ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県五泉市、村松甲「猿田彦神社の愛宕庚申杉」(市指定)です!!

2023-03-16 18:30:55 | 巨樹・大木
 村松甲地区は、五泉市役所の南約7km、五泉市役所村松支所の東約1kmの所に猿田彦神社が有ります

 五泉市役所村松支所から大手通りを東へ、国道290線を左(北)へ、直ぐの下町信号を右(東)へ県道17号線です

 約500mの学校町2信号を右(南東)へ、細い住宅地の中を進むと

 猿田彦神社の赤い鳥居と目的のスギが見えました

 鳥居前に車を止めさせて頂きました

 猿田彦神社社殿です

 説明版です
  御堂入 愛宕山 庚申堂の由来
 世に庚申をまつるもの、現世にては無量の災害をまぬがれ、亦願として成就せざるはなし。
 柳々本朝の庚申を祭る由来は、摂津の国、難波の津に「上宮太子」四天王寺、御建立の砌、初めて天降りましませり。
 それより普く諸国に祭る所なり、爰に村松東藩、新室町裏に、年経る庚申塚あり、いつの頃より安置せるや、知る人更になし。
 正徳年中の頃に相墨氏ゆかりの仁なるよし、黄昏時湯灌の穢れたるものを、湿地の萱原へ捨てに行きし処。端正美麗の婦人位冠を正し一人佇み居て申するは、「汝此所へ不浄のものを捨てに来れり、然れども爰は清浄無垢の地にして後七・八十年も、越えぬ内に軒を連ねて繁華の地とならん、疾々他処へ持ち行くべし。是等の理義を知らしめん為め、爰に待っものなり」と云う。
 其時、右の仁、目を怒らし「其方何奴なればあらぬ事をいうて、人を欺くや少しも苦しからず、邪魔をするな」と支るを構わず頓にうち捨てたりし後、其の夜眠る事能わず、独り不思議なさに大小を差し、再度場所へ来り見るに、以前の婦人一人依然として在りて申すに、「汝輩此の穢を早々他へ持ち行くべし」という時に、彼の仁、大きに怒り、「狐狸の分際として何ぞ人をたぶらかす」と、刀を抜いて肩先より脇腹へかけて切落とせり。然れども暗夜にて、黒白も分からぜればそのままただちに帰り、翌日未明に死骸を改めんと尋ね行きしに、女の死骸にあらずして、自然石の塔切られてあり、能々見れば「庚申塚」の文字あり、是はおもいば忽ち目暗みて、前後を知らず。
 揶ありて正気となり、初めて庚申の霊験なる事を知り、頓て塚を築き奉りて現罪をまぬかれしめ賜ひと、誠心に侘び奉り、日ならずして塔を建立して其の身一代怠らず、信仰せしとなん。
 是老人の口碑に伝ふる処なり、今其の切目全く癒て、面に筋あるのみ、其頃より信仰するもの少なからず、霊験も亦日々に新なり。其後信者の協力にて。天保年間に御堂を再建し并て「北信妙見大菩薩道祖神」を相殿として今に至りて百四十餘年の久しきに垂んとす、御堂も亦敗壊におよび、此度御堂を新築せんと欲す、依て信仰者を糾合して講中を結びて祭日毎に聊か金を醸し。それぞれ良法を設けて造営に着手せんとす。
 冀くは四方の有志の諸君講中に御加入あらん事を願上奉り候。  以上
  昭和55年8月10日


 目的の愛宕庚申杉です

 案内板です
  愛宕 庚申杉
 この杉は、学校町より愛宕山の遊歩道の登り口にある。
 猿田彦神社(大正10年学校町より移転)の御神木として町民に親しまれて来ました
 樹齢 約450年 

 もう一枚案内板です
 愛宕神社の裏大門として大杉の下を参拝通路として使用していました。
 大正10年に庚申杉として親しまれて来ました。
 現在御神木として講中で奉って居ます。

 西側から、目通り幹囲5.5mの巨木です


 南西側から

 南側から

 愛宕神社への裏参道です

 では、次へ行きましょう 
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愛知県安城市、安城町拝木「明法寺のイブキ」(市指定)です!!

