賀知章(ガチショウ)盛唐の詩人。 字は季真、号は四明狂客。生れ:659年(顯慶四年)没年:744年(天寶三年)会稽郡永興県の人。越州永興(現・浙江省蕭山県)どっちが本貫地なんだろうね。
賀 知章
証聖元年(695年)に進士に及第して、玄宗に仕え、開元年間に礼部侍郎となり、集賢院学士を加えられ、転じて工部侍郎に移り、秘書監を授けられた(賀監(がかん)の異称はこの官職名による)。
詩をよくして李白と交友があり、また草書と隷書に卓越した方です。
無類の酒客にして脱俗の趣あり、後に官を辞して故郷に帰り道士となって86歳で没した。狂草で有名な張旭と交わり、酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられています。
賀 知章
酔って馬に乗る姿は揺れる船に乗るかのようで、井戸に落ちてもそのまま眠り続けたという事です。王維、日本の遣唐使、阿倍仲麻呂らとも仕事をしています。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。
浙江省は南東部沿海地域、長江デルタ以南に位置し、北緯の27○12′~31○31′と東経の118○00′~123○00′間に介在しておる。東は東海に瀕して、南に福建、西に江西、安徽両省、北に中国で最も大きい都市の上海および江蘇と隣接する。紹興酒でも有名だね。紹興で出来る老酒の事を紹興酒って言うんですね。
賀 知章
山は雁蕩山、雪竇山、天目山、天台山、仙都山などの名山があり、湖は杭州西湖、紹興東湖、嘉興南湖、寧波東銭湖、海鹽南北湖などの有名な湖、それに、中国の最も大きい人工湖の―杭州千島湖があり、川は銭塘江、欧江、楠渓江などの有名な川がある。京杭大運河は浙江北部を通り越して、杭州で銭塘江に流れる。昔から風光明媚な処で酒も美味いとくれば酔っ払いにならない方が不思議だね。
現存する書蹟に以下のものがあります。
『孝経』(『孝経』は、孔子と曽子が儒教の重要概念である「孝」について問答したもの)
- 孝経の全文を草書で書いたもので、賀知章の署名はないが、末尾に「建流二年(961年)冬重粘表賀監墨蹟」と小楷で書かれていて、古来賀知章の真蹟と伝えられる。江戸時代中期に日本に舶載され近衛家熙氏の収蔵するところとなった。久しく近衛家にあったが明治の初め皇室に献納されて御物となった。(現在は三の丸尚蔵館蔵)。書風は王羲之風の重量感があり、切れ味も鋭い。概して用筆勁利、しかも秀麗洒脱である。賀監とは賀知章のこと。高官を勤めながら破天荒な生き様で知られていた。李白がその賀知章と長安で出会った時、賀知章はすでに80歳を超えた老人であったが、李白を見て意気投合し、李白を謫仙人と呼んだ。有名な詩には賀知章を詠った李白の五言律詩「酒に對して賀監を憶ふ」があります。
酒に對して賀監を憶ふ」
四明有狂客 四明に狂客有り
風流賀季真 風流なる賀季真
長安一相見 長安に一たび相ひ見しとき
呼我謫仙人 我を謫仙人と呼ぶ
昔好杯中物 昔は杯中の物を好みしが
今爲松下塵 今は松下の塵と爲れり
金龜換酒處 金龜 酒に換へし處
卻憶涙沾巾 卻って憶へば涙巾を沾す
また賀知章の作には
『回郷偶書』帰郷したおり、たまたまできたもの
- 少小離家老大回 少小家を離れ老大にして回かえる 若かりし頃、家を離れ年をとって故郷へ帰った
- 郷音無改鬢毛衰 鄕音改まる無く鬢毛摧すたる 故郷の訛りは変わらないし、髪の毛もまばらだ。
- 児童相見不相識 兒じ童相い見て相い識しらず 子供が来て誰だか分からない
笑問客従何処来 笑ひて問う「客、何いづれの處ところ從より來(きた)る」と? お客さん何処から来たの?。
賀知章は80歳を過ぎて引退した。懐かしい故郷だが、なにしろ50年ぶり、村の子供たちはだれかわからないので、「お客さん」と呼んだ。
『ああ、すっかりよそ者になってしまったのだなあ』としみじみ詠う。 - 『詠柳』柳を詠む
碧玉妝成一樹高 碧玉の粧ひを成す、一樹の高き、 春になると、柳の木は青々と粧い、その木の何と高いことか。
萬條垂下緑絲條 万条の垂れ下る、緑絲の絛。 無数の緑の糸が枝垂れて、其の下端は、今にも川面に届こうとしている。
不知細葉誰裁出 知らず、細葉は誰が裁ち出づるを あの柳葉は、誰があのように細かく切り裂いたのだろうか、
二月春風似剪刀 二月の春風は剪刀に似たり。 二月の春風は、柳葉を切り裂く裁ち鋏のように、鋭く、冷たい。
お酒の話になると何故かいやしくなる針外しでした。