カネもうけだけを考えながら、高校の教員をしていた人がいた。話はいつもカネもうけと、いかに仕事をさぼるかしか興味関心がないような人だった。ひょんなことから知り合いになったのだが、これから奥さんを園長にして幼稚園だか保育園をつくるんだ、と言っていた。何でも親から相続した広い土地があるので、それを有効活用したいというものだった。すでに彼はアパート経営もしていて、その経営についてもいろいろ話をされていた。
園をつくるにあたって、いかに自分のカネをつかわずに、公的機関からカネをせしめるか、その補助金の中身について説明をされたことがあった。私は生半可に聞いていたのであまり覚えていないのだが、考えてみれば、加計学園の図式と同じだなと思った。とにかくどういう補助金があり、いかにそれを引き出すか、それを必死に調べていた。
また企業もそうだが、某企業の方も、市や県から補助金を獲得しようと、どういうことに補助金が出るか、どうしたら補助金がでるかなど、話をしてくれた方もいた。
その時思ったのは、資本主義社会というのは、資本を持っている人には、公的機関が様々な援助をしている、ということだ。
「私」というのは、何も財産をもっていない普通の人。「私」には、補助金はない。しかし私企業や私立の学校、幼稚園などは「私」ではない。「私」ではないから、補助金がある。
様々な補助金がある。行政改革という名によって、地域の住民組織などへのそれはかなり減ったが、企業などへのそれは増えている。新自由主義は、資本を持つ者にはさらなる利益を与えるのだ。
園をつくるにあたって、いかに自分のカネをつかわずに、公的機関からカネをせしめるか、その補助金の中身について説明をされたことがあった。私は生半可に聞いていたのであまり覚えていないのだが、考えてみれば、加計学園の図式と同じだなと思った。とにかくどういう補助金があり、いかにそれを引き出すか、それを必死に調べていた。
また企業もそうだが、某企業の方も、市や県から補助金を獲得しようと、どういうことに補助金が出るか、どうしたら補助金がでるかなど、話をしてくれた方もいた。
その時思ったのは、資本主義社会というのは、資本を持っている人には、公的機関が様々な援助をしている、ということだ。
「私」というのは、何も財産をもっていない普通の人。「私」には、補助金はない。しかし私企業や私立の学校、幼稚園などは「私」ではない。「私」ではないから、補助金がある。
様々な補助金がある。行政改革という名によって、地域の住民組織などへのそれはかなり減ったが、企業などへのそれは増えている。新自由主義は、資本を持つ者にはさらなる利益を与えるのだ。