2023-03-16 06:32:00 | 文化財・樹木
 安城町拝木地区は、安城市役所の東南東約2kmのところ

 安城市役所前から県道45号線を南南西へ、市役所南信号を左(南東)へ

 約1.5kmの南安城駅東信号を斜め右へ、約300mで安城町清水信号の先


 県道78号線沿い左手に明法寺の案内板です

 明法寺の周りには駐車場が無いので、県道向かい側の安城市歴史博物館の駐車場に車を止めさせて頂きました


 境内入口です

 真宗大谷派 明法寺です

 鐘楼です

 手水舎です

 本堂です

 説明石碑です
   真宗大谷派 明法寺
 嘉禎元(1235)年親鸞聖人は関東より帰洛の途中、桑子の柳堂で説法された。この時聞法随喜し上人の弟子となった和田圓善は後に安城の地の念佛の道場を開いた。明法寺である。
 西本願寺にある国宝「安静御影」はかつて明法寺に奉安されていたと伝えられている。「方便法身尊形」は文亀元(1501)年本願寺とり下附されている。安城市指定の文化財である。
 この鬼瓦は、天明2(1782)年に再建された現在の堂宇を飾っていたものである。

 親鸞上人像です


 目的のイブキは、庫裏と本堂の間に裏庭に在りますので樹冠のみ見る事が出来ました

 説明版です
   市指定天然記念物 西明寺のイブキ 昭和50年3月13日指定
 明法寺は、塚本山安静院と号し、真宗大谷派に属します。
 開基は貞治3年(1364)に記された「三河念仏相承日記」に登場する、円善と伝えられます。
 それによると、建長8年(1256)に親鸞聖人の弟子の顕智が、念仏勧進のため三河の「権守殿」のもとに逗留し三河に浄土真宗をひろめました。権守は深く帰依し円善と号しました。円善の弟子は数多く、三河だけでなく北陸でも活躍しました。
 明法寺のイブキは寺の中庭にあるため、境内からは全貌を望むことはできませんが、屋根越しの樹高の上3分の1ほどが窺えます。
 イブキはヒノキの仲間で「柏眞」とも呼ばれ、冬になっても葉を落とさない常緑樹です。
 ヒノキやスギと異なるのは、幹がねじれて伸びていく点で、大きく育った姿はまるで彫刻作品のような迫力があります。この樹の枝を仏花に用いるために植えられたと言われています。
 明法寺のイブキも、明法寺を見渡すように幾重にもねじ曲がり、枝振りはやや東に傾いています。すぐ近くに迫った本堂の基礎を根が巻き込むようにして伸びる姿は、この樹の力強い生命力を感じさせます。
 市内のイブキでは、野寺の本證寺に次ぐ巨樹で、樹齢はおよそ400年と伝えられています。
   樹高   15.00m
   幹周    3.23m
   枝張り 南北 8.7m
       東西10.9m
 (平成28/2016年現在)
     安城市教育委員会


 お地蔵様です

 市指定史跡 中川覚右衛門墓碑の説明版です


 では、歴史博物館に戻りましょう

 家康と一向一揆の特別展が開かれています

 安城市歴史博物館入口です、中を覗くと大勢の見学者がいらしたので遠慮しました

 では、次へ行きましょう
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新潟県五泉市、土堀「坂田家住宅の大ケヤキ」です!!

2023-03-15 18:31:00 | 巨樹・大木
 土堀地区は、五泉市役所の東南東約4kmのところ

 五千市役所から南へ約700mの信号を左(東)へ、県道436号線です、約2kmで早出川を渡ります、

 更に約1.4kmの猿和田駅入口の信号の脇に坂田家住宅の案内板です

 信号を左(北西)へ入って間も無く

 道路の右手に「国登録有形文化財 坂田家住宅」の標柱が有ります

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 屋敷林の中へ入らせて頂きました、右手に目的のケヤキの樹冠が見えました

 坂田家住宅です

 現在はNPO法人五泉トゲソの会が管理しているようです、車が止まっていたので、声を掛けましたが返答が有りません

 *トゲソとは、トゲウオ科トミヨ属の淡水魚、絶滅危惧1類に指定されているイバラトミヨの事を五泉市周辺での呼び名です
 *坂田家住宅の屋敷林の中には、新潟県の名水「どばしっこ清水」の湧水があり、イバラトミヨの生息地となっているようです

