▲6年目の妙見道路崩落現場
普通の通勤道路に戻っているが、右手から落ちてきた大岩のシルエットだけが「あの時」を物語る。
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6年目のその瞬間、あの場所に立っていたのは私一人だった。
朝から各駅停車に揺られて小千谷へ向かう。
国境の山々の紅葉はやはり遅い。震災1週間後に湯沢で見た紅葉がやけにきれいだったことを思い出す。目立つのはナラ枯れの茶色い帯。ドングリのなる木である。クマが里に下りてくることは夏のころから分かっていた。
小千谷の手前の旧川口町では、黄色いハンカチが揺らめいている。震度7の町・旧川口町では黄色いハンカチが復興の象徴となっている。
いったん小千谷を通り越して長岡へ。
所要を済ませた夕方、長岡のイベントのある会場に向かう。
そこでは竹の中にろうそくが仕込まれており、今まさに点火が始まったばかりだった。
ちょうど良い時間にバスがあって、それに乗り込む。小千谷に入って最初のバス停で降りる。そこは2人の犠牲を出したあの有名な場所である。日中は献花台が置かれ、黒服の係員が待機していた。だけど夕闇迫るこの時間、それは撤去作業中だった。
闇に溶けていく大岩のシルエットはあの日のままである。この道は地元の人の通勤の道で、この日のこの時間もたくさんの車が行き来する。ここで右手のアンダーパスに潜っていくと、被害が大きかった東山や旧山古志村へと続く道となる。街灯の少ない道をヘッドライトをつけて車が何台も山を上っていく。
やがてその瞬間が訪れる。
県道沿いのバス停でただ一人の黙とう。
その2分後に来たバスに乗って小千谷駅方面へ。
小千谷でももう公式の慰霊行事は縮小されており、駅前は日常の風景。6年前に大きな被害を受けた家が撤去され、そこがぽつんと抜けている。6年間放っておかれた川向こうのビルもようやく撤去の方針が決まったらしい。
家に向かう途中、ちょっと寄り道。
明日のイベントの前夜祭として、キャンドルが点されているという場所に向かう。
あの夜、実家に最も近いここに近在の人が集まった。だけど度続く余震に、この建物も危ないかもしれないと、寒空の下に出されてしまった母たち。電気もガスも水道も電話も全部途絶したあの晩、正確な情報はほとんどだれも持っていなかった。
満月が上る綺麗な夜空はあの時を思い出させるとキャンドル傍に立つ人が言う。
「だんだんイベントが小さくなっていくけど、やっぱりこの日だけは特別なんだ」という声も聞こえる。
震災後に生まれた甥っ子が母と一緒に来ていた。一緒に実家に帰った。