浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】成田龍一『近現代日本と歴史学』(中公新書)

2012-04-06 23:05:15 | 日記
 なかなか読みでのある本だ。

 副題に「書き替えられてきた歴史」とあるが、そのテーマについては目的を達している。E・H・カー『歴史とはなにか』(岩波新書)を著者が引用しているように、「事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、また、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのです」というように、時代によって、歴史家によって、歴史の叙述は替わっていく。その経緯は、きちんと記されている。

 歴史家が事実に呼びかけるというのは、ただ単純に事実に向き合うのではない。歴史家は、当該の歴史的状況のなかで、どういう課題意識をもって、またいかなる理論的背景をもって事実に対座し、その事実をどう叙述したのかが問われるのである。

 したがって、史学史を明らかにするということは、上記の問題を欠かすわけにはいかない。

 本書も、一応はそういう考えをもって、戦後歴史学の近現代史に関する史学史を記述している。だが私には、どうも不満である。

 著者と私とはほぼ同じ時期に歴史を学んできている。したがって、著者が提示する研究書は、私も同じように読み、多大な影響を受けてきた。だが私が思うに、それぞれの研究書が記されたとき、その歴史家は当該の時代を生き、鋭い課題意識をもってそれぞれの研究を進めてきたのだ。そうしたことを記述することが史学史であるはずだが、その記述が弱い、別の言い方をするなら歴史家の営為に対する真摯さが足りない。歴史家たちはもっともっと深刻な問題意識をもって研究をすすめてきたはずだ。その問題意識に向き合う姿勢が、どうも弱い。紙数の問題もあろうが、著者自身、そういう問題意識をもって研究してこなかったのではないか。

 時代や事実と格闘しながら、歴史家は研究を進めてきた、その格闘を、著者は見つめていない。ひょっとしたら、著者は史料、あるいは現実の課題と格闘しながら歴史研究をしてこなかったのではないかと思った。こういうことばを使って良いのなら、著者は「歴史家」ではなくて、「歴史批評家」ではないかと思った。

 著者は、224頁で上野千鶴子の批判に言及している。「一般化して言えば、出来事が終了した事後の立場と視点から、出来事の評価と批判を行うことが、歴史家として適切な行為であるかという歴史学の根幹に関わる論点」として、上野の批判を肯定的に紹介する。もちろんその「評価と批判」ははるか天上から断罪するようなものであってはならない(事後の立場と視点からでも、その出来事を内在的に評価し批判することは可能だ)が、「出来事が終了した事後の立場と視点から、出来事の評価と批判を行う」のは、当然のことではないかと思う。

 そういう上野の意見に賛同しているからか、『坂の上の雲』と司馬遼太郎への見方は甘い(173頁)。朝鮮認識の弱さなどについて、「1960年代後半から70年代にかけての司馬の問題意識によって書かれた」ものだ、と弁解する。だがすでに山辺健太郎の本は出版されている。後に、司馬は、この作品が朝鮮認識について弱さを持っていることを自覚していたようだ。だからこそ、ドラマ化を司馬は拒んでいたのではないか。

 『坂の上の雲』がテレビドラマ化され、人々の歴史認識に大きな影響を与える可能性があるとき、その作品に瑕疵があるのであれば、それを批判するのは当然であると思う。

 著者は、様々な研究から多大な知的触発を受けてきた、それがこの本では述べられているといってもよいだろう。沖縄についての屋嘉比収の研究、戦後日本思想を、「在日」の視点から鋭く問いかける尹健次の研究などには、著者も大きな刺激を受けたようだ。

 
※私も尹の諸説、屋嘉比の突きつける問いに衝撃を受けた。その問いにどう応えるかを考えざるを得なかった。著者は、そのような問いは問いとしてそのままにする。自分自身には突き刺さらないのだ。


 だが、それらの問題についての、当事者意識が弱い。だからか「歴史家であっても、現在に関わる出来事については、状況への発言として発する人もいます」(248頁)と書いている。この箇所は、その前の文でこの項目は終えていても良い記述なのだが、唐突感がある。おそらく著者は、そういう発言する「歴史家」ではないのだろう。

 この本は、「歴史の教員を目指す学生」への講義から生まれたそうだ。著者の「史学史を踏まえた歴史教育を行って欲しい」という願望はよい。だとするなら、もっと真摯に歴史家たちの課題意識に寄り添うべきであった。

 著者は、多くの参考文献を読みこなして史学史をたどっているが、なかには最近のもので知らない文献もあった。感謝したい。著者の勉強ぶりには、脱帽するしかない。

[追記] ないものねだりかもしれないが、本書には、経済史や農業史などの紹介がない。ほぼ政治史に関わる学説の変遷を、高校教科書の記述を導入部分としながら記述しているのだが、なぜそれが視野にないのかが気になった。
 
  


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