 説明版です
  ―国登録有形文化財―
    坂田家住宅
    所在地   五泉市土掘295
    指定年月日 2011(平成23)年1月26日
 坂田家は、元禄の頃に越前よりこの地に移住したと伝えられています。
 江戸時代末期には庄屋を務め、この五泉地域を治めていた沼津藩の公的な役割を担っていました。また、戊辰戦争時には町の荷駄方役を務めました。
 坂田家住宅の中心となる母屋は江戸時代末期の建築です。昭和28年(1953年)に改築されましたが、家の主要部分である、茶の間、前座敷、仏間、座敷、奥座敷といった催事や仏事、接客に使用した部屋は建築当時の様式を残しています。
 主屋を中心として敷地の南側には新倉と古土蔵があります。また東側には、時代の推移とこの家とを常に見守ってきた大ケヤキが立ち、その裏に土蔵があります。そして、北側には堆肥舎があり、屋敷の東奥は杉木立の屋敷林となっています。
 このような周辺の建物や景観も含め、全体として近世期の屋敷構えがよく保存されており、当時の富裕農民の様子を今に伝える貴重な文化財として、主屋・新倉・古土蔵・土蔵・堆肥舎の5件が国登録有形文化財となりました。
      2011(平成23)年7月 五泉市教育委員会

 
 ケヤキを西側から見ました、目通り幹囲5.6mの巨木です

 これより先へはお邪魔できませんでした

 では、次へ行きましょう
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愛知県安城市、村高町楠「村高の大クス 二樹」(市指定)です!!

2023-03-15 06:30:00 | 巨樹・大木
 村高町楠地区は、安城市役所の南東約5km、安生市役所桜井支所の東北東約2kmのところ

 安生市役所桜井支所から県道44号線を北東へ、約1,4kmの桜井町印内信号を右(東)へ県道293号線です

 約1.4kmで藤野里集落で横断歩道の先を右(南)へ、集落の中を通って矢作川の土手の手前に大きな樹冠のクスノキが在ります



 西側から大きな土盛りの上に目的のクスノキです
 
 南側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 西南西側道路から

 説明版です
  市指定天然記念物
    村高の大クス 二樹
      昭和49年2月13日指定
 矢作川右岸堤防に近く、南北33m、東西31m、高さ3.5mのお椀をふせたような丘に二本のクスノキが隣接して生え、遠くから見ると雄大な一本の大樹のように見えます。樹齢は300年と推定されています
 クスノキは東アジアの暖かい地方に産するクスノキ科ニッケイ属の常緑高木で、木全体によい香りがあり、樟脳をとるとともに彫物の材料に適しています。
 また、庭木や街路樹、記念樹として一般に用いられます。樹木類のなかでは最も長寿な木のひとつです。
  北の木 樹高17.3m、幹周3.0m
  南の木 樹高17.8m、幹周3.0m
      安城市教育委員会

 西側から土盛に上て北側の太い幹を見上げました

 南側から

 北東側から

 南側の幹を南西側から

 北東側から二本の太い幹を見ました


 地に付いた大枝は根付いています

 土盛から下の道路に降りました
 

 南西側から


 南側から見上げました

 南側の矢作川の堤防土手から見ました

 では、次へ行きましょう
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新潟県阿賀野市、水原「瓢湖の他の鳥たち」です!!

2023-03-14 18:36:54 | ドライブ
 新潟県阿賀野市、水原「瓢湖の鳥たち」は、撮影数が少なくなってしまった鳥たちです

 説明版にあった、冬鳥のマガン・スズガモ・ヒシクイ・ハシヒロガモ・ヨシガモ・カンムリカイツブリやアメリカヒドリは確認できませんでした


 コガモですね

 緑色の頭のマガモです

 マガモの夫婦です

 ボートの上にオナガガモの夫婦です

 オナガガモに、キンクロハジロ、オオバン、にホシハジロが一枚に収まりました

 餌のおこぼれをもらいにドバトも来ていました

 瓢湖の北側と東側の遊歩道は封鎖されていました、鳥インフルエンザが養鶏場で猛威を振るっている現状を考えると、打倒なのかもしれませんね~

 この後、午前9時から探鳥会が行われるようです

 オオハクチョウは東池の北側に、カワウは一羽確認できましたが、遠くて撮影できませんでした

 そろそろ巨木・大木を見に行きます

 では、次へ行くことにしましよう
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愛知県安城市、桜井町桜林「桜井神社のクロマツ(並木)」(市指定)です!!

