小野小町地区は、湯沢市役所の南南西約12kmのところ(旧雄勝町役場の北東約2km)
国道13号線湯沢横手道路を南へ、雄勝こまちインター(終点)で降ります
信号を右(北)へ、国道13号線を湯沢方面へ戻るように進むとすぐ左に「道の駅おがち」の先の信号(二つ目)を左へ
小町塚前の駐車場に車を止めさせて頂きました
正面に赤い小町堂の入り口です
右手には史跡 小町塚の石碑が有ります
東南東向きに小町堂の山門です
説明版です
小野小町遺跡
小野小町生誕の地
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに(小野小町)
小野小町は、大同4年、出羽国福富の荘(湯沢市小野字桐の木田)で生まれました。
幼い頃から美しく13歳の頃、京にのぼりその後20年程宮中に使えました。その容姿の美しさや才能の優れていることなど、数多くの女官中ならぶ者がいないと言われ、時の帝から寵愛を受けました。
しかし小町は36歳にして、故郷恋しさのあまり生地小野の郷に帰り、庵をつくり歌に明け歌に暮れしておりました。京から小町の本に帝がなくなったので、小町に想いを寄せていた、深草少将は急ぎ東下りをし、長鮮寺に仮の住まいを求めました。そして百夜通いの逸話を残し99日目の夜、降り続いた雨の中森子川にかかった橋とともに流され亡くなってしまうのです。これを聞いた小町は嘆き悲しみ少将の遺骸を森子山(二つ森)に葬りました。
その後小町は、岩屋堂に住み世を避け香をたきながら一人自像をきざみ、92歳で生涯を閉じました。
「小町まつり」は、毎年芍薬の花香る、6月第二日曜日に、七小町による和歌朗詠、稚児行列などが、盛大に行われます。
湯沢市
山門を潜ると正面に小町堂です
境内左にイチョウです、やなぎは見当たりません
小町堂裏側の出口です
菅江真澄耒訪弐周年記念の標柱です、「天明5年(1785)4月14日に小野のふるさとを訪れる」とあります
説明版です
菅江真澄
江戸中期の民俗学者・紀行家。本名白井秀雄、三河の人。
1784(天明4年)31歳で出羽へ入国。東北各地を巡遊すること40年、当時の民間記録を含め、貴重な資料が蒐集されている。
その中で「雪の出羽路」小野のふるさとには、当時の小野村に伝わる、小野の小町の郷土伝承が克明に描かれている。
1829(文政12年)7月、76才、角館にて死去する。
平成2年6月
小野小町遺跡保存会
よくよく見ると出口の左側塀の上に柳の樹冠です
裏門を出ると左に太い幹が見えました
北側から、幹は2.5mほどで伐られています、湯沢市雄物川町の市神様(シダレヤナギ)や大仙市大曲西根の新堀八幡のタモ(ハル二レ)と同じようです
北西側から、幹の中は洞になっていますので、これが伐られる原因だったようです
西側から、それでも多くの枝垂れた枝が伸びていますので、巨木フアンを楽しませてくれるでしょう
南西側から、目通り幹囲は4m程の大木です
西側から小町堂裏側を見ました
*グーグルマップの小町堂の写真の中には、2011年の伐られる前の姿が映っているものが一枚だけ確認できました
*小野小町の墓と称されるものはあちこちに在ります、このブログの2017年5月18日にも福島県喜多方市、伝小野小町塚で紹介させていただいております
では、次へ行きましょう
国道13号線湯沢横手道路を南へ、雄勝こまちインター(終点)で降ります
信号を右(北)へ、国道13号線を湯沢方面へ戻るように進むとすぐ左に「道の駅おがち」の先の信号(二つ目)を左へ
小町塚前の駐車場に車を止めさせて頂きました
正面に赤い小町堂の入り口です
右手には史跡 小町塚の石碑が有ります
東南東向きに小町堂の山門です
説明版です
小野小町遺跡
小野小町生誕の地
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに(小野小町)
小野小町は、大同4年、出羽国福富の荘(湯沢市小野字桐の木田)で生まれました。
幼い頃から美しく13歳の頃、京にのぼりその後20年程宮中に使えました。その容姿の美しさや才能の優れていることなど、数多くの女官中ならぶ者がいないと言われ、時の帝から寵愛を受けました。
しかし小町は36歳にして、故郷恋しさのあまり生地小野の郷に帰り、庵をつくり歌に明け歌に暮れしておりました。京から小町の本に帝がなくなったので、小町に想いを寄せていた、深草少将は急ぎ東下りをし、長鮮寺に仮の住まいを求めました。そして百夜通いの逸話を残し99日目の夜、降り続いた雨の中森子川にかかった橋とともに流され亡くなってしまうのです。これを聞いた小町は嘆き悲しみ少将の遺骸を森子山(二つ森)に葬りました。
その後小町は、岩屋堂に住み世を避け香をたきながら一人自像をきざみ、92歳で生涯を閉じました。
「小町まつり」は、毎年芍薬の花香る、6月第二日曜日に、七小町による和歌朗詠、稚児行列などが、盛大に行われます。
湯沢市
山門を潜ると正面に小町堂です
境内左にイチョウです、やなぎは見当たりません
小町堂裏側の出口です
菅江真澄耒訪弐周年記念の標柱です、「天明5年(1785)4月14日に小野のふるさとを訪れる」とあります
説明版です
菅江真澄
江戸中期の民俗学者・紀行家。本名白井秀雄、三河の人。
1784(天明4年)31歳で出羽へ入国。東北各地を巡遊すること40年、当時の民間記録を含め、貴重な資料が蒐集されている。
その中で「雪の出羽路」小野のふるさとには、当時の小野村に伝わる、小野の小町の郷土伝承が克明に描かれている。
1829(文政12年)7月、76才、角館にて死去する。
平成2年6月
小野小町遺跡保存会
よくよく見ると出口の左側塀の上に柳の樹冠です
裏門を出ると左に太い幹が見えました
北側から、幹は2.5mほどで伐られています、湯沢市雄物川町の市神様(シダレヤナギ)や大仙市大曲西根の新堀八幡のタモ(ハル二レ)と同じようです
北西側から、幹の中は洞になっていますので、これが伐られる原因だったようです
西側から、それでも多くの枝垂れた枝が伸びていますので、巨木フアンを楽しませてくれるでしょう
南西側から、目通り幹囲は4m程の大木です
西側から小町堂裏側を見ました
*グーグルマップの小町堂の写真の中には、2011年の伐られる前の姿が映っているものが一枚だけ確認できました
*小野小町の墓と称されるものはあちこちに在ります、このブログの2017年5月18日にも福島県喜多方市、伝小野小町塚で紹介させていただいております
では、次へ行きましょう