは贈与するような経済行動を取って
いるとするなら、利益還元の範囲・程度の差は容認できたとしても、まるまる損をするのはいか
がにもエキセントリックの度が過ぎる。いや、人のふんどしで相撲を取るがごとき“個人主義の
雑草”は“国賊”という顔を垣間見るせようでもある。もっとも、時間のレンジを長く取ればや
がて世界の勤労庶民に貢献した“英雄”として讃えられるかもしれない。それと、最近、韓国が
日本に対する対抗心を煽るかのような動きは、日米間の貿易摩擦による“漁夫の利”の喪失の怖
れの表れかもしれない? また、吉本隆明の例のように評論者としての原理(あるいは原理主義)
は一顧だに値するが、現実の、現場での国家官僚・政治家・営利企業経営者などのそれは、観念
ではすませられない決定的な瑕疵あるいは実害を引き起こすことをこの記事から学ぶことができ
るのではないだろうか。



 

 

 

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