2023-03-14 06:30:08 | 文化財・樹木
 桜井町桜林地区は、安城市役所の南東約km、安城市役所桜井支所の北北東約1.4kmのところ

 安城市役所桜井支所前から県道44号線を北東へ進みます

 約1.2kmで学習塾の入る4階建てビルの手前を右(東)へ

 間も無く松の木に囲まれた桜井神社参道の駐車スペースに車を止めることが出来ました

 まずは南南東向きの桜井神社参道を南端まで行きます

 参道入口の、一ノ鳥居です

 縣社 桜井神社の社號標です

 説明石碑です
   桜井神社
御祭神
 伊弉諾神・伊弉冉神・菊理媛神・火産霊・天照皇大神・倭姫尊・火之迦具土神・應神天皇・八幡大神・菅原道眞
由緒
 桜井神社は、往古より桜井郷の産土神として尊崇篤く神威織にして、国内神名帳にに載せられし従五位桜井天神と稱し奉り、武家の崇敬篤く、鎌倉時代に於いて三河守護吉良氏より三百貫の社地寄進が為されたと伝えられ、桜井城主松平親房は大永7年(1527)、自ら願主となりて社殿の造營を行いました。
 当時は神明社と稱されていましたが、慶長15年(1610)家康の命により本殿の修築が行われ、社號も白山社と改稱され、ついで19年改めて50石の社領の寄進が行われ、三河三白山社として、歴代徳川家の崇敬を受けてきました。
 寛永年間に社號も桜井権現と改稱され、後正一位桜井大権現として奉稱されてきましたが、明治5年額田県令に依り郷社桜井神社と稱し、由緒深き故を以って昭和7年県社に昇格され、古くより旧碧海、幡豆の二郡に亘って氏子村も三十有七ヶ村に及び、近郷の大社として崇敬誠に浅からぬものがありました。
 大祭は元陰暦9月16日とされていましたが、明治より10月16日に改められ、近年11月3日に定められている。
 往昔徳川家康によって奉納されし流鏑馬の神事につづき花馬、額、山車、打囃子、獅子舞、棒ノ手、角力、花火の奉納が盛大に行われ、わが故里の鎮守の神としてとこしえにいつきまつる。

 参道を進むと日露戦役紀念と戦捷紀念碑です

 ニノ鳥居です

 目立った大きなクロマツです

 幹に茶色のボトルが刺さっています、害虫退治の薬を注入しているようです

 もう一本写真にしてみました

 説明版です
  市指定天然記念物 桜井神社のクロマツ
        昭和49年2月13日指定
 桜井神社の長い参道の両側に生い茂る、見事な松並木です。
 戦前には200余本の老松が14700㎡の境内にありました。
 1959年(昭和34)の伊勢湾台風の被害でややさみしくなりましたが、一の鳥居から三の鳥居までの参道に従って拝殿へ導いてゆく景観は、実に立派です。
 胸高囲3m、樹高25mに達するものが林立し、境内地の空間を縦に貫いています。
     安城市教育委員会

 安城歴史の散歩道の案内板です、地図は左が北になっています、桜井神社は案内板左側の大きな赤い四角です、下側の中央には前回紹介した「堀内の大イチョウ」、右上には「村高の大クス」が載っています。

 手水舎です

 三ノ鳥居です

 市指定史跡 三河三白山・桜井神社の説明版です

 市指定有形文化財(建造物)桜井神社本殿の説明版です

 石段の上に拝殿です

 本殿を見る事が出来ました


 拝殿前に寝牛像です


 社務所北側の御神木のサカキです

 南東側から

 ヒサカキは、鋸葉がありますがサカキは鋸葉が有りませんね

 では、次へ行きましょう
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新潟県阿賀野市、水原「瓢湖のミコアイサ」です!!

2023-03-13 18:32:16 | ドライブ
 新潟県阿賀野市、水原「瓢湖の鳥たち」ミコアイサです!!

