
菅 直人氏が総理だった頃、福島に出向いた事に対して、マスコミ、小沢の一党が菅降ろしに走った。当時官邸から動いたという事で、マスコミを含めて一斉に「菅降ろし」を、官僚を含めて行ったのだが、針は今でも菅元総理の行動は妥当性があったと思っています。あれがなかったら、官僚・東電・原子力保安等、完全に嘘をついて、もっと、事態が悪化していたと思う。と言う事で先日、河北新報に掲載されたのを改めて紹介ね。
「原発事故、政治が責任を」 菅元首相インタビュー
河北新報 3月8日(金)6時10分配信
東日本大震災から2年となるのを前に、民主党の菅直人元首相は河北新報社のインタビューに応じた。「住宅の高台移転などの合意形成に時間がかかり、福島県内では東京電力福島第1原発事故による放射線の影響が大きい。当時の首相として多くの人がまだ避難している現状を申し訳なく思う」と語った。
菅氏は「3月12日午前に仙台市や宮城県石巻市周辺を上空から視察した際、海と陸の境がはっきりせず、建物の土台しか残っていない海沿いの光景が強烈に焼き付いている。甚大な被害を覚悟した」と当時の心境を明かした。
原発事故への対応では「東電も原子力安全・保安院も判断に必要な情報を上げられなかった。何が起きているか把握できなかったことが、非常に怖かった」と振り返った。「過酷事故は起きないという前提で原発は運営されていた。東電も保安院も危機管理体制に欠けていた」とも指摘した。
緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の計算結果の公表が遅れるなど、政府の情報提供をめぐっては不信感が強まった。
菅氏は当時の状況を「分かっていたことで隠したことはない」と説明。「SPEEDIは大きな反省だ。担当部局が『使えない』と判断し、こちらに伝えなかった。事故に備えるためのシステムをなぜ使わなかったのかと、国民の不信を招いた」と話した。
原発事故の賠償問題に関しては「国策で原発を造ったのだから政治が責任を持たなければならない。
賠償と除染、健康管理などに政策でしっかり対応するべきだ」と強調した。
震災から間もない一昨年5月ごろ、民主党内では「菅降ろし」が加速し政局は混迷した。菅氏は「政権与党のトップとして大変申し訳なかった。震災以前から私を引きずり降ろそうという動きがあったが、国難のときに政局的動きがあったのは残念だった」と述べた。
此処で一言。国は頑発再稼働をしたくてしょうがないらしいのですが、今回の事故をみても、未だに、東京電力にしても国にしても、何の保障もしてないね。という事は、また事故があると誰も保障しないということだ。経済界にしても、推進ばかり言っていますが、事故が起きた時の対処を全く語っていない。経団連の狸頭の米倉・御手洗も「事故が起きたら経済界が全部保障すると言ってみろよ。
大体、あの小沢と言う人は何をしている人なんだろう?。震災の時も見舞いにも行かず、中国に600人もの議員団を連れて行ったのに尖閣の時は何処かに引っ込んで出てこないし。あの時に、中国の奴らに「「尖閣」位は上げますよ」なんて密約したんじゃないだろうね?。