 今回あいたかった種類です


 本池の北東側から南へ進んで来ます

 三羽が確認できます

 二羽が雄で一羽が雌です

 本池南端に近付いて来ました

 眼の周囲や後頭には黒い斑紋が入り、胸部側面には2本の黒い筋模様が入ることから・・・

 雄はパンダガモとも呼ばれています

 ミコアイサ、漢字表記は「巫女秋沙」

 カモ目カモ科ミコアイサ属で一種類でミコアイサ属となります

 繁殖期のオスは全身の羽衣が白。和名ミコはオスの羽衣が巫女の白装束のように見えることに由来するとか

 ユーラシア大陸亜寒帯のタイガで繁殖し、冬季になるとヨーロッパ、黒海、カスピ海、インド北部、中国東部などへ南下し越冬するそうです

 日本では冬季に九州以北に越冬のため飛来し、北海道では少数が繁殖するそうです





 全長38~44cm

 体重0.7~0.9kgと小型です

 食べ物は動物食傾向の強い雑食で、主に魚類を食べますが、カエル、昆虫、甲殻類、植物の葉、根、種子なども食べるそうです

 



 ミコアイサの夫婦です

 今回見かけたのは、この三羽だけでした

 では、また明日
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愛知県安城市、堀内町屋敷「堀内の大イチョウ」(市指定)です!!

2023-03-13 06:30:03 | 巨樹・大木
 堀内町屋敷地区は、安城市役所の南南東約4km、安城市役所桜井支所の北約1.5kmのところ

 安城市役所桜井支所前から県道44号線を北東へ、約1kmの桜井塔之元を左(北西)へ県道286号線です

 約400mの北阿原下信号を左(西)へ入ると、道路左手に目的のイチョウです

 道路北側の堀内公園駐車場に車を止めさせて頂きました

 北東側の駐車場からイチョウを見ました

 北側の駐車場入り口から

 道路を渡って北東側から

 天然記念物標柱です

 説明版です
  市指定天然記念物
   堀内の大イチョウ  昭和40年11月3日指定
 イチョウは中国原産で、古く朝鮮を経て日本に渡来した雌雄異株の樹木です。中国名では「公孫樹」とも言い、これは公(祖父)が植えてから孫の代になってようやく実が採れるという意味から、そのように呼ばれています。暑さ寒さによく耐え公害にも強いため、街路樹や寺・神社の境内によくみられます。
 昭和40年(1965)に当時の桜井町で町指定の天然記念物となりましたが、昭和42年(1967)の安城市への合併後も指定は引き継がれました。
 この樹は、国土地理院の地形図にも独立樹として記載されており、樹高は市内最大です。樹齢は推定350年の古木であり、雌株で毎年秋には多量の銀杏をつけます。地域のシンボル的な存在であり、人々の目を楽しませてくれています。
   安城市教育委員会
  幹周  3.3m
  樹高   25m
  枝張 東西 10.5m、南北 11.5m
    (令和元年現在)

 西側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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新潟県阿賀野市、水原「瓢湖のヒドリガモ」です!!

2023-03-12 18:30:35 | ドライブ
新潟県阿賀野市、水原「瓢湖の鳥たち」ヒドリガモです!!


 漢字で書くと「緋鳥鴨」です、カモ目カモ科マガモ属です

 ヒドリガモは、ホシハジロに似ていますが、額の白い部分が特徴です

 ユーラシア大陸の北部の寒帯地域やアイスランドで繁殖し、冬季はヨーロッパ、アフリカ北部、インド北部、中国南部、朝鮮半島、日本などに渡り越冬するそうです

 この日は、あまり数を見かけませんでした、既に北帰行が始まっていたのカモ

 夫婦のようです

 餌に集まるカモ達です


 コハクチョウは、北帰行が始まっています、オオハクチョウは東池の北の端に集まっていました

 では、また明日
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愛知県安城市、野寺町野寺「本證寺(国史跡)と本證寺のイブキ(市指定)」です

2023-03-12 06:31:15 | 文化財・樹木
 野寺町野寺地区は、安城市役所の南約7km、安城市役所桜井支所の南約2kmのところ

 安城市役所桜井支所から県道44号線を南へ、約600mの小川町金政信号を左(南東)へ県道292号線です

 約300mで桜井小学校北信号を右(南)へ県道294号線です

 約1kmで右手に本證寺が東向き参道入口の山門(大門)があります

 すぐ南側を右(西)に入ると仮設駐車場がありますので利用させて頂きました


 本證寺は三河一向一揆の拠点の一つです、2月19日放送のNHK大河ドラマ「どうする家康」でも家康が本證寺に忍び込む姿が描かれ、一揆の原因?も描かれていました
 *三河一向一揆は、戦国時代に三河国の西三河全域で永禄6年(1563年)~永禄7年まで半年ほど行われた一向一揆です。
 現在の安城市野寺の本證寺第十代・空誓(蓮如の曾孫)が中心となって浄土真宗の本願寺門徒に檄を飛ばし、領主の家康と戦いました。
 三方ヶ原の戦い、伊賀越えと並び、家康の三大危機とされる。 家臣団の多くが門徒方に与するなど、家康に宗教の恐ろしさをまざまざと見せつける事となりました。
 三河における分国支配の確立を目指した家康に対して、その動きを阻もうと試みた一向宗勢力が、一族や家臣団を巻き込んで引き起こしたもので、その意味では、松平宗家(徳川家)が戦国大名として領国の一円支配を達成する際に、必ず乗り越えなければならない一つの関門であったと考えられます。(ウィキペディア一部抜粋)

 本證寺入口の大門です

 雲龍山 本證寺です

 南側の堀です

 北側の堀です、脇には櫓が建っています、平城の様な造りになっています

 大門を入ると正面に大きな本堂です

 左手に手水屋です

 境内南東端に鐘楼です

 経蔵です

 参道北側に指定史跡 本證寺の石碑です

 説明版です
  国指定史跡 本證寺境内 平成27年3月10日指定
 本證寺境内は、戦国時代から江戸時代に築かれた二重の堀と土塁の残る史跡です。
 三河一向一揆に関わる寺院境内地であるとともに、浄土真宗寺院の伽藍や仏教信仰のありかたを知るうえでも重要です。
 現在私たちが目にすることのできる主要な建物群と堀からなる景観は、江戸時代の姿を今なお留めています。
本證寺の歴史
 本證寺は、鎌倉時代後期の創建とされ、室町時代には、岡崎市の上宮寺・勝鬘寺とともに、三河三か寺と呼ばれる浄土真宗本願寺派(当時)の有力寺院になっていました。
 永禄6年(1563)松平(徳川)家康の家臣が、本願寺領の不入権を侵したことが発端となり、三河一向一揆が起こりました。
 本願寺派の門徒であった家康の家臣たちの中には、その配下から離脱して一揆方に加勢する者もいました。
 本證寺は、一揆方の拠点として家康と対立しましたが、戦火に見舞われたという記録は確認されていません。
 一揆は翌年2月に終結し、三河三か寺を始めとした坊主らは、家康領土から追放されました。
 天正13年(1585)赦免された本證寺は、江戸時代に入ると本山・領主と末寺を仲介する中本山・触頭として再興を果たし、幕末には200余寺の末寺を抱える大寺院となりました。
外堀と内堀
 史跡地内には、本堂など江戸時代に建立された建造物と、それらが立ち並ぶ境内を囲む内堀、寺領のうち「寺内」と呼ばれた東西約320m、南北約310mの範囲を囲む外堀、そして境内の北側に土塁が残存しています。外堀の大部分は、地中に埋まった状態で保存されています。
 境内や寺内を囲む内堀・外堀は、一部を除いて、戦国時代と江戸時代とで同じ位置にあります。戦国時代には有事に備えて急角度で深い堀が設けられましたが、江戸時代には、大寺院の風格を漂わせる幅の広い堀が本堂周辺に設けられました。

 庫裏と本堂側境内を分ける東側の堀です

 西側の堀です


 目的としていたイブキは庫裏の中庭に立って居るので、樹冠部のみ見えました、樹高 23m、胸高囲 2.8mです
 *本證寺の中庭に生育し、枝張りは東西8.5メートル、南北9メートルに達する巨樹?である。葉は杉葉状で、樹皮は 褐色かっしょく、縦の裂目さけめ が幾重にもねじれ曲がり、彫刻のような造形美を形づくっている。樹齢については通称800年とされている。
 伝説では親鸞当寺を訪ねたとき、仏花の立てがらを地面にさしたものが根を張り育ったという。(安城市文化財図録から抜粋)

 裏門側へ移動してきました

 裏門北側の土塁と堀跡です

 土塁の庫裏側(内側)を北へ進みます

 西に延びる土塁です

 土塁と空堀です

 東側にも堀跡が残ります

 土塁を廻らせて曲輪の様な場所です、この外側に外堀が有ったようです


 本堂南側へ戻って来ました

 本堂裏側の堀跡です、今でも夏場は水が溜まっているようです

 本堂南西側から広い境内を観ました

 境内西側の内堀です
 
 南側の内堀を西側から見ました

 県道側(東側)から

 では、次へ行きましょう
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新潟県阿賀野市、水原「瓢湖のオオバン」です!!

2023-03-11 18:47:57 | ドライブ
新潟県阿賀野市、水原「瓢湖の鳥たち」オオバンです!!


 オオバンは、ツル目クイナ科オオバン属です

 黒い体に額と嘴が白いのが特徴です

 全長32~39cm



 水辺の石の上でまったりしています

 餌場では数の少ない種類でした

 では、また明日
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愛知県岡崎市、中島町本町「浄光寺のイチョウとハマボウ」(市指定)です!!

2023-03-11 06:29:34 | 巨樹・大木
 中島町本町は、岡崎市役所の南西約10km、岡崎市役所 六ツ美支所の南南西約4kmのところ

 岡崎市役所 六ツ美支所前の奥屋敷信号から県道479号線を南西へ

 約3kmで東浅井町信号を左(南東)へ県道292号線です

 約1.1kmの中島橋西信号を右(南西)へ進むと間も無く左手に白い塀が見えて来ます

 塀沿いを左に曲がると浄光寺山門です

 山門は南西向きです、山門前に車を止めさせて頂きました

 真宗 大谷派 浄光寺です

 説明版です
  真宗 大谷派 良永山 浄光寺
 開基意真上人は蓮如上人の弟子となって剃髪得度し、1461年に中島郷に浄光寺を創建した。その後1563年の永禄一揆によって創建以来98年で焼失した。そこで5世教快は相州愛甲郡縁故をたよって難を避けた。
 1583年家康によって宗門赦免の後、1587年中島へ帰り板倉勝重の母妙円尼より中島の板倉屋敷の提供を受けて浄光寺の仮御堂とした。
 6世教尊は1601年(慶長6年)に家康より4石8斗の朱印地を受けて本格的な寺院の再建を果たした。1613年頃であろう。
 この後も板倉勝重の兄忠重(木工)は木佛本尊を奉納し、勝重や長子の重昌は土地を寄進し母妙円尼は親鸞聖人の御影を寄進するなど板倉家は浄光寺の復興に大変な協力をしている。これは浄光寺の再興の始まりは妙円尼の屋敷であったから「お母さんのお寺」あるいは「おばあさんのお寺」という感じであったのだろう。
 その後1688年(元禄元年)に9世教誡によって7間4面三方椽の本堂が再建された。そして143年たって江戸時代末期の1831年(天保2年)より6ヶ年の年月をかけて14世正観によって現在の本堂・庫裡・玄関が再建された。
 なお1671年上棟の鐘楼は伊勢湾台風によって倒壊したので1967年に再建した。また1741年上棟の藥医門は老朽化がひどいので、水屋と共に1996年に再建した。
 境内のいちょうとはまぼうは岡崎市の天然記念物に指定されている。また浄光寺で80年の俳句の生涯を終えた、今良寛とも言われた俳僧伊澤三太楼の句碑がある。
  2002年7月9日
    18世現住 完之誌


 山門を入ると正面に本堂です

 境内左手に目的のイチョウです

 南東側から

 本堂前から

 説明版です
  岡崎市指定文化財
   天然記念物 浄光寺のイチョウ 1本
 胸高囲4.05m、根囲6.60mに達するイチョウの巨樹である。上部が台風のために伐採されてしまっているものの、樹勢は極めて良好であり、病虫害による被害の跡はない。
     昭和50年3月26日指定
   天然記念物 浄光寺のハマボウ 1本
 本株は、愛知県の植物研究の先覚者である、西尾市貝吹町の故名倉・一郎氏が、昭和5年春、渥美半島から幼苗を取り寄せて植えられたものである。
 寒さに弱く、一般にこの地方では移植栽培が困難なこの植物が、胸高囲1.04m、根囲1.61m、樹高6.0mになり得たのは極めて珍しい。
 7月下旬には、黄花が見事である。
     昭和60年3月6日指定
        岡崎市教育委員会

 境内西端に鐘楼です

 本堂前に「ハマボウ」です

 北西側から

 境内の梅が咲き始めていました

 では、次へ行きましょう
 
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新潟県阿賀野市、水原「瓢湖のオナガガモ」です!!

2023-03-10 18:30:11 | ドライブ
新潟県阿賀野市、水原「瓢湖の鳥たち」です


 今回はオナガガモ、カモ目カモ科カモ亜科マガモ属です

 雄です

 雌です

 大型のカモで、名前通りオスの尾羽が長いのが特徴です

 全長は雄61~75cm

 雌51~57 cm

 マガモよりもわずかに大きい

 ユーラシア大陸の北部と北アメリカ北部の寒帯から亜寒帯にかけての地域で繁殖し、冬季はユーラシアおよび北アメリカの温帯から熱帯地域やアフリカ北部に渡り越冬します

 夫婦でまったり

 橋の基礎でもまったりしていました

 では、また明日
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愛知県西尾市、上永良町宮東「神明社の大シイ」(国指定)です!!

2023-03-10 06:32:07 | 巨樹・大木
 ここからは、2023年2月8日取材分です

 上永良町宮東地区は、西尾市役所の北東約5kmのところ

 市役所から県道310号線を東へ、約3.2kmの善明信号を左(北東)へ県道42号線です

 約3.4kmで正顕寺の先を左(西)へ、広田川を貝吹橋で渡て左(南)へ

 間も無く道路左に神明社が南東向きに鎮座します

 北西向きに神社入口です

 郷社 神明社の社號標です

 鳥居の手前から右手の境内拝殿前に目的の大シイが見えました

 手水舎です

 南東側から境内を見ました

 大シイです

 天然記念物標柱です

 説明石碑です
   説明
 目通幹囲8m、主幹は朽ちたるも数本のひこばえ出て、鬱蒼たる樹木にして巨樹として有数たり
   注意
 1,柵内に立入り根に傷せざる事
 1,枝葉の伐採を為さざる事
 1,其他樹木を毀損する行為をせざる事
  右犯す者は国法に依り処罰せらるべし
   昭和8年5月10日
     文部省
 平成2年度愛知県地方振興補助事業
     西尾市教育委員会

 玉垣の中の石碑ですが、漢文で記されているのでよく解かりませんでした

 東側から

 北東側から

 拝殿前(北西側)から




 拝殿です

 本殿覆い屋です

 拝殿軒下の説明版です
   神明社  八級社
 鎮座地 西尾市上永良町宮東11番地
 旧社格 郷社
 祭神  天照皇大御神 天児屋根命 誉田別命
  配神 加藤左馬介嘉明
 例祭日 10月16日
 末社  天白社  祭神 天白姫命
     社宮司社 祭神 猿田彦命
 境内地 218坪
 天然記念物 神明社の大椎
   由緒
 創立 貞観元年9月16日(西暦859)
 当社は、第56代清和天皇の貞観元年9月16日勧請せられ、その後、第70代後冷泉天皇の天喜元年(西暦1053)伏見中納言兼高卿永良の里に船を寄せられた時、




 南西側から

 説明版です
   上永良神明宮と大椎の木
     所在地 西尾市上永良町宮東1
     祭神  天照皇大御神・誉田別命・天児屋根命 
 この神社の創立は、貞観年中(




 南側から見ました

 西側の玉垣の中にはサカキです

 では、次へ行きましょう
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新潟県阿賀野市、水原「瓢湖のキンクロハジロ」です!!

2023-03-09 18:35:35 | ドライブ
 新潟県阿賀野市、水原「瓢湖の鳥たち」キンクロハジロです!!


 黒い体に白いお腹が特徴、カモ目カモ科ハジロ属です

 目が金色なのも特徴ですね

 後頭部には冠羽が有ります

 和名のキンクロハジロのキンは、目が金色なので

 また風切羽の上面には白い斑紋が入り、和名のハジロの由来になっているそうです

 全長40~47cm

 体重0.3-1kg

  シベリアやヨーロッパ北部などのユーラシア大陸北部で繁殖し、冬になるとアフリカ大陸北部、ヨーロッパ南部、中近東、インド、中国東部などへ南下し越冬します

 日本では冬季に九州以北に越冬のため飛来し、北海道では少数が繁殖するそうです

  家族で餌場に向かいます、一羽の雌に雄三羽です

 では、また明日
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